恋なんてできない(1)

 彩斗くんが転校してきた日の翌日。私は少し早めに学校に行く必要があったので、由梨や圭太とは一緒に登校せず、ひとりで学校に来たのだった。


 クラス委員になると、持ち回りで校門前の清掃活動をしなければならないのだ。だいたい二週間に一回くらいのペースでそれは回ってくる。

 たいした仕事内容ではないけれど、担当になった日は、普通の生徒たちの三十分は早く登校する必要がある。これが嫌でクラス委員を敬遠する人は結構多いらしい。

 毎回、ふたり一組で清掃を行うことになっている。今回は、隣のクラスの男子とペアを組まされた。


「あまり汚れてないから、すぐに終わっちゃったね」


 私が構えたちりとりの中に、ほうきでゴミを入れながらその男子が言う。

 確か田崎くん、だったかな。あんまり話したことは無いけれど、今日はちゃんと時間通りに来てくれたし、掃除も丁寧にやってくれた。きっと真面目な人なんだろうなと思う。

 そういえば、以前に由梨が「四組の田崎くん、ちょっとかっこいいよね」って言っていた覚えがある。

 確かに背は高いし顔も結構整っている。染めていない黒髪がサラサラと風になびいている様子は、どこか爽やかだ。


「うん、早く終わってよかったね」

「そうだね。じゃあ、ごみを捨ててほうきとちりとりをしまいに行こうか」


 私たちはゴミを袋に入れてゴミ捨て場に置いてから、昇降口の中にある掃除用具入れにほうきとちりとりをしまいに行った。まだみんなが登校してくる時間からはだいぶ早かったため、私たちふたり以外誰の姿もない。


「今日はありがとう、田崎くん。じゃあお疲れさまでした」


 そう言って、教室へ行くために私は下駄箱に向かう。すると、上靴を履き終えた時だった。


「……ごめん、待って七瀬さん」


 背後から呼び止められて立ち止まる。なんだろうと思って振り返って田崎くんの顔に目を向けたら、やたら神妙な面持ちをしているように見えた。


「何……?」

「あの……。俺そんなに七瀬さんと話したことないし、いきなりこんなこと言われても困るかもしれないんだけどさ」


 そう言いつつも、その後はしばらくの間黙っている田崎くん。え、何を話そうとしているのだろう。言いづらいことなのかな、と不安に駆られる。

 すると彼は意を決したような顔をして私をじっと見てから、ゆっくりとこう言った。


「好きです。付き合ってください」


 頭の中が瞬時に真っ白になった。え、今なんて? 好きです? 付き合ってください、って? そう言ったよね? 私の聞き間違いじゃなければ。

 私、今告白されたってこと? 田崎くんに……?


「な、なんで……その……」


 驚きと照れで、うまく言葉が出てこない。だって、彼も言っていた通り、ほとんど話したことがない。同じクラスになったことだってないし、二学期のクラス委員としての仕事も始まったばかりだ。

 私のことを好きになるきっかけなんて、彼にあったんだろうか。一目ぼれ……は、たぶんないだろうし。私は見た目が目立つわけじゃないから。


「いや……。七瀬さん、一学期もクラス委員してたみたいで。一年生の時も、先生の手伝いをしてるところ、俺よく見かけて。真面目でいつも頑張ってるところが、すごく健気に見えて。……だから、その」


 田崎くんは、たどたどしく、しかし一生懸命な様子で理由を話してくれた。


 ――やっぱり心葉に恋をしてほしいけどなー。


 昨日、由梨に言われた一言が突然思い起こされた。

 私は恋を諦めてしまっている。だけど、ドラマや漫画を見て、夢見る瞬間だってある。かっこよくて優しい男の子と、恋愛出来たらどれだけ楽しいんだろうなって。


 田崎くん、私の知らないところで、私のことをよく見てくれていたみたいだ。

 もちろん私は、まだ恋なんてできる状態じゃないけれど。優しそうで、誠実そうで、素直そうな田崎くん。そんな彼からのまっすぐな好意を向けられて。

 男の人に告白されるのは、生まれて初めてのことだった。想像していたよりも、ずっと恥ずかしくて、嬉しくて、感動が深かった。


 もちろん、田崎くんと付き合うとか恋人同志になるとか、まだそんなことまでは考えられないけれど。一歩踏み出してみる? まずは彼と友達になってみて。だけどやっぱり、怖いような……。


