恋の伝説(4)

「あー、トランプ楽しかったねー!」

「うん、私も由梨ちゃんのクラスの男子達に混ぜてくれてありがとうね」


 消灯時間になり、私たちは自分達の部屋へと戻ってきた。部屋では、すでに布団に入ってお喋りをしている子達もいた。


 牧野さんも布団の上に座って、いつも一緒に居るメンバーで何やらキャピキャピ話している。彩斗くんにいろいろ言われたことを気にしている素振りはなかった。メンタルが強いようで羨ましい。


 結局彩斗くんから返事は来なかったな……。そう思いつつも、不具合やら通信障害やらで通知が遅れているだけなんじゃと、私は何度も彼とのトーク画面を見てしまう。


 男子部屋で数分前に確認したばっかりだけど、やっぱり気になってもう一度画面を見ようとした。――しかし。


「あれ……?」


 ポケットに入れていたはずのスマートフォンがない。何かの拍子に落としたのかと、周囲を見渡してみたけれど、やはりなかった。


 慌てて近くの布団をめくったり、荷物をあさったりしたけれど、見つからない。


 ひょっとすると、男子部屋に忘れてきてしまったのでは。


「どうしたの心葉?」


 私の落ち着かない様子を察してくれたらしい由梨が尋ねる。


「実はね、スマホを男子部屋に忘れてきちゃったみたいで……」

「え、マジ? 取りに行く?」

「でも、消灯時間もう過ぎちゃってるよ。男子部屋なんて行ったら、見つかって説教食らうかも……」


 中村さんが難しい顔をして言った。


「あ、そっかあ。じゃあとりあえず、圭太に連絡して心葉のスマホが男子部屋に落ちてないか聞いてみるよ」


 由梨が圭太にメッセージで尋ねると、すぐに彼から返事が来た。私のスマートフォンはトランプをやった辺りに落ちていたとのことだ。


「圭太に預かってもらって、明日の朝渡してもらうのがいいかもねー」

「そうだね」


 消灯時間を過ぎてからの出歩きは、しつこいほど先生に禁止だと言われていた。ふたりの言う通り、スマートフォンは明日まで男子部屋で保管してもらうのが一番いいだろう。


 だけど、明日の朝までに彩斗くんから返事が来るかもしれない。気になって気になって仕方がなくて、スマートフォンが手元にないと眠れないような気がした。いや、確実に眠れないと思う。


「こっそり取りに行っちゃダメかな……」


 恐る恐る言うと、由梨は目を見開いて驚いたような面持ちになった。


「えー! 危ないよ! 先生、もし見つけたら、正座させてくどくど説教して学校で反省文書かせるなんて息まいてたよ⁉」

「うん……。知ってるけど。ちょっと気になっていることの返事を待ってて……。どうしても気になっちゃってて」


 由梨が呆れ気味に嘆息する。


「優等生の心葉がそこまで言うんなら、よっぽどなんだね。それなら、圭太に中間地点までスマートフォンを持ってきてくれないか聞いてみるよ。男子部屋に直接行くんじゃなければ、見つかってもそこまで怒られないかもしれないし」

「あ、ありがとう由梨」


 由梨がメッセージで圭太にそのことを頼むと、彼はふたつ返事で了承してくれた。


「えー、圭太くんって優しいんだね。彼だって見つかったら怒られるリスクがあるのに」


 中村さんが感心したように言う。確かに、圭太にとっても危険が伴う行動なのに、こんなにあっさりと引き受けてくれるとは思わなかった。


「まあ……。あいつは心葉の頼みならなんでも聞いちゃうんだよ」


 由梨が小声でぼそりと呟くように言った。中村さんには聞こえていなかったらしいが、どういう意味か分からなくて私は首をひねる。


「どういうこと?」

「あー、なんでもないよ。あ、圭太いますぐ三階と四階の間の階段の踊り場に行くって。心葉も行ってスマホを受け取っておいで!」

「うん!」


 由梨に促され、私はゆっくりと部屋の扉を開ける。まずは首だけ廊下に出して、きょろきょろと辺りを見渡した。どうやら見回りの先生はいないようだ。


 そして静かに、しかし素早く廊下を進み、約束の階段の踊り場まで向かった。すでに圭太はそこにいた。


「……心葉。はい、これ」

「ありがとう。本当に助かった」

「うん。とりあえず見つからないうちにすぐ戻ろう」


 声をひそめてそんなやり取りをすると、私はすぐに圭太と別れた。踵を返して階段を降りて、自分の部屋へと戻ろうとする。――しかし。


 廊下の最奥で何かが動いた気がする。慌てて柱の陰に隠れた。恐る恐る動いた何かを確認すると、それは生活指導の矢田先生だった。消灯時間後にうろうろしている生徒がいないか、見回っているのだろう。


 牧野さんが、髪の毛の色や派手なネイルで彼に怒られている姿を何度か見たことがある。理路整然としながらも、威圧感のある彼の説教は、関係ない私でも恐れおののくほどだった。


