君にだけ恋する(4)

 ――その時だった。


 ガチャリという金属音が聞こえてきた。鍵がかけられたかのような音だった。はっとして私は立ち上がると、扉を揺らして開けようとする。しかし外から施錠されているようで、扉は動かない。


「さすがに閉じ込めるのはやばくないのー?」

「えー、死にはしないっしょ。いい気味ー! ね、もう行こう! キャンプファイヤー始まっちゃうよ」


 扉越しに聞こえてきたのは、女子ふたりのそんな会話だった。その後パタパタと足音が鳴って、静かになった。どうやらふたりは去ったらしい。


 ひとりの声にえらく聞き覚えがあった。「死にはしないっしょ」と言っていたのは、間違いなく牧野さんだった。


 私のことが気に入らない上に、彩斗くんにお誘いを断られた腹いせをしたのだろう。昼間の彼女の冷たい表情を思い起こす私。きっと私に嫌がらせをする機会を、常に伺っていたのだろう。


 状況を理解して、私は青ざめてしまう。自ら倉庫に入ったわけだけど、さっきまでは自由に出入り可能だったからだ。閉じ込められて自力で出れないとなると、話は全然違う。


 手袋をしていない手は、とっくにかじかんでいた。つま先も歩いている間に雪が入ったせいか、あまり感覚がない。


 ポケットに入れていたスマートフォンの画面を見たら、圏外になっていた。もともと山の中だから繋がりにくかったけれど、壁の厚い倉庫の中にいるためか、ますます電波が届きづらくなっているのだろう。


 すでにキャンプファイヤーは始まっている時間だった。恐らくそれが終わるまでは、ここに誰かが来ることは無いだろう。


 冷気がこもっているのか、外よりも倉庫内は気温が低い気がした。こんなところに長時間居たら、大変なことになってしまうかもしれない。


 倉庫内に窓はなく、出入口は牧野さんに鍵をかけられた扉のみ。自力で出るのは絶対に不可能だ。


 ――このままここで凍え死んでしまうかもしれない。


 牧野さんだってきっと、倉庫内がここまで寒いとは思っていなかっただろう。ちょっと私に意地悪をしたくて、鍵をかけただけなんだと思う。


いや……。昼食時に牧野さんの心の声を聞いた時、氷のように冷たい声音で驚いたことを思い出した。本気で、私がどうなってもいいと彼女は思っているのかもしれない。


 暗闇の中での寒さは、命の危機を感じた。きっと心細い気持ちが、寒さをさらに強く感じさせているのだろう。


 どうしようもなくなって、私は再度しゃがんで膝を抱える。少しでも体が冷えない様に小さく丸まるように。しかし口が震えて歯がカチカチとなった。


 そんなことをしているうちに。ーーここで死んだ方がいいのかもしれない。段々そう思えてきた。


 私は一生、人の心が読める自分の体質と付き合っていかなければならない。恋人を作ることも、結婚することも、そうなるとやっぱり難しいと思う。


 そんなつまらない人生、生きている意味があるのかな。


 私だって、みんなみたいに恋をして、好きな人と結ばれたかったのに。そんなの絶対無理だ。


彩斗くんだって、圭太に私のことを聞かされて、きっとドン引きしたに違いない。


 ――もう、どうでもいいや。


 投げやりになり、私はぼんやりと虚空を見つめた。ほぼ真っ暗なこの空間。まるで私の人生みたいだ、と卑屈になってしまう。


 その時だった。


 扉の方から物音が鳴ったかと思ったら、倉庫内が暗黒からほの暗い、と呼べるくらいまでの暗さになった。


「心葉!」


 彩斗くんの声だった。彼は、縮こまっている私の方へ駆け寄るなり、手を取った。


「大丈夫⁉ こんなところに閉じ込められて、怖かっただろ⁉」

「……うん。なんとか、大丈夫……」


 震える唇でそう答えながら、彩斗くんに引っ張られるような形で私は立ち上がった。


「うわ、ここ外より寒いじゃん! 早く出よう!」

「うん……」


 そのまま彼に手を引かれて、倉庫の外へと連れ出される私。やっぱり外の方が、いくらか温かかった。密閉された狭い倉庫内は、まるで冷蔵庫のようだった。


「はい、これ。少しは温かくなるよ」


 彩斗くんは、ポケットの中からホッカイロを渡してくれた。受け取って両手で包むように持つと、じんわりと手のひらが温まっていく。


「……彩斗くん、ありがとう」

 

