君だけ見えない(4)
学校に着き、由梨と圭太と別れてから教室に入る。そしていつものように、当たり障りないことをクラスのそこそこ仲良くしてくれている子達と話したら、朝のホームルーム開始を告げるチャイムが無かった。
窮屈な一日の始まりと思える朝の時間は、毎日憂鬱でしかない。
しかし今日は、陰鬱な気分など吹っ飛んでしまうほどの大事件が起こった。
末永先生が教室に入ってきたとき、彼の後ろから制服を着たひとりの男の子が続いてきた。誰だろう、と思ってぼんやりと彼の顔を見たら、全身の毛が逆立つほど私は驚愕した。
――彼だった。昨日防波堤の上で出会って、私に怒鳴られたのにもかかわらず海に落ちるのを助けてくれた、あの美少年だった。
そして私が触れたのに、唯一心が読めなかった彼。
「二学期二日目に転校生ってどんなタイミングなんだよ」
「っていうか、やばくない? 超絶イケメンじゃない?」
「めっちゃかっこいい……。彼女いるのかなあ」
なんて声が、クラス中からざわざわと聞こえてくる。おかしなタイミングでの転校生が、アイドル顔負けのイケメンだったことに、クラス中が一瞬で浮足立ったようだった。
「はいはい、うるさいぞー。とうわけで、みんなお察しの通り転校生だ。男子は残念、女子は喜べ! 本当は昨日から来る予定だったんだが、引っ越し業者の都合で一日引っ越しが遅れてしまったんだそうだ」
末永先生の言葉に、昨日のことを思い出す私。
彼が乗っていた車の中からはお母さんらしき女性が出てきたし、運転席にはお父さんらしき姿もあった。やっぱり彼の家族だったのだろう。
あの時が、引っ越しでこの町に来たタイミングだったのかもしれない。
「辻彩斗くんだ。みんな仲良くしろよ」
先生は彼――彩斗くんの背中を軽く押す。すると彼は一歩前に出て、控えめに微笑んでからこう言った。
「辻彩斗です。この町には生まれて初めて来たので、よくわかりません。いろいろ教えてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします」
礼儀正しく、大人っぽい口ぶりだった。昨日私が感じた、「クラスで騒いでいる男子とはなんだかちょっと違うなあ」という印象通りだった。
こんな落ち着いたイケメン、本当にファンクラブができてしまうかもしれない、と私はぼんやりと考えた。
「よし。それじゃあ彩斗の席は……。ああ、そうだ。七瀬の隣が空いていたな。そこに座ってくれ」
「はい」
私は窓際の一番後ろの席だ。このクラスの人数は、彩斗くんが来るまでは奇数だったから、確かに私の隣は誰もいない。二クラス合同で習熟度別に分かれる授業があったため、机と椅子だけは常に置いてあったのだ。
彼が穏やかな笑みを浮かべながら、どんどん近づいてくる。心臓が暴れるように鼓動していた。
もう二度と会わないと思っていたのに。前日にハプニングがあった人が、転校生として同じクラス、隣の席にやってくるなんて。一昔前の少女漫画みたいだ、こんな状況。
「やあ、また会ったね」
私は怒涛の展開に気持ちが追い付いていないというのに、彩斗くんは全然そんなことは無い様子で、昨日と同じくどこかつかみどころのない笑みを浮かべて言った。
昨日、私はここの学校の制服を着ていたから、ひょっとすると彼は私との再会をある程度は想像していたのかもしれない。
「転校生だったなんて……。びっくりだよ。しかも隣の席なんて」
先生がまだ連絡事項を話していたので、私は小声で答えた。
「あー、そうだね。運命じゃないこれ? えーっと七瀬さんだっけ」
彼は通学リュックを開けてペンケースを机に出しながら言った。そこでちらりと、昨日私が防波堤の上で拾って警察に届けた財布が見えた。
よかった、すぐに取りに行ったんだ。私は軽く安堵しながら、こう答えた。
「……七瀬。七瀬心葉」
「心葉ちゃんか。かわいい名前だね」
じっと私を見ながら、いきなり下の名前で呼んできた上に恥ずかしげもなく口説くようなことを言う。
この人、もしかしてチャラ男なのかな。そんなことを思いつつも、言われ慣れていない私は不覚にも自分の顔が赤くなったのを感じた。
だからそれを隠すように、私はぶっきらぼうにこう言い放つ。
「そんなことよりも。昨日私がしていたこと……内緒にしておいてほしいんだけど」
彩斗くんが教室に現れた瞬間、驚きとともに私の中に沸き上がったのは「まずい」という感情だった。
これから少なくとも半年以上は、同じクラスで彼と過ごすことになってしまったのだ。
私が防波堤の上に乗って絶叫していたなんていう奇行、広められたらたまったものじゃない。
すると彩斗くんは、どこか面白そうに微笑んだ。
「昨日のこと? ああ、心葉ちゃんが海に向かって……」
「それ以上言わないで……!」
あっけらかんと暴露しようとする彩斗くんの言葉を、私は慌てて遮る。すると彼は、苦笑を浮かべた。
「あ、ごめん。ここで言っちゃダメなやつだった?」
「……言っちゃダメなやつです。絶対に。お願いだから」
「ふーん」
懇願するように言うと、どこか楽しそうな顔をして彩斗くんは私を見た。
ーーなかなか厄介そうな人に見られてしまったようだ。私が下手に出ているのをいいことに、どこか調子に乗っている。
「本当に、お願いだから」
彼をじっと見て、必死な思いで言う。しかし彼は、余裕のある笑みを少しも崩さない。
ーーすると。
「七瀬、珍しいなお前が私語なんて。さっきからうるさいぞー。転校生にいろいろ教えるのは、休み時間にしてくれよな」
末永先生に注意されて、私ははっとして教室中を見渡した。クラスメイト達が、私に注目している。女子の一部からは、敵意のような眼差しを向けられている。
――隣の席になったからって、ちゃっかりイケメンと仲良くしないでよ。真面目委員長のくせに。
心なんて読めなくても、彼女たちのそんな思いが伝わってくる。
「はい……すみません」
いたたまれなくなった私は、俯いて謝る。――すると。
「すみません先生。俺が学校のこといろいろ聞いちゃってたんです。七瀬さんは悪くないんです」
やたらと明るい声音で彩斗くんが言った。
「なんだ、そうだったのか。七瀬は親切だからな。あまり困らせないようにな。それ以上は休み時間に聞くように」
「はーい、そうします」
納得した様子で、末永先生は連絡事項を再び話し始めた。
驚いた私が顔を上げると、彩斗くんが無言で不敵な笑みを向ける。もしかして、かばってくれた……? さっきまで、私をわざといじめるようなことをしていたのに。
本当によくわからない。ひょうひょうとしている彩斗くんに困惑しつつも、私は前を向いていかにも先生の話を聞いてます、という素振りをしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます