恋なんてできない(2)

「あっ。心葉! 鍋吹きこぼれてる!」

「えっ⁉ やば!」


 彩斗くんに言われて、私は慌ててガスコンロの火を止める。

 家庭科の調理実習の時間だった。今日のメニューは筑前煮で、班内で役割を分担して調理を行っていたのだけど。

 ひと作業終えたあと、教科書に載っている作り方を確認していた私は、鍋が噴いていることに気づかず、彩斗くんに注意されてしまったのだった。

 

「ごめん、彩斗くん。ありがとう」

「いえいえ。つーか、なんか元気ないじゃん。大丈夫?」

「え……」


 私は答えに困ってしまった。


 なんでわかったのだろう。昨日クラス委員の仕事が放課後遅くまであって、家で深夜まで勉強していたせいか、いつもよりボーっとしていた。

 だけど周りにはそう気取られない様に振舞っていた。由梨や圭太ですら気が付かなかった。

 どうして彩斗くんは勘づいたのだろう。ちなみに、田崎くんの件で元気がないわけではない。


 ――彼からの告白を断ってから数日。彼は私にそれ以上何かを言ってこなかった。廊下ですれ違った時に、気まずそうな顔を私に向けてきたけれど。


 やはり、私が簡単に付き合ってくれそうな子に見えたから、告白してきただけなのだろう。だから一度断っただけで、もう引き下がったのだと思う。


 恋をする気のない私にとってはそうしてくれた方が気は楽だ。しかし、なんとなく少しだけ、残念な気分だった。きっと、本気での恋を夢見る自分が心の隅にいるからだろう。


 田崎くんの告白は、やっぱり私に恋は難しい。そう認識させた出来事だったと思う。もう気にしないことにしようと、私は考えることにしたのだった。


「ってか心葉包丁遣うのうまいね。俺ピーラーないと人参の皮なんて剥けないわ」


 彩斗くんがシンクの三角コーナーに捨てられた人参の皮をちらりと見て言った。人参やごぼうの皮むきは、私の担当だった。


「家でたまに作ってるからね」

「ふーん。いいじゃん、料理上手な女の子」


 あっさりと人を照れさせるようなことを言う彩斗くん。この人はいつもそうだ。男の子に褒められられていない私は、「あ、えっと」なんてあたふたしてしまったが、その間に彩斗くんは班の男子に呼ばれて離れてしまった。


 彩斗くんが転校してきてから一週間。告白を断った一件でなんとなく気まずい気持ちになっていた私だったけれど、それは私だけだったようで。

 彼はあの後やたらと、私に構ってきた。いつの間にか呼び捨てで呼ぶようになっていたし。本当にナチュラルにそうなっていたので、嫌だと思う隙も無かった。


 他のクラスメイトに誘われているにもかかわらず断って私とランチをしようとしたり、先生に頼まれた雑用を一緒に手伝ってくれたり。

 まあ、私たちは友達になったのだから、そんなに変なことではないのかな。


 しかし彩斗くんは時々とても不思議だった。今みたいに、私の心情や体調の変化を見抜く瞬間が多々あったのだ。幼い時からの親友や、両親ですら気が付かない私の内面を。

 ヘラヘラしているようにしか見えないけれど、本当はすごく鋭い人なんだろうか。


 いろいろ気になることはあったけれど、なんだかんだで悪い気はしなかった。気を遣わずに振舞える相手なんて、由梨と圭太以外では初めてだろう。


「ねえ、七瀬さんと辻くんって、仲いいよね」


 同じ班の女子の中村さんが、少しからかうような口調で言った。嫌味や嫉妬が含まれているような感じではなかった。純粋に私たちの間柄を見て楽しんでいるようだった。


 彼女はバレーボール部で、熱心に部活に取り組んでいる快活そうな女の子だった。今は部活一筋だと前に友達と話しているのを聞いたことがある。牧野さん一味のような、彩斗くんにお熱になっているタイプではないだろう。


「えっ。ま、まあ隣の席になったから友達にはなったけどさ」

「友達ねえ。うーん……。なんかもっと、ふたりには特別感があるように見えるんだけど」

「特別感……? あのね、何か想像してるみたいだけど、本当にただの友達だよ」


 勝手に特別な関係にさせられそうになっていたので、私はきっぱりと否定する。一応一度抱きつかれたりはしたけれど、あの後そういったことはないし。っていうかなんだったんだろう、あれ。

 すると中村さんは「なんだー、つまんないの」とおどけて口を尖らせた後、神妙な面持ちになった。そして小声でこう言った。


「でも気を付けてね、七瀬さん」

「え?」

「知ってると思うけど、彩斗くんかなりモテてるからさ。私も違うクラスの部活仲間にいろいろ聞かれたよ。うちのクラスでもほら……まあ、誰とは言わないけど、激しめの性格の子達が彼を狙ってるでしょ?」

「あ……うん、知ってる」


 言われてちらりと牧野さんの方を見てしまう。彼女の班が調理している台はかなり離れていたけれど、それでも彼女の高く甘えた声が、時々耳に入ってくる。同じ班の男子にブリブリしているらしい。


「意地悪されないようにね」


 何気ない中村さんの一言だったけど、とても嬉しかった。今まで席が近くになったことは無かったのであまり彼女のことは知らなかったけれど、そういえばよく部活仲間の中心にいる。姉後肌で頼れる存在なのだろう。

 クラス委員や林間学校の実行委員を任せたら、頑張ってやってくれそうなタイプではあるけれど。きっと部活に専念したくて、他の活動はなるべくやらないようにしてたんだろうな。


「うん、ありがとう中村さん」


 私が笑顔でそう言うと、中村さんも小さく笑う。そしてふたりで、筑前煮の味付けについて話始める。


 そういえば牧野さん、私に林間学校の委員を押し付けようとした後は関わることは無かったな。もともとあまり親しい間柄でもないし、話す機会も少ないのだけれど。


 彩斗くんとは結構仲良くなったけど、そのことを彼女はあんまり気にしていないんだろうか。真面目な私が彼とくっつくことなんてありえないと思っているのかもしれない。

 まあそう思ってくれているのならそれでいい。実際にそんなことあるわけないし、私は平穏に学校生活が送れればそれでいいのだから。


 出来上がった筑前煮は、根菜がほどよく柔らかくなっていて、味も染み込んでいてとてもおいしかった。彩斗くんも中村さんも「成功だね」と喜んでいた。

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