王子の鬱屈
真剣に恋愛をしなくなったのはいつからだろう。
生まれつき容姿には恵まれていて、気付けばいつでも女の子が七生の回りを囲んでいた。
自分がいいなと思う子もそうじゃない子もみんなが自分を好きだと言う。
恋愛なんて簡単すぎて面白くなかった。
それでも好きになる子がいないわけではなかった。ただ、自分が特定の誰かに入れ込めば諍いが起きるのだと学んだ。
だから七生はみんなの王子という役回りを演じることにした。それが一番楽だった。
争いごとはあまり好きじゃない。争ってまで手に入れたいと執着するものがなかった。
人は七生を羨むけれど、七生自身も日々楽しく過ごしているけれど、何か物足りないと思っていた。
真剣に誰かを愛したい。
俺を振り向かない誰かを、ただひたすらに。
愛したい。
いい店があるのと女の子たちに連れられてきたのは夏休みが終わってすぐ、まだ暑い時期だったのを覚えている。
ウエイター姿の彼を一目見て、自分のものにしたいとそう思った。
以前友人に、俺になびかない女はいないものかとぼやいた時に、呆れ顔で「男に宗旨替えでもすれば?」なんてやけっぱちなことを言われたのを思い出す。その時はそんなバカなと笑い飛ばしたものだが、彼を見た途端にそれもありだなとすんなり受け入れてしまったのだ。
それぐらい魅力的だった。周りにいるどの女よりも可愛くて、といっても女性的なわけではなく、中性的で、でもとても少年的で、くるくる変わる表情が純粋で、とにかく人目を引く。
これを一目惚れというのだろうか。あの子が欲しいと、初めて強い思いを抱いた。
同性ならば簡単に自分に恋心を抱いたりはしないだろう。女の子同士特有のじめっとした諍いもないだろう。
俺にも恋愛が楽しめるかもしれない、そう思ったら居ても立ってもいられなくなる。
何回か店に通い、そしてバイトは募集していないだろうかと店長らしき人に尋ねてみた。
トントン拍子に話は進み、七生はバイト仲間として今彼の隣にいる。香川諒太郎という男らしくも可愛らしい名前の彼をいつかなびかせることが出来るだろうかとワクワクしながら。
このところいつもふわふわと地に足がつかない日々が続いていた。いつだって気分は放課後の楽しい時間に飛んでいってしまって、それまでの時間を学校でどう過ごしているかなど記憶にも残らないぐらいだった。
「おまえ、どうしちゃったの」
心ここにあらずの七生を心配して寄って来た友人の首をぐっとホールドして引き寄せる。
「恋っていいな。楽しいな」
なんとなく口に出すのがもったいなくて、内緒話をするみたいにこそっと友人の耳に吹き込んだ。
「マジかよ、ついに本命現れたか」
これまでの七生の女の子事情をすっかり理解している彼は呆気にとられまじまじと七生の顔を見つめる。こんな至近距離で見ても非の打ち所がない王子顔であるが、最近はかなり甘く緩みがちで、訳を聞いて納得できる部分はあった。幸せそうににんまり笑う七生を見て、これは七生にとって良い傾向なのかなと思うけれど、友は複雑な表情でため息をひとつ。
「楽しそうなのは何よりだけどさ、さすがにこれはやばいんじゃねえの?気持ち持っていかれすぎ」
七生の机の上に無造作に投げ出されているプリントを一枚つまみ上げ、七生の目の前でぴらぴらと振ってみせる。
「ん?」
「小テストとはいえ、3点はありえねえぜ、王子…」
もちろん百点満点の数学の小テストだ。もともとさほど成績のいい方ではないのだけれど、さすがに一桁の点数を取ったのは初めてだった。そもそもテストをやった記憶がない。
「世の中顔だけじゃ渡っていけないこともあるんだぞ。わかってっか?」
正直なところ、あまりわかっていない七生であったが、ちゃんと現実も見て生きろと背中を叩かれた瞬間にいいことを思いついてきらりと目を輝かせる。
「おまえ、いいやつだな」
嫌がる友人をぎゅっとハグしてひとしきり注目を浴びると、下校のチャイムと同時に教室を飛び出した。
ご機嫌に鼻歌を歌いながらスタッフルームで仕事着に着替えていると、同じく学校帰りで制服姿の諒太郎がやってくる。
(ああ、今日も可愛い)
エプロンの紐を締めながら、着替えを始める諒太郎の後ろ姿を見つめて顔を緩める。王子台無しだといつも言われてしまうけれど、こればっかりはどうしようもない。だってそこに彼がいるだけで幸せでたまらないのだから。
「ねえ諒くん、今度の定休日って暇?」
声をかけると諒太郎はこちらを振り向き、少し警戒したような表情になる。胸が小さくちくりと痛むが、この切なさが片思いの醍醐味というやつなのだろう。これまでに味わったことのない感覚はほろ苦いけれど嫌いじゃない。いつかあれが甘い表情になればいいと思いながら、けれどいつまでもそうならないでいて欲しいと思う気持ちも七生の胸の中には存在する。片思いは楽しい。けれどその先を望むからこそ楽しいのであって、その矛盾にいつも自分がわからなくなる。振り向いて欲しい、でも振り向いてしまったら片思いが終わってしまう。それはいつもと同じつまらない恋愛なのではないだろうか。そう思うと諒太郎が自分の思いを突っぱねてくれることが嬉しくもある。それなのにやっぱり断られれば痛いのに変わりはないのだ。自分が何を求めているのか、自分が一番わからない。
