ハプニング2-sideK

 なぜだか恋人の職場の慰安旅行に同行することになった。

 とは言っても、俺たちの他は店長とバイト君だけで、ただのちょっとしたグループ旅行みたいなものだ。

 基本的に休みが違う晋平と旅行なんてなかなかできるものではなく、よその慰安旅行についていくなんていうのはちょっと微妙だけれど、俺にとっては嬉しいものだった。

 バイトの諒太郎とは初対面だ。話にきいていた通り、可愛らしくて華がある少年だった。オジサン3人に混ざってかなり異色な組み合わせ度をアップさせている。

 店長の千紘とは何回か顔を合わせたことがあった。彼は腹立たしいほどに、いつ見てもいい男だ。俺が勝てそうなのは体力ぐらいか。

 俺の方がだいぶ年下であるとか、こんなナリをして女々しい性格とか、晋平との付き合いにおいての俺のそういうコンプレックスの部分を見事にクリアした千紘は、職場が同じなだけに当然俺よりも長い時間を共有しているし、そもそも付き合いの年数も全然かなわなくて、どうしても俺の妬みと羨望の対象になってしまう。人間的には千紘のような男はすごく好きで、晋平との関係がなければ素直に尊敬出来ただろうと思うだけに、余計に悔しい。自分の器の小ささが際立つ。

 体育会系で鍛えた酒の飲み方ならばもしかしたら勝てるかもしれないと温泉旅館の宴会場で勝負を挑んでみたが、憎らしいことに千紘は酒にも強いらしく、やがて俺の方が撃沈した。

 勢いで、かなりふらふらになるまで飲んでしまった。

 せっかく晋平と二人きりの部屋に入ったのに、瞬時に爆睡してしまうほどに酔っぱらっていた。

 ふと気付いた時には部屋中真っ暗に静まり返っていて、隣のベッドで晋平が眠っていた。

 どれぐらいの間、俺は落ちていたのだろう。自分の失態に頭を抱える。千紘に挑んだ挙げ句これでは本末転倒と言うか、あまりにもダメすぎる。

 後悔でいっぱいの重たいため息を吐いて起き上がる。

 喉が焼け付くほどに乾いていた。

 部屋の冷蔵庫を開けてみたが、備え付けの飲み物はないらしく空っぽだった。そもそも電気だって入っていない。

 そういえば廊下の端に自販機が並んでいたなと思い出し、晋平を起こさないように静かに部屋を出た。

 そんなに長い時間ではないと思うけれど、熟睡したためにずいぶん酔いからは回復している。足元がふわっとする感覚はなく、ただ頭が少し痛かった。


 暗めの照明に照らされた誰もいない夜の廊下を進むと、自販機コーナーに少年が座っている。

 見知った顔なのだけれど、一瞬自分の記憶を疑うぐらい別人の雰囲気の諒太郎だった。じっと俯いて、俺よりももっと重たい空気をまとっているのが遠くからでも見て取れる。一体どうしたのだろうか。

 正直、声をかけていいのかどうか迷う。

 けれど、目的地はそこであり、共に旅行している相手に声をかけずに戻るのもおかしな話である。

「こんばんは」

 そんな他人行儀な声をかけてミネラルウォーターのペットボトルを一本買った。

 ガタンと自販機の音が妙に大きく響いた。

 目的は果たしたけれど、さて、どうしたものか。

 基本的に口下手で、人の相談に乗ったりするのは不得手な方だ。けれどこのまま放っておくのも大人としてどうかと思う。ましてや恋人が大切に思っている人物であるのだ。

 少し躊躇った後、俺は覚悟を決めて諒太郎の隣に腰を下ろした。

 そして冷たい水を涸れた喉に流し込む。

「喉、乾いちゃって…。ちょっと飲み過ぎたな」

 半分ぐらいを一気に飲み干し、自販機コーナーに座っていながら何の飲み物も持っていない諒太郎に気付く。

「飲む?」

 差し出してみたが、首を横に振られた。

 何をどう切り出したらいいのかわからず悩んでいると、やがて諒太郎から口を開いた。

「ねえ、久間さん。あのさ、ちょっとだけ話きいてもらってもいいかな。ほんと、あの、横で聞いていてくれればいいんで。右から左に抜けてもらって全然構わないんで。ていうかむしろスルーしてくれた方がありがたいぐらいで、だったらなんで話すんだってことなんだけど、なんかこう、どうにもならなくてさ」

 随分と混乱しているらしい。言っていることも支離滅裂だけれど、なんとなく気持ちはわかる。

「いいよ。俺もどうせすぐには眠れそうにない」

 本当の事だ。どうせ後悔に苛まれて、穏やかに眠れなどしない。

「ありがとう」

 少しだけ安心したような表情を見せて、けれどまだ何をどう話したらいいのかわからないのか、しばらくの沈黙が続く。俺はそれを促すでもなく、ただのんびりと残りの水で喉を潤しながら待っていた。

