ハプニング1-sideR

「ちーさん、慰安旅行に行こう!」

 言い出したのは晋平だった。

「は?」

 千紘はさほど乗り気ではなさそうに眉を顰めた。

「諒ちゃんも入ったことだし、ね?」

 晋平いわく、数年前に同じことを言った時には「お前と二人で旅行して何が楽しい」と断られたのだそうだ。

「俺と二人じゃないならいいんだろ?ほら、諒ちゃん今夏休みだから、平日でもいけるじゃないか。今がチャンスだよ!たまには従業員を労ってもらわないとさ、諒ちゃんもこき使われるばっかじゃ嫌になっちゃうよね」

「このお祭り男が…」

 ここぞとばかりにまくしたてる晋平にあきれた様子の千紘だったが、その視線が答えを求めるように俺に向けられた。

「お、俺は…楽しいのは大好き!」

 ニッカリ笑って親指を立ててみる。

 千紘と一緒に旅行だなんて、断る理由はどこにもない。

 そんな楽しそうなこと、乗らないわけにはいかない。

 きっとこんな俺の反応も晋平の計画のうちなんだろうなと思いながら晋平を見ると、こっそり手を叩いてみせたりしていた。

「諒の親御さんの了承がとれたらな」

 期待に満ちた目で囲まれた千紘は、ため息まじりにそう呟いた。

 俺はもちろん全力で両親を説得し、そして慰安旅行は実現した。

 定休日以外に休みは取れないので、定休日前日の閉店後に出かけるという強行軍だ。

 近場の温泉宿に、俺と千紘と晋平と、そしてなぜか車提供&運転手として晋平の恋人だという久間の4人で宿泊することとなった。




 小さな宴会場に並んだのは予想以上に豪華な料理。

 千紘は渋っていたわりに、決まってしまえばかなり張り切っている。

 お金を稼ぐことに関してはものすごく執着するけれど、ケチなわけではないのだ。使うために稼ぐというのがモットーらしい。

 とはいえ、派手な生活をしているわけでもないし、何に費やしているのかは知らないが。

(酒代、とかなのかな)

 隣で千紘の飲みっぷりを見ていてふとそんなことを思った。飲んで騒ぐのは好きっぽい。

 そうして夜毎、遊ぶ相手を見つけていたりするのだろうか。

 そんな想像をして落ち込んだ。

 俺もちょっとぐらい飲みたいなと思う。時々、父には内緒で家で幸喜と飲むこともあるのだ。自分的にはわりといける方だと思う。けれど、

「未成年はジュースで我慢しなさい」

 千紘はまともな大人みたいに俺にそう言い聞かせた。

 自分は飲み放題酔っぱらい放題のくせに。

「いいじゃん、ちょっとぐらい」

「だーめ。親父さんにばれたらおまえ、強制送還の上、強制退職だぞ」

 千紘の言葉に俺は震える。

(それは言えてる。つーか、なんでこの人、人の父親の性格まで知ってんの?)

 この旅行の許可を取るのだって大変なものだったのだ。確かにここでお酒はかなりまずいかもしれない。

 仕方ない、若さでテンションを上げていこう。

 俺は諦めて素面のままどんちゃん騒ぎに加わることにした。


 今日が初対面だった久間は、名前と同様に見た目も熊みたいに大きく強そうな人だった。

 その久間がなぜか千紘に対抗心むき出しで、いつの間にか二人で飲み比べみたいなことになっている。二人とも豪快に酔っぱらってしまってさすがに素面な俺はちょっと引いてしまう。

 同じようなペースで飲んでいるものの、一人いつも通りニコニコと顔色一つ変えない晋平の隣に俺は移動した。

「二人はいつもあんななの?」

「面識はあるんだけど、お酒を飲んだのは今日が初めてだからね。俺も正直ちょっと驚いてる」

「なんていうか、久間さんが千紘さんにライバル心むき出しみたいなふうに見えるのは俺の気のせい?」

「ああ…」

 晋平は苦笑いをして頭を掻いた。

「ちーさんとは付き合い長いし深いじゃない?だから、なんかアイツには負けたくないみたいな妙な気持ちがどうしても湧いちゃうみたいなんだよね。あ、俺のろけちゃった?」

 ご機嫌に目尻を下げる晋平。嫉妬されるのは嬉しいものらしい。

「晋平さんと千紘さんってそもそもどんなつながりなの?」

 長くて深い付き合いだなんていわれると、俺だって気になってしまう。

「高校の同級生だよ。話したことなかったっけ?といっても学校では話をしたこともなかったんだけど。俺とちーさんってタイプが全然違うから、つるむ友達も全然かぶらないし、同じ教室にいても関わることがない感じでさ、必要以上のおしゃべりなんてしようとも思わなかったんだ」