 言いながら、彩斗くんが私の秘密を知ってしまったことを思い出してしまった。気まずくなって、私は彼から目を逸らす。


「どうして……。助けに来てくれたの。なんでここにいるって、分かったの」


 私のことなんて、もう気味が悪いって思っているはず。それなのになんで、あんなに慌てた様子で来てくれたのだろう。優しい彩斗くんのことだから、そんな私でも死んだらかわいそうだとでも思ったのだろうか。


 それに何故、私がここに閉じ込められているってわかったのだろう。


「そりゃ、当然助けに来るでしょ。さっき遠回しに言ったじゃん。俺、心葉のこと好きだから」


 ひどく優しく微笑みながらはっきりと彩斗くんは言った。嬉しさよりも、信じられないという驚きが私を襲う。


「ど、どうして? さっき圭太に聞いたでしょ。私、気味の悪い能力持ってるんだよ。もしかして、あまりにも突拍子もない話だから、信じてないとか? あれ、冗談でも嘘でもないよ」

「いや、普通に信じたけど」

「はあ⁉ なんでそんなあっさり受け止めてんの!」


 あっけらかんと言った彩斗くんの言葉に、私は食い気味で声を上げる。自分で言っていておかしいけれど、そんなことをすぐに素直に信じる人は少ないと思う。


「受け止められるよ。だって、もしかしたらそうかなって最初に心葉に会った時からずっと思ってから」

「え……?」


 言わんとしていることが全く理解できなくて、困惑してしまう。しかし彩斗くんは、ふっと、息を吐いて小さく笑った後、こう続けた。


「『なんでここにいるって、分かったの』ってさっき言ったよね、心葉」

「う、うん」

「心葉を捜しているときに、牧野さんとたまたますれ違ったんだ。あの人からめっちゃ黒い色が見えたから、また心葉に何かしたんだって思った。だから怒って問い詰めたら、教えてくれた。……すごい剣幕で怒鳴っちゃったから、泣かせちゃったのは、ちょっと後悔」


 てへ、という擬音語がしっくりくる、まるで悪戯っ子のようにお茶目に言う。

 そりゃ、意中の彩斗くんに怒鳴られたものなら、牧野さんもショックで泣いてしまうだろう。

 しかし、それにしても。


「牧野さんから、黒い色が見えたって……?」


 彩斗くんは前にもそんなことを言っていた覚えがある。社会の授業の発表会の時だ。私の発表の原稿を牧野さんが隠したことを彩斗くんが見抜いて、なんでわかったのかって聞いたら、『黒い感じがしたんだよね』って、その時言っていたんだ。


「俺も心葉と同じ。気味の悪い能力持ちなんだよ」

「え⁉」

「ちょっと違うけどね。心葉は触って人の心の声が聞こえるらしいけど……。俺は、その人の気持ちが色になって見えるんだ。俺のは共感覚って言うらしいよ」

「共感覚……?」


 俄かには信じられなかった。彩斗くんが私と同じ……? 人の気持ちが色になって見える?


 だけど、発表原稿紛失騒動や、今回の閉じ込められ事件のことを考えると、彩斗くんに私に似た能力があるということは納得できる。


「心葉は、心の声がその人に触った瞬間だけ聞こえるんだよね。俺は常に見えるんだ。常にその人の気持ちに合った色の靄が、その人の全身を覆っているように見えるんだよ。例えば、嬉しい時なら黄色、悲しい時なら灰色……何かよからぬことを考えている時なら、黒って具合にね」

「気持ちの色が……常に見える……」


 私は触った瞬間だけ。だから、人と触れ合わない限りはその人の本心を知ることは無い。だけど彩斗くんは、いつも気持ちの色が見えてしまうんだ。


 心の細かい声が聞こえる、というわけではないようだけど。それでも常時その人の心が、なんとなく分かってしまうなんて。


「そんなの、そんなのって……。ねえ、辛くないの?」

「まあね。昔はすげー辛かったよ」


 どこか悲し気に微笑むと、彩斗くんはさらにこう言った。


「仲良くしていたやつが、笑顔なのに灰色の靄がかかってたり。自分は何にもしてないのに、一方的に嫌われて黒い気配をぶつけられたり。一度や二度じゃなかったよ。心葉もその辺はよくわかると思うけどさ」