「あのね、千紘さんに、その、キスされたんだ」

 出てきた言葉はあまりにも衝撃的で、俺は吹き出しそうになった水を懸命に飲み込んだ。

(なにやってんだ、あの人は)

 酔っているとはいえ、こんな子供になんて事をと憤りを覚えながら、そういえばこの子は千紘の事が好きなんじゃなかったっけという事実にふと気がついた。確か晋平がそう言っていたはずだ。

 ならばなぜ諒太郎はこんなに暗く沈んでいるのだろう。むしろ喜ぶべきことではないんだろうか。

 そう思ったが、晋平が俺にそんな秘密を話していたと知れるのはあまり誇らしいことではなく、晋平の名誉のためにも「好きなんじゃないの?」なんてこちらから聞くわけにはいかない。

 仕方なくだんまりを決め込んでいると、慌てたように諒太郎が続ける。

「いや、あのね、酔っぱらっている上に寝ぼけてたからね、別に俺をどうこうしようっていうんじゃなくて、人違いをしたんじゃないかと思うんだ」

「人違い?」

「俺は知らないけど、きっと千紘さんには大事な人がいるんだよ。だって俺は、千紘さんのあんな顔、見たことないもん」

 諒太郎は声を震わせ、ぐっと唇を噛んだ。

 なるほど、だいぶ事情はつかめた。

 千紘の行為に別の誰かの影を感じてしまって落ち込んでいるというわけだ。

(まったく、厄介なことをしてくれたもんだ)

 千紘の事情なんてもちろん俺は知る由もないけれど、繊細な年頃の少年をこんなふうに悩ませるのはよくない。晋平いわく、千紘だって諒太郎の気持ちには気付いているに違いないのに、あまりにも配慮が足りない。

(でもそこまで飲ませたのは俺か)

 少しだけ自分も責任を感じなくもない。

 どうにかして少しでもその心を軽くしてやれたらと、言葉を探した。

 うまく慰める技術は残念ながら持ち合わせていない。

 それでも何か、こんな俺にでも泣きつかずにいられなかった少年を少しだけでも勇気づけてあげたい。

 あんなに明るく笑う子に、こんな顔をさせていたくない。

「千紘さんが誰か他の人を思っているのだとしたら、それは悲しいことだけど、でもその事実がわかっただけで今までと何かが変わるのかな」

 こんな自分でもそれなりに恋愛の経験はある。悲しい経験の方が多いぐらいだ。伝えられることを必死で言葉にまとめて伝えてみる。

 諒太郎は少し驚いた顔で俺を見ていた。本当に聞いてもらうだけのつもりだったのだろうか。俺が何かアドバイスをくれるなんてまるで思っていなかった顔だ。失礼なやつだ。でも自分でもそう思う。こんなふうに誰かの恋愛相談に答えるなんて初めてだ。

「これまでの千紘さんの君に対する気持ちは君が感じた通りのままだと思うし、君の思いだってそうじゃないのかな。えっと、その、君の片思いなんだろう?」

「…うん」

「千紘さんに恋人がいるのなら諦めるつもり?」

「…それはたぶん、無理だと思う」

「それなら何を悩むのかな。ただ一つ事実を知っただけで何も変わらないと思うけど」

「そっか」

「悲しいのはしょうがないけど、これだけ落ち込んだからもういいんじゃないかと思うよ?酷い顔だ」

 元気づけるようにポンと頭を撫でてやると、諒太郎は目をぱちくりさせた。

「そんな酷い?」

「人見知りな俺が話かけずにいられないぐらいには」

 口下手なこの俺がまさかなと自嘲気味に笑うと、諒太郎の顔にも笑みが浮かぶ。

「ああ~、俺らしくないな」

 気合いを入れるように自分の両手で頬を叩いて諒太郎は立ち上がった。

「千紘さんが優しくないのなんていつもの事だ。ありがと、久間さん。しゃべったらすっきりした」

 曇りのない笑顔を見せる諒太郎を見て、だからこの子は人気があるのだと妙に納得した。

 大人相手に辛い片思いをしているだろうに、一片の曇りもない。ただ真直ぐに人を想う、それは簡単なようでいてとても難しい。

「おやすみなさい、久間さん。あっ、今の話、内緒だからね」

 ひらひらと手を振る諒太郎に右手を軽く上げて返した。

(すっきりしたのはしゃべったからか…)

 残念ながら俺のアドバイスのおかげではないようだ。

「まあ、そんなもんだ」

 心にためているものは吐き出すことで楽になれる。喋るという行為は案外すごい力を持っている。

 俺は苦手だからいけない。

 そんな反省を胸に、俺も部屋に戻る。

 朝起きたら晋平に謝ろう。

 今の話は、内緒だといわれたけれど、晋平には伝えておいた方がいいだろうか。



<終>

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