 普段通りに見えるけれど、晋平にもお酒の影響は現れているのだろう、いつもより饒舌な昔話が始まった。

 すると、興味津々とばかりに久間が身を寄せてきた。恋人である彼もこの話は聞いたことがないらしい。

「それがある日、あれいつ頃だったかな、まだ卒業する前だったと思うけど、えーとなんて言えばいいのかな、まあいわゆるそっち系の店でばったり顔をあわせちゃったんだよね」

 多分俺にたいしての気遣いで言葉を濁したが、要するに男性同士の恋愛嗜好の人が集まるようなところらしい。

「おお、あん時は衝撃だったなあ」

 千紘もいつの間にか話に参入してくる。

「晋平は優等生で人望も厚くて、俺なんかとは別次元の人間だと思ってたんだ。まさかあんなところで出会うとはな。しかもがっつり男連れで、興味本位で覗いてみましたみたいな軽い感じじゃなかったもんなあ」

「お互いに違う相手といたんだけど、そっちのけで話し込んでたね。なんか妙に嬉しくてさ」

 少数派な嗜好であるため、同類の人間に出会えるのは稀であるらしい。そのための場所に行けば出会いはいくらでもあるが、普段の生活の中で偶然出会った人が同じ趣向であるというのは、そしてそのことをお互いに偶然知り得るということは、それこそ奇跡のようなものだという。周りにたくさんあふれている俺のケースは特殊すぎるのだと笑われた。

「話してみたら意外と気が合ったし、今までの無関心だった時間を取り戻すみたいに延々しゃべってたなあ。それ以来学校でもつるむようになって、周りに驚かれたっけ」

 二人の高校時代はどんなふうだったんだろうか。

 高校生でそんな店へ足を踏み入れるぐらいだから、今の自分に置き換えて想像するのは間違っているかもしれない。けれど、きっと自分の趣味嗜好であれこれ悩んだ結果そこへ行き着いただけであって、最初から何かが違っているわけではないのだろう。

 知り合った時から既に大人だった二人が今の自分と同じ子供だった頃なんて想像がつかない。無理に想像しようとすると変なコスプレみたいになってしまっていけない。

 それでも、些細なきっかけで驚く程仲良くなってしまう思春期特有の熱さみたいなものは理解できる。

「あのさあ、同じ嗜好同士とわかって、それだけ仲良くなって、二人が付き合ったりしたことはないの?」

 どうせみんな酔っぱらっているし、と、少し大きな気持ちで、素朴だけれど結構怖い疑問をぶつけてみる。

 すると俺を押し退けるぐらいの勢いで久間がその質問に食い付いてきた。あれだけの対抗心を見せるのだから、そういう疑念も持っているに違いない。

 それは全然構わないのだけれど、俺の肩をぐっと掴んだ手がかなり痛い。酔いで力加減がわからなくなっているんだろう。

「ああ、それはないね。なんでか恋愛感情わかないんだよね。一度ふざけて付き合ってみる?なんて話をしたこともあったけど、お互いに『それはないな』って即答したよ」

「タイプじゃねえし」

 二人はざっくりと笑い飛ばした。それはまあ、男であれば誰でもいいわけじゃないんだから、友情以上にはならない関係だってあるだろう。そもそも男同士の間に熱い友情が芽生えるというのは、そちらの方がむしろ健全で自然なのだから。