「――うん」

「そんな風に負の色が見えるたびに、怖かったよ。俺何か気に障ることしたのかなって。だからそんな色がなるべく見えない様に、人に合わせて過ごす毎日だった」


 私と同じだ。傍若無人の気質がある彩斗くんが、私のように他人の行動にびくびくして生きていたなんて、ちょっと信じられなかった。

 だけど「人の気持ちが見えてしまうから、なるべく悪意を生み出さないようにするために、自分を抑えて生きていく」という考えは、手に取るように理解できた。


ーーだけど。


「心葉、すごく不思議そうな顔してるね」

「え?」

「『じゃあなんで今のあなたは、あまり他人の気持ちを引っ張られずに過ごせているの』って、思ってるでしょ」


 私は神妙な顔つきになって、頷く。本当に不思議だった。どうして彼は、人の心に怯えない生き方ができているのだろう。


「本当に嫌な奴って、そんなにいないもんなんだよ。黒いオーラが見えた瞬間が、時々あったとしてもね」

「本当に嫌な奴……」

「誰にだって、人を嫌だなって思う瞬間はある。例えその人のことを大好きでも、愛しているとしても。何かの拍子にふと負の感情を抱いちゃうときってあるんだよ。心葉だって、あるだろ」

「……うん」


 さっきの圭太の行動を私は思い出した。私の秘密を彩斗くんに暴露した瞬間、確かに私は圭太に憎悪の気持ちを抱いた。なんでこんなことするの、酷い、信じられないって。

 だけど、やっぱり圭太のことは嫌いになれない。むしろ大好きだ。私のこんな能力を受け入れてくれた上に、好きだと言ってくれた。

 そんな優しい圭太を常に憎むなんて絶対にありえない。友人としての好き、になってしまうけれど。


「俺が何かやらかして黒い気持ちを抱いてた友達も、次の日に話したら黄色いオーラに包まれてた。常に俺のことを気に入らないって思っていたやつにも、勇気を出して話しかけて親しくなったら、そんな色は次第に見えなくなっていった。だから見えている気持ちの色に振り回される必要なんて、ないんだなっていつしか気づいたんだ」


 自分と同じような能力を持つ彩斗くんの言葉は、私の心にひとつひとつ深く刺さった。昔、悪意を向けられて落ち込んでいた時に、「あんまり気にしなくていいんじゃないの」って由梨に言われた時は「何もわかっていないくせに」って思ってしまったのに。


「喧嘩や嫉妬なんかで、黒い気持ちが見えちゃうのなんてしょっちゅうだよ。でもそんなのいちいち気にする必要なんてなかった。こっちが明るくまっすぐに接してれば、そんなのすぐに消えちゃうから。まあ、たまにずっと俺に黒い気持ちをぶつけてくるような奴もいたけどさ。そんなの少数だったし、どうしても合わない人間がいるのは、仕方のないことなんだよ」


 ――心葉はすべての人に、すべての瞬間好かれるつもり?


 以前にも彩斗くんはそう言っていた。言葉の節々から妙に説得力を感じたのは、彼が私と同じだったからなんだ。彼の実体験から出た言葉だったんだ。


「ってことで、俺は見える色をあまり気にしないことにした。その人から発せられた言葉と表情の方を重く信じるようにした。そしたらいつの間にか、気持ちの色が見えてしまう辛さなんて、ほとんどなくなっていたよ」


 懐かしむように彩斗くんは言う。人に振り回されていた過去の自分と、すでに決別しているのが分かった。


 そこで私は気づいたことがあった。人に触れなくても気持ちが色になって見えるということは。


 私が彩斗くんに恋をしていたってことを、とっくに気づいているってことなんじゃ?


「ね、ねえ。私はいつも、彩斗くんにどんな色を向けてた……?」


 恐る恐る尋ねる私。すると彩斗くんは、ゆっくりと首を横に振った。


「心葉の色は、見えなかったんだ。そんな人初めてだった。どんなに目を凝らしても、心葉の気持ちの色が見えた瞬間は無かった」

「え……!」


 驚きの声を漏らす。だって、私と一緒じゃない。私だって、唯一彩斗くんの心の声だけが、聞こえなかった。


「初めて会った時のことを覚えてる?」

「……うん」


 私が二学期のクラス委員を押し付けられて、嫌になって海に向かって叫んでいた時だ。思い出すと少し恥ずかしい。


「あの時、心葉の心の色がどうしても見えなくて。それが本当に不思議だった。ってか、心葉も俺の心の声だけ聞こえないんだっけ。もしかしたら、同じ能力持ちに限ってはお互いに見えたり聞こえたりしないのかもね」

