俺のもの
いつものように女子高生で賑わう午後の店内で、そのテーブルだけが異質だった。
ケーキ屋など似つかわしくない少々強面の男性がたった一人でそこに座っていた。
年の頃は見たところ30前後、千紘や晋平と同世代だと思われる。
別に男性が一人でケーキ屋に入ってはいけないわけではないけれど、どうしても浮いてしまうのは否めない。
まあ、そんなことはどうでもよく、俺にとってはどんな人物であろうとたくさんの女子高生たちと同じく客の一人であるわけなのだけれど。
先ほどからずっと嫌な空気を感じているのは、彼の視線が俺を追いかけているからだった。
店に入ったときからずっと、なめるように俺を見ている。
やばい、狙われていると、本能で感じ取る。
今までの経験から、ああいう目は俺を性的対象として見ている場合が多いのだ。
それでも客は客。俺がこの仕事をしている以上、店員として接しなければならない。
運悪く、晋平は持ち帰りの客を相手に外側のレジに行ってしまっていて、フロアには俺一人だ。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
テーブルにおしぼりを置いた手をぐっと掴まれた。
「君、可愛いね」
「あの、お客さま…」
相手が客で、ここが店の中である限り、俺は強引にその手を振り払うわけにもいかず、なんとかそっと逃れようと静かに腕を引くが、男の力は強く、びくともしなかった。
「さすが千紘が見初めただけのことはある」
どうやら千紘の知り合いらしい。けれどだからといって心を許す気には一向にならない。
値踏みするような嫌らしい目が無遠慮に向けられている。
「でもまだ子供じゃないか」
俺の腕を掴んだまま反対の手で、脇腹から腰の辺りのラインを撫でていく。
全身に鳥肌が立つ嫌な感覚だ。
「ちょっと…、やめてもらえますか」
「気の強いのも可愛いね」
どう逃れようか、あれこれと考えを巡らす。
幸いここは少し奥まった一角で、ほかの客からはあまり目に付かない位置になっているから、少しぐらい騒ぎを起こしてもなんとかごまかせるかもしれない。
千紘には迷惑をかけてしまうかもしれないが、これ以上はさすがに耐えられそうもない。
そう思った時、俺の体が急にぐいっと後ろに引かれた。
そして背中に人の感触。
後ろから、俺の胸のあたりにまわされた腕が、がっちりと俺を抱き込んで、男の手から俺を引きはがしたのだ。
俺がどんなに腕に力を入れても取れなかった男の手があっさりとはがれた。
「うちはそういう店じゃねえぞ、米本」
ドスをきかせながらも静かなトーンの声の主は、千紘だった。
大好きな人の腕に抱かれる格好となり、俺の心臓は跳ね上がる。
頼りがいのあるこの腕に守られている安心感と、こんなに近く触れているドキドキとで、目の前のこの男がどうだとか、一気にどうでもよくなってしまう。
「やあ、千紘。可愛い子を雇ったって話を小耳に挟んでね」
「お前はほんと、毎度毎度鬱陶しいな」
千紘のため息が俺の耳元をくすぐった。
「だって、気になるじゃないか」
「俺のもんに手を出すなって何度言ったら分かるんだ」
ぎゅっと、俺を抱く腕に力が込められる。
自分の顔が熱くなるのを感じた。
俺のものだなんて、そんな風に言われるとは思ってもみなくて。
それはまるで、恋人を守るみたいで。
「だって、欲しいんだよ、君のものは全て」
「誰がやるか、阿呆」
千紘は米本と呼ばれたその男から俺を隠すみたいに、俺を自分の背後に押しやった。
「ここはいいから、向こう行ってろ」
「うん」
俺をかばってくれているのだとわかっているけれど、少し残念に思う浅ましい自分がいた。
もっと、その腕の中にいたかった。
けれど、米本から少しでも遠くに離れたかったこともまた事実で、名残惜しく思う反面、ほっとしてもいた。
言われた通りに大人しくこの場を離れようとした俺に、米本は千紘の体越しに顔をのぞかせ、少し声を大きくしてまだ声をかける。
