文化祭
閉店後、スタッフルームで着替えをしながら、まだ厨房の片付けをしている千紘を覗いた。
「千紘さーん。俺今週末、金土日と休んでいい?」
「おお。いいけどおまえ、半裸で来んな」
仕事の手を止めてこちらを振り向いた千紘は、着替え途中で上半身裸の俺の格好を見て眉を顰めた。
「今、急に思い出して、忘れないうちにと思って。なに?千紘さん、ムラッときちゃう?」
「アホか。風邪ひくから早く着ろ」
「ちぇっ」
悲しい結果になるとわかっていて自分で言った冗談にものの見事にへこみながら、手に持ったままだったTシャツに首を通した。
きっと俺が全裸で目の前にいたって千紘が欲情する事なんてないのだ。ガキに興味はねえよ、なんて言われるのがオチだろう。
「七生もいるし問題ねえけど、どした?珍しいな」
「文化祭なんだ。千紘さん来る?…わけないよね。稼ぎ時だよね」
「ああ、それはいい事を聞いた」
にやりといやらしく金の亡者の顔をした千紘は、スタッフルームと厨房の境目で袖を通している俺を回れ右させてスタッフルームに押し込み、中を覗き込む。
「七生、おまえんとこも文化祭あんのか?」
「ありますよ。うちは来週です。俺も来週土日休みもらいます」
既にきっちりと着替えを終えていた七生は王子スマイルで振り向いた。
「ん。了解」
けれどすぐに七生の顔から笑みは消え、眉間にしわが寄る。整った顔でやられると迫力で、俺は思わず後ずさりしたくなったが、すぐ後ろを塞ぐように千紘がいるので逃げ場はない。いや、俺がにらまれたわけではないのだから逃げる必要なんてないのだ。七生がにらんでいるのは俺の後ろ、千紘だ。
「それより店長、その手、セクハラですよ?」
「あ?」
七生が指をさすところに、千紘も俺も同時に視線を向けた。
俺を押し出す時に腰の辺りをぐっとやったまま、腰を抱くみたいな形で千紘の手が触れたままだった。たまたま俺が腕を上げて袖を通している状態だったから腰のあたりに触れる事になってしまったわけで、俺としては深く考えていなかったのだが、あえて言われてしまうと意識してしまっていけない。Tシャツ越しに触れた千紘の掌の感触が急に生々しく感じられて頬が熱くなる。
さらに自分の置かれた状況をよくよく考えてみると、狭い場所で千紘は俺の肩越しに顔をのぞかせているものだから、後ろから抱かれているみたいなものなのだ。これは、ヤバい。気付いてしまったら平気でいられるわけがない。
「な、な、なに言ってんだよ、七生」
何を言われたわけでもない俺の方がしどろもどろになってしまうが、当の千紘はしれっとしたまま何の動揺も見られない。
「バカ言え。セクハラってのはこういうもんだ」
指摘された手を離すどころか、Tシャツの裾から手を入れて直に俺の肌を撫でる。
「…ひゃっ……」
「おい、変な声出すなよ、諒…」
何事もなかったかのように千紘の手はするりと離れていったけれど、俺の心臓はバクバクで、触られたところがやけどしたみたいに熱い。
「つ、冷たかったの!」
そんなふうにごまかしてみたけれど、多分今俺は真っ赤な顔をしていて、説得力など皆無だろう。
「ああ、俺洗いものしてたからな。悪い悪い」
千紘はそんな俺をフォローしてくれたのか、自分の両手をひらひらと見つめて、それから俺の背中をトンと叩いた。
本当は冷たくなんてなかった。もちろん当人はそんな事わかっているだろう。
意地悪ばっかりするくせに、たまにこういうさりげない優しさをぽろっと見せるのが悔しい。大人の余裕が悔しくて、惚れる。
「文化祭かぁ。うちも乗っかって何かやるか?」
ボオッとなっているのは俺だけで、千紘の頭の中では金儲けの算段が猛スピードで展開しているようだった。早く着替えろと俺を促すと、自分は椅子に腰掛けて何やら考え込む。
「諒は何すんの?」
「劇。俺主役」
へへんと胸を張ると、千紘は気の毒そうな顔をした。
「なんだよ」
「いや、別に」
わざとらしく目を逸らす千紘とは対照的に七生は夢見る王子の顔をした。