 なんてことを考えながら、何も言わずに田崎くんを見つめ返していたら。


「俺、本当に七瀬さんが好きなんだ!」


 がしっと勢いよく、私の両肩を田崎くんが掴んできた。情熱的な勢いに圧倒されて、頬が熱くなる。

 しかし、それも束の間だった。


『七瀬はそれなりにかわいいし、いつも先生の言うこと聞いてるし、俺の言うことも聞いてくれそうだよなあ。とりあえず付き合ってくれないかなあ』


 頭の中に流れ込んできたのは、冷静そうな田崎くんの声だった。熱っぽい瞳で私を見つめる彼とは、似ても似つかない声。本音。


 浮足立った思いが、一気に凍っていく。まるで氷点下の南極に、テレポートしたかのような感覚だった。息が苦しい。


 思い描いてしまった仄かな恋の期待が、頭の中でガラガラと音を立てて崩れていった。


「あ……。ご、ごめんなさいっ……!」


 私はなんとかそれだけ言うと、田崎くんの両手を振り払って、全速力で自分の教室へと向かった。そしてそのままベランダへ出る。田崎くんがもし追いかけてきたら、教室に居たら見つかってしまうのではないかと思ったからだ。これ以上、彼と話をしたくなかった。


 壁に背を付けてしゃがみ込む。ベランダのひんやりとしたコンクリートの床が、やたらと冷たい。


 ――やっぱり無理だよ、由梨。私に恋なんてできない。できるわけがない。


 こんな変な能力なんてなければ、田崎くんの本音を知ることなんてなかった。わたしはきっと彼に前向きな返事をして、今頃心を躍らせていたのだろう。

 なんで知りたくもないことを、私は知ってしまうのだろう。どうしてそんな風に私はできているのだろう。


 深く絶望しながら、ベランダでひとりうずくまっていた。――すると。


 ベランダの出入り口の掃き出し窓が開く音がして、私はびくりとしながら顔を上げる。田崎くんが追及しに来たのかと思って、怖かった。

 しかし、ベランダに入ってきたのは、全く予想していなかった人物だった。


「おはよ、心葉ちゃん」


 彩斗くんだったのだ。


「なんでいるの……。まだ、登校するには早い時間だよ」

「そっか、だからみんないなかったのかー。前の学校とタイムテーブル違ってたこと、忘れてたわ」


 能天気な様子で言う。どうやら、時間を勘違いして早めに来てしまったらしい。


「いきなり走ってちゃったから、俺捜したんだよ。ベランダに出てたんだね。告白してきた彼から逃げるため?」

「なっ……。彩斗くん、見てたの?」

「うん。一部始終、バッチリ見てた。ふたりとも俺のことには気づいてなかったね」


 昇降口には、私と田崎くん以外誰もいないと思い込んでいた。まさか、彩斗くんがあの場にいたなんて。しかもどうやら告白のくだりから私がダッシュで逃げるところまで、全て目撃していたらしい。


 彩斗くんは私の隣に腰を下ろすと、空を見上げながらこう言った。


「なんで告白断っちゃったの? 彼、誰だか知らないけど。結構かっこよかったし、優しそうに見えた。心葉ちゃんのこと、マジで好きだって言ってたし」

「…………。あんまり話した他ことなくて、私彼のことよく知らないし。それにあの人、私のことを本気で好きなわけじゃないよ」

「なんで心葉ちゃんにそんなことわかんの?」


 彼が私の肩を掴んだ瞬間に、心の声が聞こえてきたからだよ。

 そんなこともちろん言えないので、私は押し黙る。確かに田崎くんのあの時の言動は、はたから見れば万人が私に恋心を抱いているように思うだろう。


「なんとなく、そう思った。女の勘だよ」


 適当に言って、誤魔化すことにした。


「ふーん、女の勘ねえ」

「そう。だから断ったの」

「その勘が当たってるかどうかはわからないけどさ。仮にそうだとしても、心葉ちゃんのことをいいな、彼女にしたいなって気持ちは彼には少しはあったことは確かだよ。付き合っていくうちに、心葉ちゃんのことを本気で好きになっていくかもしれない。そういうの、俺はダメだとは思わないよ。いいんじゃないの、きっかけは軽くたってさ」


 彩斗くんの言っていることが、全然理解できないわけじゃない。

 きっと、お試しで付き合ってお互いの気持ちが高まっていくような恋愛だってあるんだろうなって思う。


 だけど私がもしそんなお付き合いを始めたとしたら。私は彼の気持ちの移り変わりのすべてを、知ることになる。

 途中彼が私に幻滅することだってあるだろう。思っていたのと違うとか、よく見るとかわいくないとか。そんなことを思う瞬間が、どんなにいい人にだってあるはずだ。


 最終的に彼が私のことを好きになってくれたとしても、私には辛いのだ。彼の心の過程を知るたびに、私は自分がダメなんだ、自分が悪いんだといちいち落ち込んでしまうに違いないから。


「今、私誰とも付き合う気はないから」


 私は低い声で言い放つ。


「ふーん」


 彩斗くんは気のない返事をしてから、教室へと戻っていった。面倒くさい女だなとでも思ったのかもしれない。軽そうな彼は、告白ごときでこんな風に重く考える女なんて敬遠するだろう。

 だけど、心を読めない彩斗くんにどう思われようと、怖いとは思わなかった。それ以上深く突っ込んでこない彼との関係を、気楽だとすら思った。


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