 二人の答えに少し安堵している自分がいた。かつて関係があったなんて言われたら、明日からどんな顔をして仕事をすればいいのかわからなくなる。

 たとえ過去に関係があったからといって、それが現在の俺たちの何かを変えるわけれはないけれど。

「さあ、そろそろお開きにしようか。二人とも限界だろう?ほら、クマくん、それ以上やったら諒ちゃんの肩が壊れるからさ」

 酔っていてもしっかり気が回る晋平は、俺のささやかな苦痛を解放し、ふらつく久間を支えるようにして宴会場を後にした。

「千紘さんも、手を貸す?」

 千鳥足の見本みたいな足取りの千紘に手を差し出してみたが、きっぱりとお断りされた。

「なんてことないさ。お子様の手は借りねえよ」

 悔しいので後ろからこっそりと「転んでしまえ」と念じてみる。そんな超能力も魔力も持ち合わせていないので何事も起こらなかったけれど。




 部屋は当然のように晋平と久間、千紘と俺に分けられていた。二人が恋人同士だということが公認である以上、これはどうしようもない。

 残り物の福とばかりに俺に転がり込んできた千紘と同じ部屋に二人きりで泊まるという状況。

 先を行く千紘の後を追って部屋に入り、背後で重いドアが閉じると急に緊張した。

 けれどそんなことを思っているのはきっと俺だけで、千紘にしてみればガキのお守りというだけのことなのだろう。

 千紘は部屋に入るとそのままベッドに倒れ込んでしまった。ずいぶん酔っぱらっていたようだけれど、大丈夫なのだろうか。

 実を言うと、酔っ払いというものを身近で目にするのは俺の人生でこれが初めてだ。父は飲んでも厳格さを失わない人間であるし、幸喜は体が弱いので酔っぱらう程の量は口にしない。

 だから、酔った人間に対してどう対処したらいいかなんてわからない。別に何かを必要とする状態でもなさそうだから問題はないのだけれど。

 このまま放っておいていいのかなあ、水が飲みたかったりするのかなあ、なんて少し室内を意味もなくうろうろしたが、結局思い付くことなど何もなかった。

 気がきいたことなんて何も出来ない。だから子供なのだと痛感する。悔しい。

 歯磨きもせず布団もかぶらず既に寝息を立て始めている千紘の顔を、ベッドの脇に屈んでじっと見つめた。

 せっかく同じ部屋に二人きりなのに、ドキドキする楽しみを与えてくれることもなく眠ってしまういじわるな大人のだらしない寝顔を目に焼きつけてやるんだ。

 完全に無防備な状態の千紘は、確かにだらしなくはあるけれど、それでも必要以上に俺をときめかせた。こんな顔は見たことがない。

「千紘さーん」

 枕元に頬杖をついて、小さく呼んでみた。それだけでなぜかすごく幸せな気分になれる。

 寝起きを共にする間柄みたいなバカげた妄想をしてしまう。

 そんなこと、あるわけがないのに。

「千紘さん、布団ぐらい掛けたら?風邪ひくよ?」

 反応なんてないとわかっていながら、そんなふうに声をかけてみる。

 完全に千紘の体の下敷きになっている掛布団をどうにかするには俺の力では無理だ。

 夏だし、エアコンの温度をもう少し高くすれば風邪はひかないだろうと立ち上がろうとしたその時だった。

 不意に動いた千紘の手が俺の首に回され、ぐいと引き寄せられた。

 あまり焦点のあっていない寝ぼけ眼で俺を見ると、軽い音を立てて俺に口づけ、そして見たこともないような甘い顔で微笑んだ。

 一体何が起きたのかと、俺の脳が理解する前に千紘は再びどっぷり夢の中。

 重くのしかかる千紘の腕を退けて、俺はそのままその場に座り込んだ。

 こういうのを腰が抜けたというんだろうか。立ち上がる気力を全部剥ぎ取られた感じだ。

(待て、俺。よく考えろ)

 パニックを起こす頭の中をひとつひとつ解いて整理する。

 そしてようやくキスをされたのだと理解した。

 理解した途端に顔から火が出そうなほど熱くなる。

 柔らかな唇の感触が、自分の唇の上に残っている。

(まさか!どうして?)

 その答えは全くもって不明だ。

 酔っぱらっていて更に寝ぼけていたというフィルターをかけたとしても、なぜ俺に?というところで引っ掛かってしまう。

 そうして辿り着く結論は。

(誰かと勘違いした…?)

 そんな悲しい事実だった。

 あんなふうに、ベッドで優しく口づける相手がいるという事実。

 以前、今はそういう相手はいないと言っていたけれど、そんなの真実かどうかなんて俺には知る術もない。千紘の言葉のどこまでが本当でどこからが嘘なのか、俺には全くわからない。

 だけど、多分いるのだ。酔っ払っていて寝ぼけていて、つい素が出てしまったのかもしれない。

 俺なんかには見せたことのない、あんな優しい顔を見せる相手がいる。

 そう気付いてしまったら、涙がこぼれた。

 パニックを起こしたばかりの俺の脳は、抑制力を失っていた。

(やばい)

 千紘が目覚める気配はまるでなかったけれど、このままここで泣いているのはいたたまれなくて、部屋を出た。

 とにかく、気持ちを落ち着けよう。

 行くあてもなく、廊下の一角に小さなスペースが取られた自販機コーナーの椅子に腰を下ろした。

(何やってんだろ、俺)

 何をどこに落ち着けていいものか、さっぱりわからない。

(千紘さんのバカ)

 俯いて頭を抱えた。

 俺はこの気持ちをどうしたらいいのだろう。

 


<終>

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