 消灯時間後の出歩きが彼にばれたらただじゃすまないだろう。だけどこのままここにいたら、確実に見つかってしまう。


 ――やばい、どうしよう。早く逃げなきゃ……。


 と、思っていた時だった。


「……心葉、こっち」


 やっと私が聞き取れるくらいの大きさの声で呼ばれたかと思ったら、手をがしっと掴まれて、引っ張られた。驚いて声を上げそうになったけれど、状況を思い出して慌てて堪える。


 引っ張られた先は、私が隠れていた柱のすぐ近くにあった、扉の中だった。電気がついておらず部屋の中は暗かったけれど、所狭しと並んだ棚の上にタオル類やアメニティの歯ブラシなんかが、整然と詰まれているのが微かに見えた。どうやら、旅館の倉庫的な役割の部屋のようだ。


 手を引っ張ってくれた人物は、私の顔を見るとにんまりと笑った。


「危ないところだったね、心葉」


 手を触れられた時点で、それが誰なのかを私は分かっていた。だって、心の声が聞こえなかったから。そんな人、世界中を探してももひとりしかいないのだ。


「彩斗くん……! どうしてこんなところに?」

「いやー、さっきまで部屋で枕投げに参加してたんだけど、ちょっとひとりで静かになりたくて。それで消灯前にうろうろしていた時に偶然見つけてたこの部屋に来たってわけ。ここなら誰もいないから、のんびりできるかなって」

「ええ……。もう消灯時間すぎてるからやばいんじゃないの」

「まあ、そうかもねー。でももう少しひとりでいたかったから」


 見つかったらすごく怒られるということは彩斗くんだって分かっているはずなのに。相変わらず、肝が据わっているなあ。

 だけど「ひとりで静かになりたい」というのが、いかにも達観した彩斗くんらしかった。


「そしたら部屋の外から物音がして。何かなって思ったら心葉がいたからさ、びっくりしたよ。先生が近寄ってくるのも見えたし、やべえって思って助けたってわけ」

「そうだったんだ……。ありがとう」


 窮地を脱せられた私は、心底安堵していた。倉庫の中まで先生が確認しに来る可能性は低いだろう。


「それより、外を見てみなって。星がめっちゃきれいだよ」


 窓の方へ歩きながら、彩斗くんが言う。私は彼の後に続いて、窓越しに空を見上げた。


「わあ……」


 思わず感嘆の声が漏れた。


 彩斗くんが私に見せてくれたのは、煌々と輝く壮大な星々だった。自宅で普段見られるような星空とは、まるで様子が違っている。大きくはっきりと光を放つ星たちは、手を伸ばせば届きそうなくらい近くに見えた。


 星って、こんなに大きく美しく見えるんだ。あまりに美麗な天体ショーに、私は感動すら覚えた。


「北斗七星、カシオペア座、オリオン座……。理科の時間に習った星座が、すごくきれいに見えるな」

「うん! こんなきれいな星空、私生まれて初めて見たよ」


 幻想的な光景に、隣には大好きな人。ほんわかと、幸せな気持ちに包まれる。倉庫は暖房はついておらず、窓からは隙間風が入ってくるので少し寒かったけれど、幸福感のせいか体の中は温かかった。


「近くに見える星でも、少なくとも何万光年って離れてるんだよな。宇宙ってやべーよな」

「あは、そうだね」


 彩斗くんの言い方が面白くて思わず笑ってしまったけれど、本当にそうだなと思った。宇宙ってやべー。私たちふたりの存在なんて、壮大な宇宙を基準に考えたら、いてもいなくてもたいしたことではないだろう。


「なんかさ。こういう景色見ると、普段の俺たちの悩みなんてちっぽけなことに思えてくるよね。友達とうまくいかないとか、勉強についていけないとか。そんなこといちい気にする必要ないんじゃないかって。俺たちのことなんて構わずに、世界は回ってるんだもんな」

「……ちっぽけなことかあ」


 今この瞬間、確かに普段の悩みなんてどうでもよくなっていた。触れた瞬間に人の心が読めてしまうことも。そのせいで、人とうまく付き合っていけないことも。恋愛を諦めていることも。

 私の普段の苦悩なんて、宇宙規模で考えれば存在しないも同然なのだ。


 だけど、私には私の狭い世界が人生のステージなんだ。今はそうでも、クラスメイト達がいる部屋に戻った瞬間、私は普段の小さいことを気にする自分に戻ってしまうに違いなかった。


 ずっとこの場所に、彩斗くんと居られたらいいのに。馬鹿みたいだけど、私は本気でそう思ってしまった。


 でも、彩斗くんは普段からひょうひょうとしていて、細かいことなんて気にせずに確固たる自分を持っている。星空に映える彼の白い顔を見て、私はそう思った。


 ――ねえ、彩斗くん。私のこの変な力も、それに伴う悩みも、あなたは「ちっぽけなことだ」って笑い飛ばしてくれる?


 私のこの体質を受け入れてくれるのかな? それ以前にあなたが私をどう思っているかは、全く分からない。けれど、もし私が告白してあなたが振るとしても、人の心が読めることを理由にはしないような気がするんだ。


 ねえ、私。このままでいいの? せっかく生まれた初めての恋を、まるっきり無かったことにしていいの?