「……そうなのかな。あの日、私も彩斗くんに海に落ちそうになったのを助けてもらった時にね。触ったのに心の声が聞こえなくて、この人何者なんだろうって思った」

「俺もだよ。気になって気になって仕方がなかった。俺が行く予定の学校の制服を着ていたから、学校で探そうって思った。まさか同じクラスで隣の席になるなんてね。すげー偶然だよね」


 そっか。あの時私は学校の制服だったから、彩斗くんはまた私に会えることを確信していたんだ。

 彩斗くんは私服だったから、私の方は「もう会えないのかな」ってちょっと落ち込んだ覚えがある。


「学校で会っても、やっぱり心葉の色は見えなくて。初日に俺、抱き着いたでしょ? 近寄ったらもしかしたら見えるんじゃないかって思ったからさ。でも、やっぱり見えなかった」

「……あの意味不明な行動にはそんな意図があったんだね」


 いきなりそんなことをしてきた彼を不審に思った覚えがある。だけど、意味があったとしても何の前触れもなく女子に抱き着ける人なんて、そうそういないんじゃないかと思う。

 やっぱり彩斗くんはどこか大胆で、肝が据わっている。


「それでさ、やっぱり色が見えない人間は俺にとっては初めてだったから、心葉のことがすげー気になってたんだ。それで見ているうちに、心葉が昔の俺と同じような行動を取っていることに気づいた」

「……人に嫌われないようにしている私の行動のこと?」


 彩斗くんは頷いた。


「それで、もしかしてこの子俺と同じような力を持っているんじゃないかって、段々考えるようになった。そしたらなんかさ、心葉のこと放っておけなくなっちゃったんだよね。マジで昔の俺を見ている気分だったから。でもさ、そのうちにまた気づいたことがあった」

「何?」

「心葉は『人の嫌な気持ちを知りたくない』って想いだけで、人に優しくしたり、頼みごとを聞いたりしてるわけじゃないって。この子はもともと優しい子なんだって」

「え……、違うよ。私はただ、波風立てない様したかっただけなの。絶対に優しくなんてない」


 私が優しいだなんて、とんでもない話だ。私は常に逃げていただけだ。誰からも嫌われない様に、変な方向に一生懸命だっただけだ。


「違くないよ。だって、俺の心は見えないんだろ? それなのに心葉は俺に優しかったし。俺が困っているって心配して、財布を交番に届けてくれた。雨の日に自分が濡れることも厭わず、幼い兄妹に自分の傘を貸していた。それにさっきの……圭太くんって言ったっけ。あそこまで好きになってくれるのは、心葉のいいところを彼が知っているからだよ」

「私のいいところ……」


 私にいいところなんて、あるのかな? やっぱり、そんなの無いように思える。――だけど。

 気の置けない付き合いをしていた由梨や圭太は、いつも私に優しかった。それは間違いなかった。

 心が読める読めないということは関係なしに、仲良くしてくれていた。


「心葉の優しさに気づいてさ。いつの間にか――好きになってたんだ。心葉のこと。本当に好きになった。初めてこの能力に感謝したよ。あの日心葉の気持ちの色が見えないことが、俺を心葉に結び付けてくれたから」


 はっきりと、断言するように彼は言った。大きな瞳でまっすぐに見つめられながらの告白は、心の声なんて聞こえなくても、私に深く響いたのだった。


「私も……私も、彩斗くんが。彩斗くんが、好きです」


 嬉しすぎて涙ぐみながら、私はたどたどしく言う。すると、彩斗くんは私とそっと手を繋いだ。優しい微笑みを私に向けて。私も彼に向かって、微笑を返す。


「あのね……。まだ彩斗くんのように、なかなかこの能力を気にせずにいるのは、難しいと思う。だけど、引っ張られ過ぎない様に、頑張ってみようと思った。自分の気持ちを一番大切にしていきたいって、思った」


 彩斗くんはゆっくりと深く頷いてから、こう言った。


「キャンプファイヤーの会場に、戻ろうか。花火始まっちゃうから」

「――うん」

「俺たちで伝説を実現させようよ」


 何気ないその一言。しかし、「キャンプファイヤーの時の花火を手を繋いで見たカップルは、将来添い遂げる」という伝説の内容を思い出し、恥ずかしさと嬉しさのあまり私は俯いてしまった。


「なんだ、照れてんの心葉」

「……! 照れてない!」

「いいよ、照れときなって。そういうとこ、かわいいって思う」


 ますます恥ずかしくなるようなことを惜しげもなく言ってくる。両想いになり、こんなことを言われるたびに心臓がドキドキしていたら、本当に早死にしてしまうんじゃないかとちょっと心配になった。

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