プレゼント

 その日の店はいつも以上に賑わっていた。

 学校帰りのうちの生徒の多い事多い事。

 俺が店に足を踏み入れた途端にこちらに向けられる視線の数々。

 正直、少し引いてしまったぐらいだ。

「あ、諒ちゃん。早く着替えてきてね~」

 忙しそうに仕事をこなしながらもいつも通りの口調でのほほんと微笑んだ晋平に、「俺帰っちゃダメかな」とこっそり弱音を吐いた。

「俺を殺す気?」

「冗談です。ごめんなさい」

 苦笑しながらスタッフルームに入った俺は言葉とは裏腹に超特急で着替えを済ませた。早く晋平を助けてあげなければと急いで店に出て行こうとすると、俺を引き止めるようなタイミングで千紘が顔をのぞかせる。

「おう、諒太郎。今日は何かあんのか?お前目当ての客ハンパねえんだけど」

「あー、たぶん、今日俺誕生日なんで、まあそんなとこかと」

 ありがたい事に毎年誕生日にはたくさんの人からプレゼントやら何やらをいただいてしまっている。先ほどの視線から察するに、多分そういう事なのだろう。ありがたい事だけれど、申し訳ない気持ちもいっぱいだ。俺から何かを返せるわけでもなく、むしろ俺の気持ちは千紘さんの方を向いてしまっているわけで。

「ほんとモテんのな、おまえ。おかげさまで今日は懐が温いぜ。拝んどこ」

 柏手まで付けて俺の前で手を合わせる千紘さんの頭を軽くひっぱたく。

「モテるっていうのとはまたちょっと違う気がするけどね。キャーキャー言ってるのが楽しいだけで、俺とつき合いたいとかそういう事思ってるわけじゃないし」

「そうか?」

「みんなのリョウちゃんだからね、俺は。なんでかそんな風潮になっちゃうんだ、昔から」

「ふーん、なんでだろうな」

 わざとらしく顔を近づけて、じろじろと嫌らしい目で俺を見る。

 そりゃ、千紘さんがそんな目で見てくれた事なんて一度もないし、どうせ生意気なガキだっていうぐらいの認識しかないんだろう。ムカつく。

「俺が美少年だからに決まってんだろ」

 開き直ってそんな事を言い放つと、千紘はおかしそうに笑った。

「ソウデシタ、ソウデシタ。じゃあしっかり愛想振りまいてらっしゃい」

「くっそ。今日の売り上げは俺のおかげなんだからな。感謝しろ」

「ありがとうございます、坊ちゃん」

 東南アジアの人みたいに両手を合わせて頭を下げる千紘の態度にかちんとくる。

 何だってこの人はこんなに人をからかうのが好きなんだろう。

 晋平があんなにきりきり働いていたというのにこんなところで腹を抱えて笑っている千紘をろくでもない人だと腹の中で罵りつつ、俺は店に出た。

 気持ちはしっかりと切り替えて。

 愛想なんかではなく、俺は本気でちゃんとひとりひとりに向き合って対応するんだ。

 それだけがただ一つ俺が返せる事だから。

「誕生日おめでとう」

 テーブルに向かう先々で祝いの言葉とプレゼントをもらった。中には男の人もいたけれど、そんな事は別に気にしない。俺に対する気持ちは何も変わらないし、俺の感謝の気持ちも変わらない。

 こんなにもたくさんの人に俺がこの世に生まれた事を喜んでもらえる俺は幸せ者だ。

 俺を生んでくれた人たちが今どこで何をしているのかその生死すらも知らないというのに、こんなにも祝ってもらえるなんておかしなものだ。

「ありがとう」

 心からそう思う。

「ねえ、諒ちゃんが全部のテーブル回った方がいいんじゃない?俺行くとすごい残念な顔されるんだけど。オジサンちょっと傷つくなぁ」

 すれ違い様、晋平にぼやかれる。

「ごめんなさい、勘弁して、晋平さん」

「冗談だよ。ちゃんとお仕事しないと鬼店長が切れるからね」

 甘いマスクをさらに甘く緩ませて、晋平は俺の倍ぐらい働いていた。俺が行くテーブルごとに少しずつ話し込むせいなのだけれど、嫌な顔一つ見せずにこなすのはさすがにプロだなと思う。バイトの俺なんかとは違う、それで生計を立てている大人なのだ。尊敬する。




