君だけ見えない(7)

 委員決めのホームルームの後、私はすぐに彩斗くんにお礼を言った。すると彼は、窓の外を見ながら、マイペースな様子でこう答えた。


「いや、別にー。だっておかしいじゃん、心葉ちゃんばっかりさ」


 さっきと同じように、断言するような口ぶりだ。

 私だってそう思うよ。だけど、みんなの自分は面倒ごとから逃れたいという思いが、教室中を「おかしくない」という空気に作り上げていたのに。

 それをあっさりとぶち壊すなんて、強すぎるよ。


「心葉ちゃんもさあ、嫌そうにしてたから」

「……分かった?」

「あんなの近くで見たら誰にでも分かるでしょ。『やばい、どうしよう』って顔してたもん」


 軽く笑いながら言われ、私は苦笑いを浮かべる。


「っていうかさ、嫌なら嫌って言えばいいんじゃないの?」


 どうしてそうしないの?とでも言うように、さも不思議そうに言う。

 きっと彼みたいに肝が据わってそうな人なら、そんなの簡単なことなのだろう。そもそも彩くんなら、委員や係を押し付けられるなんて言う状況に、ならなそうだ。


 私だって、嫌なことを断れたらどんなに楽だろう。だけど私には、それはとても難しいことだ。

 何かの拍子に、人の気持ちが見えてしまう私にとっては。常にみんなの希望を叶えて、みんなの期待を裏切らないようにしておかないと、不安でたまらないのだ。


「私はそういうのできないんだ」

「なんで?」

「ーーそういう風にできていないの。私は」


 自然と出てきた言葉だった。私はそういう風にできていない。作られていない。神様が私のことをそういう風に作ったんだ。

 なんでと尋ねられたら、そんな答えしか出てこなかった。


 だけどこんな風な言葉を人に行ったのは初めてだった。彩斗くんに対しては身構えずに正直な気持ちを吐露することができるのは、きっと、彼の心は読めないから、何を言っても怖くない気がするのだ。