「いいなー、諒くんの劇、見に行きたいなー」
「キミはお仕事だからね。二人同時に休まれたら人を増やした意味がない」
「わかってますよ。願望ぐらい垂れ流したっていいじゃないですか」
入った当初は怖いから逆らわないみたいなことを言っていたくせに、七生はちょくちょく千紘に対して喧嘩腰の物言いをする。俺が千紘さんを好いている事に気付いているのかもしれない。勝手にライバル視していたりするのだろうか。
千紘の方はそんな七生の態度もたいして気にしていないようだし、それはそれとして二人の距離感を築いているようなので問題はないのだけれど、もしかしたら俺のせい?みたいな自意識過剰な後ろめたさが俺には少しあったりする。
「そしたらさ、諒ちゃんの劇を見た人にはサービスみたいな事でもしてみる?」
そんな微妙な空気を中和してくれるのはやっぱり晋平だ。
「たとえば、諒ちゃんの役名だとかセリフだとかをキーワードにしてそれを言ってくれたら何かプレゼント、って感じでさ」
うきうきと企画を考える晋平にうんうんと千紘が頷く。
楽しそうなその話に俺も加わりたくて、シャツのボタンを留めながら机に寄っていく。
「じゃ、七生の方は?あっちの学校の客も最近多いじゃん?」
「二週にわたって企画か。それも面白いな。って、お前は先にズボンをはけ」
「あ、うん」
俺は話においていかれまいと急いでズボンをはき、千紘の隣の椅子に腰掛けた。
「ちーさん最近お父さんみたいじゃない?」
くすくす笑いながら晋平は机を挟んだ向こう側からこっそりと俺に言った。こっそりであるがもちろんわざと千紘の耳にも入るようにだ。
言われてみれば確かに、七生がきてからあれこれと口うるさく言われる事が多くなったような気もする。俺的にはむしろそれだけかまってくれて嬉しいのだけれど、お父さんなのはちょっといただけない。俺が欲しいのはそのポジションではない。
「そこに願望だけじゃなく欲望を垂れ流しているやつがいるからだろう」
お父さんと言われて気分を害したのか、千紘は矛先を七生に向ける。
「俺のせいにしないでくださいよ。実際、お父さんだっておかしくない年齢なんですからしょうがないでしょう」
「高校生の息子持つほど年くってねえよ」
「それは七生くん、ちーさんと同級な俺も敵にまわす発言だけどいいかな?」
「ああ、だめっす。嘘です、嘘。失言でした」
楽しそうにあっちもこっちもからかう晋平はすごい。七生の中でもこの人は敵にまわしてはいけない人という認識になっている事もすごい。そしてただ楽しんでいるだけのように見えてちゃんと場を整えてしまっているのもすごい。本当に尊敬する。
「んー、だけどな」
しばらく考えていた千紘は苦い表情で吐き出した。
「それ、学校側で問題になんねえかな」
「…そうか、そうだね」
子供の遊びとは違うのだ。やる事にはきちんと責任を取れなくてはいけない。学校行事を商売に利用するなんて、というクレームでもつけられたら大変だ。最近は教育委員会やらモンスターなんちゃらやら、学校という場はいろいろとデリケートなのだ。
「じゃあいっそのことうちで文化祭やるか。文化祭って言ったらあれだろ、いらっしゃいませご主人様だろ」
独自の企画ならば何の問題もないと、千紘はにやりと笑う。
「文化祭と言えば…かどうか知らないけど、文化祭シーズンにかこつけたイベントってことで、たまにはそういう趣向も面白いかもね」
流行だしねと晋平も頷く。
「え?え?メイド喫茶っすか!?」
七生が素っ頓狂な声を上げて見当違いな事を言う。
ない。ないない。それはない。
「七生くん、さすがに30過ぎたおっさんが女装とかきついでしょう。この場合は執事だよ、執事。うちの客ほとんど女性なんだしね」
「そうっすよね。びびったー。俺も女装はきついっすよ」
女装メイド喫茶なんてそれこそ学校の文化祭で失笑を取るのが関の山で、商売になどなるはずがない。
大人びた見た目をしているけれど、そういうところは常識がないというか見識が狭いというか、つい最近まで中学生だったやつだなと感じる。