 怒濤の接客が終わり、閉店の札を掲げると、俺はスタッフルームの長椅子の上に体を横たえた。

「疲れた~」

 机の上にはきれいに包装されたプレゼントの山。

「一カ月分ぐらいの気を使った気がする」

「諒ちゃんはいろんな人に気を使いすぎなんだよ。そんなにみんなにいい顔しなくたって大丈夫なんじゃない?」

 俺の倍ぐらい働いていた晋平は、けれど俺と違って疲れた様子も見せず、いつもと同じペースで普通に着替えていた。

「晋平さんに言われたくないね、それ」

 多分俺なんか足下にも及ばないぐらい晋平は人に気を使える人で、しかもそれをあくまで自然にさらりとやってのけてしまうのだ。

「俺のはただの性質だから、別に無理とかしてないしね」

「俺だって別に無理してるわけじゃないんだけどさ。なんていうんだろう、こう、物をもらうのとかって、恐縮するっていうかなんていうか、つかれない?」

「はは、わかる。尽くされるより尽くす方が楽だよね」

 そんな事をしゃべっていると、ドアが開く音とともにコーヒーの香りが漂ってくる。

「おまえら苦労性だな」

 苦笑しながら入ってきた千紘の手には湯気の立ち上るカップが三つ。

「はいよ、おつかれさん」

 体を起こしてみれば、俺の前に置かれたコップだけ色も香りも違う。ちゃんとわざわざ俺の分だけ紅茶にしてくれる千紘の心遣いがなんだか今日は妙に心にしみてうっかり涙が出そうになる。

「ほんと今日はすごい人だったね。諒ちゃんも誕生日ならそういってくれたら良かったのに。知ってれば俺も何かプレゼント用意したのにな」

 コーヒーを飲んで一息ついた晋平は、何も用意していなかった自分を恥じるみたいに目を伏せた。

「や、だって、そんな催促するみたいな事わざわざ言わないでしょ、普通」

「プレゼントもそうだけど、忙しいってわかってるならあらかじめそれなりの対応もできるしね。ほら、クリスマスとかはそうだろ?あらかじめ忙しさを想定して準備しておくわけだし」

「そんな大げさな」

「でもきっと売り上げは似たようなものじゃない?クリスマスは持ち帰りが多いけど、今日は店にいる事が目的だから飲み物分客単価が高い。ね?店長」

「だなあ。ドリンクの方が利益率高いしな。来年は覚えておこう。な、晋平」

 千紘が食いつくのはやっぱり金の話かとがっかりする。別に何か期待していたわけではないけれど、おめでとうの一言ぐらい言ってくれてもいいのになんてちょっとすねてしまう。

「来年は絶対何かプレゼント用意するからね」

 千紘と違って優しい晋平は、サプライズもいいよね、なんて楽しそうにしながらお先にと手を振って帰っていった。


「そのプレゼントの山どうすんだ?」

 二人だけになると千紘は俺の隣に腰を下ろした。ふわりとクッションが揺れる感触に鼓動がはねる。

「うちで一個一個開けて使わせてもらうよ」

「ホストみてーだな、おまえ」

「別にこれが目当てじゃないもん」

「わかってるよ、バーカ。店の袋使っていいから一つ残らず持って帰れ」

「うん、ありがと」

「お前は愛されてるなあ」

 千紘は幼い子供にするみたいにぐりぐりと俺の頭を撫でた。完全に子供扱いだよなと不満に思いながら、甘やかされている自分が妙にくすぐったくて、嬉しくも思う。

「いくつになるんだっけ」

「17だよ」

「若っけーな」

「ガキだって言いたいんでしょ?」

「だな。十代なんてほんと子供だよ。俺もそうだったな。自分じゃ一人前だと思ってんだけど、そう思ってる事自体が子供なんだよ。周りが見えてねーってかさ」

「千紘さんも?」

「だれだってそうなんじゃね?大人になって振り返ってみなきゃ見えねえもんだしな。まあ、見えてないからこそ出来る事ってのもいっぱいあるから、それはそれで必要なんじゃねえの?」