 彩斗くんは私の方を向いた。いつものひょうひょうとした笑みは浮かべていたけれど、瞳にはどこか真剣そうな光が宿っていた。


「それで心葉ちゃんは楽しいの? 嫌なことをみんなに押し付けられてさ」


 真理をつくような質問に、一瞬言葉に詰まってしまう。

 もちろんそんなの楽しいわけなんてない。――だけど。


「嫌われるより、マシだから」


 か細い声で答える。自分で言っていて、なんて後ろ向きなんだろうと思う。呆れられたかな、と少し不安になった。

 すると彩斗くんの微笑みに、優しさが混ざった気がした。


「俺は嫌わないけどね。心葉ちゃんが正直になっても」


 それは、由梨や圭太、両親以外の人から初めて聞いた、ありのままの私を受け入れてくれるような言葉な気がして。

 昨日会ったばかりの人にそんなことを言われるなんて、一瞬信じられなくて。私はぼんやりとして彩斗くんを見つめてしまった。

 すると彼は、にんまりと少し意地悪そうな顔する。


「お、そんなに俺のこと見ちゃって、何? 惚れちゃった今ので?」

「なっ……。へ、変なこと言わないでよ! そんなわけないでしょ!」

「ちっ、何だ残念」


 からかわれたことで、はっとして我に返った。さらに言い返そうと思ったけれど。


「七瀬ー! 帰ろうよー!」


 教室の出入り口の方から、由梨が私を呼んでいた。彼女の後ろには、圭太もいる。用事のない日はいつも、ふたりはああやって私のことを放課後迎えに来てくれるのだ。


「今行くー!」


 由梨に向かってそう言うと、私は急いで帰り支度を終わらせる。そして、そんな私の様子を何故かのんびりとした様子で眺めていた彩斗くんに、


「じゃ、じゃあね」


 と、一応帰りの挨拶をした。

 すると彩斗くんは、笑みを深く刻み、小さく手を振る。


「うん、また明日ね。心葉ちゃん」


 優しい表情と声音だった。一瞬落ち着かないような気分になった気がしたけれど、気のせいだと思い込み、私は由梨と圭太の元へと早歩きで向かったのだった。



「ええー! 昨日の謎の美少年が心葉のクラスに転校してきたあ⁉」


 三人での帰り道に彩斗くんのことを話すと、由梨は大層驚いた様子だった。そこら中に響き渡るような大声でそう言った。


「うん、私もびっくりだよ。こんな偶然あるんだね」

「少女漫画みたいじゃん! これはもうくっつくフラグだね!」

「……そういう感じではないけど」


 ひとり盛り上がる由梨に、私は苦笑を浮かべる。


「そ、そうだよ。由梨はいちいち飛躍しすぎだっつーの。なあ、心葉」

「え? うん」


 彩斗くんの話を始めてから、なぜか浮かない顔をしている圭太。なんでそんな顔をしているのか少し不思議だったけれど、由梨が先走り過ぎていることには同意だ。


「いや、だってさ! 心葉が唯一心が読めなかった男の子、しかも類まれなイケメンだよ⁉ こんなの運命だって思うじゃん!」


 相変わらずテンションの高い様子で言う。そういえば、由梨って見た目は今風だけど昔ながらの少女漫画が結構好きなんだっけ。

 リアルの彼氏は年上がいいと豪語していて、今は学校に好きな人はいないらしいが。


「心葉、とりあえずその子と仲良くなろうよ! ねっ⁉」

「あー、まあ。ちょっと変なところもあるけど、優しい人だと思うよ。っていうか、友達にはなった」


 いきなり抱きつかれたことを話したら、面倒なくらい騒がれることは目に見えていたので、それは黙っておくことにした。


「と、友達になったんだ。へえ、そう。ふーん……」


 何故か暗い声で圭太が言う。さっきからなんでこんなに元気がないんだろうか。


「え……? うん。ダメだったかな?」

「いや、ダメとか……そういうんじゃなくて。心配っつーか、さ。心葉は繊細だから……。あ、いやでも友達を作っちゃダメとか、そういうんじゃなく。俺にそんなこと言う権利ないし!」

「……? 変なの」


 圭太が何が言いたいのか全く分からず、私は眉をひそめる。どうしてなのか、由梨はニヤニヤとそんな圭太を見ていたが、私の方を向き直ってこう言った。


「私はさー。やっぱり心葉に恋をしてほしいけどなー。心葉にとってはいろいろ難しいこともあるだろうけどさ。やっぱりそういうこと、諦めてほしくないってずっと思ってるんだ。その恋が実ったとしても報われなかったとしても、すっごく楽しいことだと思うからさ」

「由梨……」


 優しい由梨の言葉に、少しだけ涙ぐむ。彼女は私が変な能力を持っていることを全然気にしない。素直に、まっすぐに、私を受け入れてくれる。

 ――だけど。


「ありがとう、由梨。だけどまだちょっと、私には難しいかな……」


 申し訳なかったけれど、今の正直な気持ちを言う。クラスの人ともうまく付き合えていないのに、友達付き合いよりも自分の本音が大事な恋なんて、まだ全然できる気がしなかった。

 すると由梨は、控えめに微笑んだ


「……そっか。焦らせたんならごめんね。だけど、彩斗くん……だっけ? その人は心が読めないんだから、そういうこと何も気にせずに、私たちみたいに素直に接することができそうじゃない?」

「うん、そうかもしれないね」


 由梨の言う通り、出会ったばかりにもかかわらず、彩斗くんには思ったことをそのまま言うことができていた。やっぱり、彼には「私に対する悪い本音が聞こえたらどうしよう」という、恐怖心がないせいだと思う。


「ええ……。いや、恋なら……。俺と……」


 何やら傍らでぶつぶつ圭太が言っている。そんな彼の背中を由梨がバーンと豪快に叩いた。


「いって! 何すんだよ!」

「うじうじすんなっ。がんばれよっ! でも悪いけど、私はあんたよりも心葉が一歩踏み出す方を全力で応援することに決めてるからねっ!」

「うっせーな! 俺のことはほっとけよ!」


 由梨が何を圭太に頑張れって言っているのかが、私には分からなかった。しかし、そんな話をしているうちに、ふたりと別れる交差点までたどり着いてしまったので、ふたりと別れたのだった。

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