ハプニング3-sideS
こういう時、妙に朝早く目が覚めてしまうのはなぜだろう。
薄く差し込み始めた光に目を開け、枕元の時計を見ると、まだ朝六時。
隣のベッドでは久間がこれぞ大の字!みたいな格好でぐっすりと眠っていた。
夕べ、ベロベロに酔っぱらって部屋に辿り着くなり大いびきだった恋人は、夜中に一度起きたらしく、サイドテーブルに空のペットボトルが転がっていた。
その熊のような寝顔を愛しさたっぷりの目で見つめていると、その気配に気付いたのかうっすらと目蓋が上がる。
「…ん…」
「おはよう、クマくん」
「…あ、昨日はごめんね」
開口一番、久間は謝る。それがとてもおかしくて、思わず吹き出した。
だってきっと、夜中に目が覚めて、そのことを悶々と後悔したに違いないのだ。
なんて可愛いんだろう。
「なんで笑うの?」
「可愛いなあと思ってさ」
まだ寝ぼけ眼の可愛い熊さんにキスを落として、激しい寝癖の頭を撫でた。
「俺は何も怒ってないのに。昨日は楽しかったよ。っていうか、今もね、楽しいよ。俺、今から温泉行こうと思うんだけど、クマくんどうする?」
「ああ…ごめん、まだ起きあがれそうにない」
少しだけ頭を上げてみた久間は頭痛に襲われたのか頭を押さえた。
「完全に二日酔い…」
「じゃあ、寝てなよ。まだ六時だから」
「六っ!…早起き過ぎ…」
「じーさんで悪かったね」
笑いながら部屋を出ようとすると、ちょっと待ってと引き止められる。
「話しておきたいことがあって」
そんなに慌てて一体なんだろうと久間のベッドサイドに戻った俺はその後、俺が幸せに眠っていた間に起こった驚愕の事実を耳にすることになる。
「うわぁ~、ほんとに?」
俺は思わず頭を抱えた。
「やってくれちゃったな、ちーさん」
当事者でもないのに、この背筋が冷たくなるような感覚はなんだろう。
「教えてくれてありがとう。俺に話しにこなかったって事はきっと口止めされてるよね」
「いや、まあ、たまたま俺と遭遇したからだと思うけど、内緒って言ってた。でも俺が抱えててもしょうがない話だと思って」
俺が知ったところで俺だって第三者なのだからどうすることも出来ないと思うが、それでも久間よりは二人の近くにいる。何か多少なりともフォローすることはできるだろう。
恋人の賢明な判断に感謝した。
「あぁ~」
ピンと足を伸ばしても壁まではほど遠い広い湯舟に身を沈め、オヤジくさく大きな声を出した。
温泉の朝風呂というのはなんとも贅沢な気分がして好きだ。
他の客は誰もおらず、この広い空間を一人占めだ。
静かな中に自分のたてる水音だけが響く。
と思っていると、扉の開く音がして、誰かが入ってきたようだった。
残念、一人占めはこれでおしまい。
それでもお湯が気持ちいいことには変わりない。
「おお、晋平」
一人の時間を楽しもうとあえて気にせずにいたその人に名を呼ばれて振り向くと、思いっきり寝起きの顔をした千紘だった。
「ちーさん、おはよう」
「早えなあ、お前。あんだけ飲んでもスッキリした顔しやがって」
千紘の方はまだ酒がぬけきっていないのか、渋い顔をして洗い場に向かっていった。
「ねえ、ちーさん」
こちらに背を向けて体を洗い始めた千紘に向かって声をかける。声が大きく響くが、他の客はいないからいいだろう。
「諒ちゃんにキスしたんだって?」
唐突でストレートな俺の言葉に千紘は手にしていたシャワーを取り落とし、放たれたシャワーヘッドが水の勢いで跳ね回った。
「何の話だ?」
千紘は手早くそれを拾って何でもないように取り繕ったが、動揺したのは明らかだった。
覚えていなくて驚いたのか、それともわかっていて俺にばれていることに狼狽えたのか。
「ちーさん、酒入るとキス魔だもんね」
そういうクセがあることは、長い付き合いでよくわかっている。俺自身も何度も被害にあっている身だ。
「だけど諒ちゃんはまずかったんじゃない?」
酔っぱらうと自分が身内だと思った人間に対して過剰な愛情表現をするクセがある。おそらく今回もそれが発動してしまったんだと思うが、もしかしたら千紘も諒太郎に好意があるのかもしれないなんていう思いも胸の中にほんの少しだけ存在する。
それぐらい、千紘は普段から諒太郎を大事にしているように晋平には見えるのだ。
だからこそ、諒太郎にたいしては自制がきくだろうと思っていた俺の認識が甘かったということか。
「俺が何とかするべきだったのかなあ」
知っていただけに、久間から話を聞いて、俺も後悔の念に苛まれていた。
「しかもね、どうやら諒ちゃんは、誰かと勘違いされたと思ってるらしいよ。そういう相手がちーさんにはいるんだって思ったみたい。なんか諒ちゃんらしい結論だよね。明るいようでいて案外あの子の思考は後ろ向きだからなあ」
そこの所が問題なのだ。実はキス魔でね、なんて今更告げてみたところで、そういう疑念はきっと胸に残る。だって諒太郎は千紘の事が好きなのだから。
普段から意地悪ばかりされている千紘の言葉の何が真実かなんて、純粋な諒太郎には見分けがつかないだろう。
あまりにも気の毒だ。悪い大人に恋をしてしまったものだ。
俺にすら真実を告げないままに体を洗い終えた千紘は、俺の隣に身を沈め、大きく伸びをした。
「呑気だね、ちーさん」
報われない諒太郎を思い、ため息を一つ。
「お前さ、昨日の今日でその情報量、何?あいつまだ寝てたぞ」
「それがね、どうやら夜中にクマくんの悩み相談が行われたらしいよ」
「は?間に久間が入ってんのか?どんなだよ」
「だよね。俺も朝からビックリだよ」
千紘の表情からは何もうかがえない。どうやら話す気もないらしい。
長年付き合っても千紘のポーカーフェイスは読み解けない。長年の経験から想像することはできるけれど、真実がどこにあるのかはわからない。
「俺、諒ちゃんにフォローしとこうか?」
「いや、いい」
自分で何かしらのフォローをするつもりなのか、それとも。
この先の諒太郎を憂いて、ため息をもう一つ。
千紘が何もするなというなら俺は何もしないけれど。
一体千紘はどうするつもりなのだろう。
「なんでもいいけど、お父さんにだけはばれないようにしてくれよ。今更一つ手が減るのは辛いんだからな」
「ああ」
いつもより口数が少ないのは、二日酔いのせいなのか、柄にもなく思い悩んでいるからなのか。
「虐めるのもほどほどにね。さて、俺はもう出ようかな」
千紘をひとり残して風呂を出た。
この先どうなるのか気になるが、ここからは俺の出る幕ではない。本人達に泣きついてこられない限りはあまり深くは干渉しない方がいい。
さて俺は二日酔いの久間をどう介抱してやろうか。
あれこれ楽しい想像をしながら、少し温まり過ぎた体には心地良い朝の空気に包まれ、恋人の眠る部屋に戻った。
<終>
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