 珍しく真面目にそんな人生論を語った千紘は、少し恥ずかしくなったのかコーヒーをがぶ飲みした。

「ガキはガキでいいってことよ。みんなのアイドルちゃんは可愛いままでいればいいよ」

「な、なんだよ。結局馬鹿にされてんじゃん、俺」

 可愛いなんて言われてときめく俺はほんと馬鹿だ。単なる冗談だろうけれど、可愛いやつだと思ってくれているのかななんてそんなささやかな期待をしてしまう。

「ごちそうさま。帰る」

 疲れた体に染み渡る紅茶を飲み干して、俺は立ち上がった。

 いつまでも隣に座っていたいけれどそういうわけにはいかないので、名残惜しむ気持ちを振り払って店のロゴが入ったビニール袋にもらったプレゼントを詰め込んで帰り支度をしたのだけれど。

 むしろ千紘の方が別れを惜しむみたいに俺の様子をゆっくりと目で追っているのに気付いて落ち着かない。

(な、な、なに?なんで見られてる!?)

 別に悪い事をしているわけでもないのに妙に後ろめたい気分になるのはなぜだろう。

「じゃ、じゃあ千紘さん、また明日」

「諒太郎」

「は、はい」

 妙に艶やかな低い声で呼ばれて、思わず姿勢を正した。

 立ち上がって歩み寄ってきた千紘はポケットからするりと小さな包みを取り出した。

「これ、やる」

「こ、れは?」

「見ての通り、誕生日プレゼントだ」

「えっ、俺に?」

「今日誕生日なのはお前しか知らない」

 多分ぽかんと口を開けて、俺はたいそう馬鹿な顔をしていたに違いない。千紘は少し不服そうな顔をした。

「あっ、ありがとうっ!千紘さん、俺の誕生日、知ってたんだ」

 さっき晋平と話していたときもそんな素振りは少しも見せなかったのに、これは明らかに前もって用意した贈り物だとわかるから。

「バイト始める時に書類書かせたろう。店長の俺が知らないわけがない」

 言われてみればそれはそうなのだけれど、だからといってそれを覚えていてプレゼントを用意してくれるというのは決して当たり前の事ではない。

 嬉しい。

 嬉しい。

 今日もらった誰のプレゼントよりも嬉しい。

 だってそこには明らかに俺に対する愛情があるのだから。

 愛情の種類なんてどうだっていい。ただ俺を少しは大切だと思ってくれているのだと、その気持ちが感じられるのが嬉しい。

 今日俺にプレゼントをくれたたくさんの人たちと同じように、千紘にも愛されているのだとうぬぼれてもいいのだろうか。

 お前は愛されているなと先ほど頭をなでられた事を思い出す。あそこには千紘も含まれていたんだろうか。

「ねえ、あけてもいい?」

「おお」

 長四角の包みを開けると入っていたのは黒いベルトに黒いフレーム、黒い文字盤にシンプルな白い数字が書かれたシックな腕時計だった。

「ち、ひろ、さん。なんかこれ、すごく高そうなんだけど…」

 多分、高校生が手にするようなものではない。時計の価値とかブランドとかそんな知識は俺には一切ないけれど、それはなんとなくわかる。

「時計は男のステイタスだ。覚えとけ」

「いや、でも…」

「気にすんな。そんなもん以上にお前には稼がせてもらってるよ。高校生のお嬢ちゃんたちに大人の差を見せつけてやんねえとな」

 にやりと嫌らしい顔で笑うと、千紘は空になったカップを三つ指に引っ掛けて背を向けた。

「気をつけて帰れよ」

「ありがとう、千紘さん。大事にする」

「ケーキが食えりゃ簡単だったんだけどな。おまえ面倒臭い奴だな」

 最後に意地悪な言葉を置いていかれたけれど、どうしようか悩んでいる千紘の姿を想像したら叫びだしたくなるほどときめく。

 俺の事思いながら、どんな顔でこの時計を選んでくれたのだろう。

 早速その時計を腕に付けた俺は、誰もいないのをいい事にそいつに愛おしげにキスをした。

 物をもらうのは疲れるだなんてさっきまで思っていたのに、たった一つのプレゼントでこんなにも180度態度を変える自分に苦笑する。

 みんなには申し訳ないけれど、好きな人からのプレゼントというのはこんなにも特別なものなのだ。

 もちろん、こんな高そうなものをもらってしまっていいのだろうかという思いはあるけれど、そんなもの凌駕してしまうほどに嬉しいのだ。

 こんなにも、こんなにも、俺にとって千紘が特別なのだと自分でも思い知る。

 最高の誕生日だ。

 この世に生まれて、そしてこうして今千紘の近くにいられる事を俺は何の記憶もない両親に感謝する。



<終>

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