もうひとり

 まだ開店前の店に入ると、見慣れない長身の男前がいた。

 俺と同じウエイター服を着た彼は、キラキラという効果音の付きそうな王子様っぷりで、姿勢の良い佇まいがとても絵になっていた。

「おう、諒。新しいバイト入れてみたんだ。谷町七生たにまちななおくん」

 カウンターの向こうから顔をのぞかせて千紘がそう紹介した。

「新しいバイト!?」

 そんな話寝耳に水だ。いつの間に募集していたのだろうか。3人が4人になるというのは結構な大事だ。ちょこっと事前に話ぐらいしてくれたっていいのに、なんて少し拗ねてみたくなる。一介のバイトに相談する義理はないのだけれど。

「おかげさまで最近は、諒目当てだった客連中がケーキ目当てかそれ以外か知らねえけど諒が休みの日にもたくさん来てくれるようになってな、正直二人じゃ辛いんだわ。高校生アルバイトのお前に休むなとも言えないし、交代要員がいた方がいいだろうと思ってな」

 千紘は交代要員なんて言い方をしたが、明らかに新しい客層を狙っているに違いない。この容姿だ、おおかた俺のときと同じように集客能力を見越してスカウトでもしたんだろう。


 晋平にあれこれ教わっている彼の様子をちらりと見やる。バイトという事は高校生だろうか。俺よりはるかに背は高く、物腰も落ち着いていて、かなり大人っぽく見えるけれど、顔つきは若いような気がする。もしかしたら同い年ぐらいかな、仲良く出来るかな、なんて思っていると、不意に千紘がカウンターの向こうから俺の腕を引っ張り顔を近づけた。

「俺よりタッパあるけど、一年生だと。年上には見えねえなあ、諒」

 哀れむようにポンポンと肩を叩かれる。むかつく。

「まあ、なんだ、タイプがかぶるやつ入れてもしょうがないからな。どうせなら客層広げねえと。あ、ちなみに諒の学校とは反対側のご近所高校だ」

 手広く手堅く、相変わらずの商売上手だ。

「ったく、どこで見つけてくるんだか」

「いや、たまたま向こうからバイト募集してないのかってな」

「商売の神様、毎日拝んでる?」

「いんや。生まれもった俺の強運?」

 当然と言わんばかりの顔でにやりと笑った千紘は、話はおしまいと俺の頭を軽く叩いて奥へ消えていった。


 教育中の二人の横を軽く頭を下げて通り過ぎると、俺も店に出る準備をした。

 3人が当たり前だと思っていた部屋に置かれる見慣れない荷物。歓迎しないわけではないけれど、安定していたバランスが崩れてしまうのではないかというそこはかとない不安がないこともない。

(ああ、そうか。嫉妬か)

 俺と同じ、千紘にとって身内という立場に入り込んできた彼に、俺はおびえているのだ。

 俺だけが特別だった現実が消えてしまう事を。

 俺しかいなかったから成立していたそれは、同じ立場の人間が増えれば俺だけではなくなってしまうから。

(いや、それはダメだ)

 まだ何も始まっていないのに。

 勝手な私情で彼を否定してしまうのはよくない。

 数少ないスタッフなのだから、仲良くしなくては。

 大好きなこの職場の雰囲気を壊してはいけない。

 意味の分からない嫉妬心は深呼吸とともに胸の奥底にしずめておく。

「さ、仕事仕事」

 開店前の準備でせわしなく動く千紘の姿をちらりとのぞき見て気合いを入れた。

 とりあえず友達になろう。とてもいい奴かもしれない。

 年も近いし、むしろ千紘たちよりも深くつき合える相手になるかもしれない。

 そう思うとわくわくする。

 いつだって出会いはそういうものだ。

 環境の変化は、恐れるものではない。喜ぶべき事のはずだ。




 着替えて外に出ると、新人君のレクチャーは一通り終了したようだった。まだ客もいないのに相変わらず姿勢よくじっと立っている彼の隣に立つと、にっこり笑って愛想よく右手を差し出す。

「よろしくね、七生くん」

「七生でいいっす。俺のが年下みたいだから」

 一瞬照れたようにはにかんだ七生は俺の手を握り返してそう言った。

「じゃ、俺も諒でいいよ。年上だけど、そうは見えないし、君が俺に敬語使ってる様はなんか客観的に見ておかしい気がするんだよね」

 悔しいけどさと、大げさに七生を見上げてみる。いや、実際、この距離だと本当にかなり見上げる事になる。屈辱。

 別にコンプレックスを感じるほど背が低いわけではないけれど、ここの平均身長が高すぎるのだ。今までは大人はずるいなんて思っていたけれど、よく考えれば高校生にもなれば身長差に大人も子供もない。