「衣装だけそろえたらあとはお前らの立ち居振る舞いを訓練するだけだ。簡単だろう?衣装代以上の儲けが出ればいいわけだから…まあ、一週間もあればいけるな。よし、決定!七生の文化祭が終わった再来週一週間限定で執事喫茶な。ガキどもに大人の本気を見せてやろうか」
千紘は大人げなく笑った。文化祭レベルのお遊び喫茶と競うつもりだ。終わった直後に見せつけるつもりだ。
これは、執事としての厳しい訓練が待っていると覚悟した方がいいかもしれない。なんて腹をくくっていたその時だった。隣に座っていた千紘が手を伸ばして俺のあごを掴んだかと思うと、きゅっと俺の顔を自分の方に向けてまじまじと見つめる。
「諒だけはメイドでもいけそうだな。一着メイド服発注するか」
千紘の目があまりにも真剣で、俺は思わずその手を全力で振り払った。
「ええーっ、ちょっと、やだよ、なんで俺だけ」
「諒なら可愛くなれると思ったんだけどな」
そんな残念そうな目で見つめられたって、千紘に可愛いと思ってもらえたって、それは嫌だ。みんなでするというならまだしも、俺だけがそんな罰ゲームみたいな事、納得できるわけがない。
「いーやーだー」
全身全霊でお断り申し上げると千紘はぷっと吹き出した。
「冗談だよ。マジで金にはなりそうだけど、おまえの後ろに本気で期待してるやついるからやらない」
振り向けば、妄想にトリップした七生の王子様台無しなニヤけ顔があった。
「絶対可愛いよ、諒くん!」
「可愛くてもしないから!俺そこ目指してないし!」
とんだがっかり王子様だ。だからこそ憎めないみたいなところもあるわけだが。
「おまえ、ほんと、欲望垂れ流すな」
「店長に関係ないじゃないですかぁ」
「お前のその顔が不愉快だっつってんの」
「まあ、男前じゃない事だけは確かだよね、七生くん。店ではやめようね」
結論、俺がメイド服を着ると七生がこうなって商売上がったりになるので全員執事でいこう。
そういうことで全会一致した。
わくわくする。こういう、自分じゃない誰かを演じるみたいなのは嫌いじゃない。
晋平の執事はきっと完璧に素敵だし、七生の執事は王子にかしずかれるトキメキを生むだろう。俺はどんな執事を目指そうか。
「ところでちーさん、ちーさんも執事やるの?」
早くもノートパソコンで執事衣装の検索を始めていた千紘に晋平が気になる質問をぶつけた。千紘の執事というのがあまりにも想像つかなくて、俺もどうなんだろうと思っていたところだった。
「やるわけねえだろ、俺基本フロア出ねえし。むしろ俺がご主人様だろ」
けろりと、当然のようにふんぞり返る。
「うわ、鬼経営者だね」
「俺の店だ。文句あっか」
「ありませんよ、ご主人様」
苦笑しながら晋平は既に執事の様相で丁寧に頭を下げた。
(やっぱりね…)
千紘の執事姿が見れないのは残念だけれど、千紘はこうでなくちゃと妙に納得してしまう。
俺の店だから俺のルールにしたがえ、的な千紘のやり方が、俺はけっこう好きなのだ。
それでも決して独裁的でないのは、見えない部分で気を使ってくれているのだろうと思う。
あんな頼りがいのある大人に俺もなりたい。
「諒のメイド服は個人的に楽しむかな。ほら、これなんてどうだ?買ってやろうか?」
千紘はノートパソコンの画面にでかでかと映し出されたメイド服一式を悪い顔で俺に見せる。
「いらねーよ。だいたい千紘さん女嫌いのくせに。女の格好とか興味ないでしょ?」
「ああ、性的に萌えるかっつったら萌えねえな。面白いだけで」
前言撤回。こんな意地悪な大人には絶対にならない。
だけどどうして、こんなにも惹かれてしまうのだろう。
こんなことでも俺に興味を持ってくれる事がこんなに嬉しいなんて、どうかしている。
「俺もう帰るけど、絶対それ買うなよ!」
胸のもやもやを叫んで吐き出し、今日も幸せな気分で大好きな仕事場を後にした。
<終>
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