「彩斗、くん……」


 隣に佇む彼を見て、私は恐る恐る口を開いた。


「なーに?」


 彼はよく私に向けてくれる優しい微笑みを浮かべた。ああ、やっぱりこの人が好きだなと、再度確認させられる。


「あのね、私……」


 自分の秘密について、私が彼に打ち明けようとした、その時だった。


「おい! そこにいるのは誰だ!」


 倉庫の扉の方からいきなり怒鳴り声が聞こえてきて、心臓が飛び跳ねるほど驚いた。見てみると、矢田先生が憤怒に駆られた形相でつかつかとこちらへと近づいてきていた。いつの間に入ってきたのだろう。


「話し声が微かに聞こえたから誰かと思えば! 三組の七瀬に辻だな⁉」

「あ……すみません、私……」


 先生に怒られ慣れていない私は、少し怒鳴られただけで泣きそうになるほど恐縮してしまった。とにかく謝らなきゃと焦るも、唇が震えてうまく言葉が出てこない。


 するとそんな私をかばうように彩斗くんが一歩前へ出た。


「あ、先生すみません。もう消灯時間ですか?」


 落ち着いた声で彩斗くんが言う。気色ばんでいる先生と対峙しているにも関わらず、臆する様子は一切なかった。


「とっくに過ぎているだろう! ふたりで何をしていたんだこんなところで!」

「あー、そうだったんですね。すみません、気が付かなくて。実は消灯時間前に、廊下で七瀬さんがうずくまっているのを見つけたんです」

「何……?」


 先生の怒気が少し柔らんだように見えた。彩斗くんが誤魔化そうとしているのが分かった私は、下手なことは言わない方がいいと、黙って彼の後ろにいた。


「慣れない大浴場でのぼせてしまった、と言っていたんで、涼しそうなここで休ませていたんです。消灯時間が過ぎていたのに気が付かなくて、すみませんでした」


 流暢に嘘八百を並べていく。もともとひとりでこの部屋に来ていたから、ひょっとするとあらかじめ考えていた言い訳に私の要素をプラスしただけなのかもしれない。いや、きっとそうだろう。


「大浴場でのぼせた……。七瀬、もう大丈夫なのか?」

「は……はい! 大丈夫ですっ」


 いきなり話を振られて、私は慌てて返事をした。すでに先生の顔からは怒りは感じられなかった。呆れたような面持ちになっていて、彼は小さくため息をつくとこう言った。


「そういうことなら、今回は特別お咎めなしだ。だけどもう体調が大丈夫なら、ふたりとも早く部屋に戻れ。そして今後具合悪くなった時は、自分たちだけでなんとかしようとせずに先生に相談するように」

「はい」

「は、はい!」


 平静とした様子で返事をする彩斗くん。この人、やっぱりただ者じゃないんだなあと再度認識させられる。


 そしてそのまま私たちは各自の部屋へと戻った。部屋に入った瞬間、由梨と中村さんが駆け寄ってきた。


「心葉! 遅かったじゃん!」

「もしかして先生に見つかったのかなって心配してたんだよ? 大丈夫だった?」

「あー……。うん、なんとかなったから、大丈夫」


 先生にはバッチリ見つかってしまったけれど、それを話してしまったら彩斗くんと一緒にいたことまで言わなくてはいけなくなってしまうので、私は適当に誤魔化すことを決め込む。


「そっかあ、それならよかったよー!」

「それで圭太くんからスマホは受け取れたの?」

「うん、ばっちり」


 ふたりに向けてスマ―トフォンをかざして見せると、ふたりは「作戦成功だね!」と喜んだ様子で言った。

 スマートフォンを改めて手に取った私は、はっとする。彩斗くんからの返事はまだ来ていないのだろうか。

 トップ画面に通知はなく、トーク画面を開いてみてもやはり来ていなかった。


 さっき直接会ったから、聞けばよかったのに。先生に見つかりそうで焦っていたり、星空があまりにきれいで見とれたりしていたら、つい失念してしまっていた。


 ――それにしても。


 荘厳で美しい星空の前なら、ちっぽけな自分の悩みなんてどこかに追いやれそうだった。そして彩斗くんに、私の秘密について話すことができそうだった。

 だけど女子部屋に入って現実に戻ってくると、私はなんてとんでもないことをしようとしていたのだろうと感じた。


 やっぱり、言えるわけないよ。こんな自分の話なんて。


 彩斗くんに気味悪がられて嫌われてしまう可能性が、少しでも存在する限り。私は触れた人の心が読めるということを、必死で隠して、初恋も内に秘めておかなくてはならないんだ。


 その後、ようやく布団に入った私たちは、何組の誰が誰を好きらしいだとか、明日のキャンプファイヤーで花火を一緒に見る約束をもう何組も取り付けているらしいだとか、他愛のない話をした。


 そんな話を楽しくしている最中は、楽しくて一晩中起きていられるような気がした。だけど、スキーを何時間もやったためか肉体は疲れていたらしくて、いつの間にか眠ってしまったのだった。

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