「規格外なのは俺の方なんで」

 そんな苦笑いも絵になって見えてしまうぐらいの余裕を感じるのはなぜだろうか。たぶん彼は彼で高すぎる身長に頭を悩ませる事もあるのだろうと思うのだけれど。

「その顔でその身長だからいいんだろうな」

 ボソリ呟くと七生はおかしそうに笑って、「その言葉、そっくりそのまま返すよ」と言った。

 そんな二言三言の会話で、なんとなくこいつとはうまくやっていけそうな気がした。どうしてかなんて知らない。友達なんてそんな風になんとなく出来ていくものだ。

「人数少ない職場だからさ、他人行儀なのはやめよう。つか、俺、すっげー年下なのに千紘さんにも晋平さんにもため口だなぁ。考えてみりゃ生意気なバイトだよな」

「でもすごくいい雰囲気だよ。諒くんの人徳?俺がやったらぶっ飛ばされそうな気がする。特に店長」

「そう?見た目ほど怖くないよ?」

「いやいや、俺チキンだからおとなしくニコニコしておく」

 男の俺でも思わずくらっとするような王子スマイルで微笑んでみせる七生を見て、これなら世の中万事うまくいくんじゃないかと思ってしまう。

 おそらく接客業という職種には抜群の愛想の良さだ。きっとファンも多いに違いない。たぶん俺の人気とはまた違う意味で。

 これからもっと忙しくなりそうだなと、気合いを入れる。彼の学校でも俺の学校でも話題になるに違いない。

 売り上げへの貢献を思ったら、千紘はきっとウハウハなのだろう。採用基準があからさますぎる。


「ところで七生さあ、自分でバイト募集してないかって聞いたらしいけど、なんで?もしかしてすごいケーキ好きだったりすんの?」

「ああ、店長のケーキは確かにうまいけど…うまい!働きたい!ってならないよね、普通」

「ならない?そっか、前に弟子してくださいみたいな人いたから、ついまたそっち方向かと」

「違うよ、俺は…」

 少しためらうように言葉を切った七生は、軽く息を吸うと今までで一番いい顔をした。

「諒くんとお近づきになりたかったから」

「は?……えっ!?」

「そんな不純な動機じゃダメかな」

 真面目な顔でじっと俺の目を見つめて、そして不意に反らす。

(こいつ、自分の武器の使い方を熟知してやがる)

 ハンサムな王子フェイスでそんなことをされたら、何も意識していなくたってどぎまぎしてしまう。反射的に顔が火照る。

「ちょうどバイトしたいなと思ってたし、どうせやるならやる気の出る感じのところがいいでしょ?好きな人と働けるなんて最高じゃんと思って聞いてみたらオッケーだったから。うん、ラッキー」

 ぐっと親指を立てた仕草がこんなに普通にはまる人を俺は見た事がない。

 なんだろう、この何でも許せてしまう感じは。

 王子で策士で大人びているようでどこか無邪気で、落ち着いているかと思えば意外と今時の子供で。

 本気で言い寄られるのはあまり得意ではないけれど、嫌な気がしないのはたぶん本質的に人としてこいつの事が好きなのだ。

 面白い奴だと思う。

 しかし言い寄られると困るのは確かなわけで。

 だって俺は千紘が好きなのだ。

 この狭い職場内で三角関係みたいなのは勘弁してもらいたい。

 うまい事丸くおさめるにはどうしたものかと思案したが、何の答えも思い浮かばないうちに客がどやどやっとやってきた。

「いらっしゃいませ」

 キラキラ王子様な新人に女の子たちがどよめく。

「諒ちゃん、この人誰?どしたの?」

「新しいバイトくんが入ったんだ。よろしくね」

「そうなの?ねえ、写メしていい?友達に今すぐ来いってメールするわ」

「どうぞ。とりあえず席に座ってからね」

 あれこれ考えるヒマなんてなくなってしまった。

 別に何か答えを求められたわけでもないし、まあいいか、なんて。




 こうして、俺たちの新しい形が始まった。

 七生は顔がいいだけではなく、場を盛り上げるのがとても上手だった。人の心に入り込むのがうまいのだ。人前でもおかまいなしに俺の事を好き好き言うけれど、お客さんはそれをネタだと思っているみたいでそれはそれでうまく回っている。俺を好きだという女の子と俺を取り合うみたいな構図の会話をするのも刺激になっていいみたいだし、諒ちゃん普段は七生くんに冷たいけど実は…みたいなネタも女の子たちは好きらしい。諒ちゃんに振り向いてもらえるように頑張ってね、なんて、俺的には大迷惑な応援までしてもらうようになっている。

 晋平は時々話に乗っかって冗談を交えて絡んできたり、まずい方向に転がりそうになった時にはそれとなく助けてくれたり、上手にそんな俺たちの相手をしてくれているけれど。

 千紘は一体どう思っているのだろうか。俺としてはそれが気になるところである。そもそも千紘の基準は客が来るならそれがベストであって、それが客を呼ぶのであれば大歓迎なのだから、俺と七生がどうなろうが、どうでもいいのかもしれない。特に何の反応もないことに俺は少しへこんでいる。いっそのことドロドロの三角関係になってくれたほうが俺にとっては喜ばしいのかもしれない。


「七生は俺のケーキ好きだとよ」

 時折そんな風にからかわれる材料が増えただけだ。

「あいつはね、なんだってうまい奴なの」

「諒みたいに偏食しねえからでかいんだな」

「うるさいな。あそこまでのはね、食べ物じゃなくて遺伝だよ、遺伝」

 だけど、そんな風にからかわれるのは相変わらず俺だけで、七生に対しては特にこれといって意地悪をしかける様子もない。

 それが喜ぶべき事かどうかはわからないけれど。

 思ったよりも俺だけの特別感はなくなっていないような気がする。

 キャラの違いと言ってしまえばそれまでだが、都合のいいように考えたくなってしまうのが恋する者の性というやつだ。

(俺は七生と違って、千紘さんのケーキじゃなくて千紘さんが好きだもん)

 心の中でそんな事を呟きながら不満げに千紘を見ると、千紘は愉快そうに俺の髪をかきまぜた。



<終>

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