「コーヒーと、何か君のおすすめのケーキを。君の好みでかまわないよ」
店員として無視はできない注文を寄越す。ずるい男だ。
立ち止まって振り向くと、千紘は右の拳を軽くテーブルに打ち付けて怒りを表現していた。
「残念だったな、あいつはケーキが嫌いなんだ。諒、コーヒーブラックで。それだけでいい」
「はーい」
「俺のものに手を出そうとした罰だ。甘いものは一切出さん」
千紘はテーブルの上のシュガーポットを持ち去り、まだそこにいた俺の背を押した。
どうやら米本は顔に似合わず甘党らしい。
俺にちょっかいを出す用事がなくても一人でこういうところに来てしまう男なのかもしれない。
さっきまであんなに嫌だと思っていたのに、なんだかその光景が滑稽で、さほど悪い人間ではないように思えてくる。
俺を狙っていたのも、ふりだけで本気ではなさそうだし、それであれば恐れる必要もない。
きっと、米本は千紘のことが好きで仕方がないのだろう。恋愛感情かどうかはさておき。
千紘の方も、怒っていながらも店から追い出したりしないのは、言うほどこの相手を憎く思っていないのかもしれない。案外、売り上げのためかもしれないけれど。
「悪かったな、諒。怖い思いさせて」
厨房に入ると、千紘はポンと俺の頭を撫でた。
「千紘さんの友達?」
「友達じゃねーよ、あんなの。ただ何かっていうと俺に絡んでくるんだよな」
大きく大きくため息をつく。
どれぐらいの付き合いなのかは知らないが、今までも相当困らされてきたらしい。
「気をつけろよ、あいつもあれだ、男が趣味のやつだから」
「あ、うん、それはなんとなくわかった」
「店の中でも遠慮しなくていいからああいう輩はぶっとばせ」
千紘はそう言ったが、さすがにぶっとばすのはどうだろう。
「助けてくれてありがと、千紘さん」
そう言うと、千紘は少し照れたように視線をそらした。
「晋平から、米本が店の中に入っていったって聞いてな。ほんとあいつすぐに人のものに手を付けやがるから、諒がヤバいと思って慌てて行ったんだ。まだ何もされてなくて良かった…何もされてないよな?」
「手を引っ張られて、ちょっと腰を触られたぐらいかな」
「な!そんなことしてたのか、あいつ」
汚れを払うみたいに、千紘は米本が触った辺りを手で払った。
大切にされているその感じがたまらなく嬉しい。
それに、千紘は俺のことをまた自分のものだと言った。
あの人の手前だから、だけでなく、千紘の中に確かにそういう認識があるのだと感じる。
それはなんて心地良い感覚なのだろう。
「ねえ、俺って千紘さんのものなの?」
浮かれてうっかりそんなことを聞いてしまった俺がバカだった。
「そりゃおまえ、従業員は店長のものだろうが」
とてもつまらない千紘の答えに、俺の浮かれていた気持ちは一気にたたき落とされてしまった。
俺はとびっきり濃くて苦いコーヒーを入れながら、ぶつけどころのない苛立ちを噛み締めていた。
一瞬でも夢を見てしまった自分が愚かだった。
千紘がそんな感情を俺に対して持っていないことなど、わかっていたのに。
ただ身内として認められていることを勝手に勘違いしただけだ。
「おまたせしました」
ぶっきらぼうにがつんと米本の前にカップを置いた。
「あれ?何か怒ってる?」
「俺はただの従業員ですから、勘違いで絡まないで下さい」
きつい口調で八つ当たりをした俺を、米本は呆然と見つめていた。
さっきまでの嫌らしい目つきはない。
多分、千紘をイラっとさせることができたことで米本は満足なのだ。
そんなことで振り回された俺の八つ当たりぐらい受ける義務がこの人にはあるはずだ。
「どうぞごゆっくり」
テーブルを離れながら、背後で「苦っ!」と米本が呻くのを聞いてにんまりした。
<終>
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