「実は今日数学でやばい点取っちゃって。諒くん教えてくれない?」
思いついてしまったバイトが休みの日でも会える口実。果たして諒太郎は乗っかってくれるだろうか。二つ返事でいいよとは返ってこない気がする。
「いやいや、俺、人に教えられるほど成績良くないし。そもそも七生の学校の方がレベル上じゃなかった?」
予想通り、断るための言葉。期待通りというべきか否か。
「でも諒くん先輩じゃん」
「そりゃだいたい同じようなことを去年習っているだろうけど、だからといって全ての2年生が1年生の勉強を完璧にマスターするわけじゃないんだよ?」
「全部はわかんなくても俺がわからないところで諒くんがわかることだってあるかもしれないでしょ?」
「そりゃそうだけど…」
諒太郎は言葉を詰まらせ押し黙る。君と二人きりにはなりたくない、と言ってしまえばそれまでだと思うのだが、諒太郎は優しいからそういうことは言わない。七生を傷つけるとか、バイトがやりにくくなるとか、そういうことを考えて七生の好意を無下には出来ないのだとわかっている。だから七生はこうして嫌々にでも頷かせるようなアプローチをするのだ。ずるいやつだと自分でも思う。だけどこの駆け引きが楽しい。
「おい、ガキども。くっちゃべってないで仕事しろよ」
もう一押しなのに、絶妙なタイミングで店長が顔をのぞかせる。いつだってこの人のタイミングは最悪だ。わざとなのか運命的な相性の悪さなのか判断はできないが、七生が諒太郎を口説いていると必ずと言っていいほど邪魔をする。そしてうまく邪魔を出来たことで勝ち誇ったような顔をするからムカつく。いや、それよりも何よりも、諒太郎がこの人に好意を抱いているのがまるわかりでそれが一番ムカつく。
店長が顔をのぞかせただけで、七生と二人の時には決して見せない顔で嬉しそうに笑うのだ。
「あー、そうだ、諒。こないだの約束どうする?今度の定休日にって言ってたろ」
何気ない世間話みたいに店長が諒太郎に声をかけるけれど、その一言でこのタイミングで邪魔をしにきたのはわざとだと悟る。だって諒太郎はそんな約束をした覚えはないみたいなびっくりした顔をしているし、ピンポイントで次の定休日にかぶせた話題なんて偶然であり得るわけがない。話を聞いていたに違いない。
「あ、うん、そうだったね。学校終わったらここで待ち合わせってことでいいかな」
咄嗟に話を合わせていくが、正直者の諒太郎は嘘が下手だ。顔を見ていればすぐにわかる。だいたい初めから先約があるのであれば、真っ先にそれを理由に断るはずではないか。
ギリ、と店長を睨む。七生がこんなあからさまな嘘に気がつくことも全て承知の上で嫌がらせとしてやっているのだから腹立たしい。
(諒くんの気持ちに応えるつもりもないくせに)
なぜこんなにも七生の邪魔をするのだろう。
諒太郎の気持ちを受け取るつもりがないのならば、むしろ心変わりを推奨するぐらいなのではないだろうか。
(ただ俺が気に入らないから苛めているだけなのか、それとも)
「そうだ、勉強だったら千紘さんとか晋平さんに見てもらえばいいじゃない。絶対俺より賢いと思うよ」
多分深いことは何も考えていない天然さで諒太郎はそんな酷なことを言う。ありえない。天敵みたいなこの人に教えを請うなんてありえない。
「まあ確かに諒より賢くはあると思うがな、いかんせん学校の勉強というのは独特の囲いの中の代物だからな、現役かそれに近い人間でなけりゃダメだろう」
「要するに覚えている自信がないわけですね」
刺々しく歯向かっていくと無言で頭をはたかれた。暴力反対。
「別に今度の休みじゃなくたって、いつでも暇な時でいいからさ、諒くん」
しつこく食い下がると諒太郎は困った顔で愛想笑いとともに曖昧に頷いた。
「嫌な時は嫌って言わないと、空気読むとかこいつはないぞ、諒」
店長が横から失礼なことを挟んでくる。空気は読めるけどあえて読まないふりで突っ込むのが手なんじゃないかと心の中だけで反論をし、着替え終わった諒太郎を伴ってフロアに逃げていく。これ以上店長の攻撃を受けるわけにはいかない。
(それでも諒くんは嫌だって言わないんだよ、店長)
多分嫌われてはいないのだ。一緒にいるのが嫌だと思われているわけではない。だから諒太郎は七生を拒まない。シャレにならないところまで踏み込まない限りは拒絶されることはない。そこら辺の見極めとぎりぎりの駆け引きにはわりと自信がある。
片思いは楽しい。
だけど、あの人には本気で嫉妬する。
<終>
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