お兄さんの憂鬱

 最近少し店の空気が違う。

 小さくため息をついてから、晋平は休憩を終えてフロアに戻った。

 店は今日もたくさんの女子高生で溢れかえってきらきらとまぶしい。とびっきりのおいしいケーキと可愛いアイドル諒太郎、そして素敵な王子様七生。彼女たちにとっては夢のような空間なのかもしれない。そう大きくない店内は、笑顔が絶えない輝いた空間となっている。素敵な職場だと思う。

 けれど晋平の心はほんのりとどこか少しだけ鈍く引っかかっている。もちろん夢を売る仕事としてそんな態度は微塵も表には出さないけれど。物腰柔らかな大人の男性として女子高生たちの憧れの対象に晋平自身も当然加えられているのだ。

「いらっしゃいませ」

 静かに微笑みながら今日もそつなく仕事をこなす。



「ねえ、晋平さん、晋平さん」

 手隙の時間に諒太郎が寄ってくる。

「なんかみんな今日のケーキはいつもよりおいしい気がするっていうんだけどさ、千紘さん何かしたのかな?」

 まるで自分が誉められたかのようにうきうきと語る諒太郎は「千紘さんに聞いてきてもいいかな」と遠慮がちに晋平に訊ねた。

 行っておいでと許可を出せば、尻尾をぶんぶん振った犬っころのように喜んでカウンターの向こうに入って行き、更にその奥を覗き込む。

 当初千紘と晋平二人だけだった店に諒太郎が入った事によって店の雰囲気はがらりと変わった。客層や集客数というのはもちろんの事、従業員内の空気がかなり変わったと思うのだ。10年来の友人二人だけでいるのと、そこに可愛らしい現役高校生がまじるのとでは同じでいられるわけがない。それはしかし、晋平の感覚的には悪いものではなく、自分も千紘もずいぶんと丸くなった気がするのだ。10以上も年下の少年を相手に、自然と保護者の気分になるというか、自分が大人である事の自覚というのが少なからず芽生えたのだろう。もっとも、千紘に関して言えばそれは優しさよりもからかって楽しむというおかしな方向であらわれてしまっている気もするが、あれはきっと真っ直ぐな反応をする諒太郎の初々しさが心地良いのだろうと思う。端で見ている晋平も、可哀想にと思う反面、可愛らしさにこぼれる笑みをこらえるのに必死だったりもするのだ。気持ちはわからなくもない。

 そんな日々が晋平にはとても心地良かった。

 それがもう一人、七生が入ってくる事によってまたも大きく変わる。

 人が人に及ぼす影響というのは、その人がどんな人間であれやはり大きいものだ。変化するのは悪い事ではない。べつに七生を入れた事が失敗だったとか、そんなふうに感じているわけではない。ただ少し、ほんの少しだけ、ため息をつきたくなる落ち着かなさがあるのだ。

 原因は多分、七生があからさまに諒太郎への愛を垂れ流しにする事。諒太郎がいない時の七生は王子という言葉がこんなにはまる男はいないだろうというぐらい非の打ち所がない好青年であるが、シフトが諒太郎と一緒になった時の七生は顔の締まりもなければ、周りにお花が飛び交うような雰囲気を醸し出してとんだエセ王子になりさがるのだ。それを受けて諒太郎は困ったような若干引いた態度を取るし、千紘はイライラと大好きなおもちゃをとられた子供みたいな顔をする。実際の表面上の変化としてはこれほど大層な事でなく、大半の人間がそれと気付かないほどわずかなものなのだけれど、人の気持ちを見抜く事が得意な晋平の性格があだとなり、少々気が重くなる今日この頃なのだった。

「諒くん、俺今日帰りに駅前まで行って本屋とCD屋行きたいんだけど、一緒に行かない?」

 千紘との話を終えた諒太郎に、今度は俺の番だとばかりに七生が話しかける。完全に私語であるが、一応仕事はしていますよというアピールで手にしたトレイをせっせと磨いている。基本的に仕事がおろそかにならない限りある程度のおしゃべりは咎める事はない。むしろ客と同世代の彼らが楽しそうにする事で雰囲気が良くなる部分もある。店長である千紘も確かそう言っていたと思うのだが。

「おいこら、くっちゃべってねえで働け」

 そんな声が奥の方から聞こえてきた。七生に対して千紘は少し当たりがきつい。別に仕事の能力的に七生が諒太郎より劣っているわけでもないし、性格的相性が悪いわけでもないと思うのだが、あえて言うならば七生と諒太郎のキャラの違いというやつだろうか。殊に七生が諒太郎に絡んでいる時に厳しく見えるのはある種の嫉妬なのではないかと晋平は思っている。千紘も大人であるし、そう目に見えて分かりやすくいらついているわけではないけれど、長年の付き合いでわかってしまうのだ。何とかしてやりたいとは思うが、肝心の千紘の気持ちがはっきりしないのだからどうしようもない。いっそのこと、俺の諒太郎に手を出すなぐらい言ってしまえば落ち着くところに落ち着くんじゃないかと思うのだが。

(そう簡単にはいかないよね)

 千紘と七生に挟まれて戸惑う諒太郎にちらりと同情の視線を送り、ひねくれ者の友人と純粋な少年との行く末を案じた。


 諒太郎の千紘への気持ちは誰の目にも明らかで、千紘自身も気付いているはずだ。千紘が諒太郎を手に入れたいというのならば、当然その気持ちをも受け入れるという事になる。それでいいじゃないかと晋平は思うのだけれど、千紘は何にこだわっているのかそれをよしとしない。実際千紘の中に諒太郎に対する恋愛感情があるのかないのか、そこまでは晋平にも計り知れない。相当気に入っている事は間違いないだろうが、それとこれとはまた全然別物なのだという事ぐらいわかっている。だから晋平も下手に口出しできないのだ。見当違いのおせっかいは逆に災いの種にもなり得る。こういう事は黙って見守るのが一番なのだ。

 七生にも下手にちょっかいを出してくれるなと思うのだけれど、心の隅には実はそうして思い切り引っ掻き回してくれた方が事が動き出すのではないかという期待もあったりする。あのひねくれ者の尻を叩くのは並大抵の事じゃない。それが七生に出来るというのであれば歓迎すべきものなのかもしれない。しかしそれでもやはり厄介事は持ち込んで欲しくないというのも正直な気持ちだ。そこのところのジレンマも晋平のため息の一つになっている。

 結局のところ、自分だけ当事者でない事が気を揉む一番の原因なのかもしれない。何をわかって何を思おうとも、晋平には何を動かす事も出来ないのだ。

 だから晋平は今日も小さくため息をつく。誰にも気付かれないようにそっと。



<終> 

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