君だけ見えない(5)
朝のホームルームが終わり、私は真っ先に彩斗くんに昨日のことについての口止めを、再度お願いしようと思った。まだ内緒にしておくという了承を、彼から得られていなかったから。
しかし、彼の元にはクラスの人たちがすぐに集まってきてしまっていた。いわゆるスクールカースト上位の、やんちゃそうな男子やかわいくて派手な女の子たちがメインだ。
そんな人たちの間を、学校では無難なキャラで通している私が割って入って彩斗くんに話しかけに行くことなんて、到底できるわけなんてない。
「どこから来たの?」「部活入る?」「兄弟いるの?」なんてことを、彩斗くんは次々に質問されている。私は隣の席でその様子をちらちらと見ることしかできない。
早くお願いしなきゃいけないのに。この流れで「そういえば隣の七瀬さん、昨日変なことしてたんだよー」なんて、面白おかしく話される可能性だってあるのに。
と、私が次の授業の準備をしながら、悶々としていると。
「みんなごめん、ちょっと」
今まで無難な受け答えをしていた彩斗くんが、急に立ち上がった。
「彩斗くん、どうしたの?」
「俺さ、七瀬さんに学校案内してもらうようお願いしてたんだよね。だからちょっと、行ってくるわ」
私の方へとやってくる彩斗くん。突然のことに、私は驚いて固まってしまう。彼を取り巻いていたクラスメイト達も、意外そうな顔でこちらを見ていた。
「さ、行こう」
硬直していた私の手を取って、歩き出す彩斗くん。
「え、ちょ、ちょっと!」
困惑してしまった私だったが、彼に引っ張られていることでなすがままに立ち上がり、無理やり歩かされるような形で後に続いた。
なんでいきなりこんなことを。みんな、どう思ったのかな? 突然手なんて掴まれて、まるで彩斗くんにさらわれるかのようなこの状況を見た女子から、反感食らってしまわないだろうかと、不安になる。
でも学校を案内してもらうという事務的な用事だって、彩斗くんは説明してくれたから、嫉妬される心配はあまりないかな?
なんてことをいろいろ考えながら、無言で私の手を引いていく彩斗くんに、私はついていくことしかできなかった。
そして手と手が触れ合っているのにもかかわらず、やっぱり彼の心の声は聞こえなかったのだった。
*
「ここまで来れば大丈夫かな」
彩斗くんが私を連れてきたのは、校舎の外の中庭の隅だった。昼休みはお弁当を食べる生徒達で中庭は賑やかになるけれど、朝のこの時間は閑散としている。
「な、なんなの……。いきなりこんなこと連れてきて」
私は非難めいた口調で言う。しかし彩斗くんは、そんなことを気にした様子もなく、さも当然のようにこう言った。
「だって心葉ちゃん、昨日のことについて俺と詳しく話したそうだったからさ。だけどみんなには聞かれたくなかったっぽかったから」
「え……」
そのために、みんなのことを振り切って私をここまで連れてきてくれたの?
転校生なんて初めが肝心なんだから、私のことなんて放っておいてクラスの目立つ人たちと仲良くなった方が、彩斗くんにとっては圧倒的によかったはずなのに。そういう人たちに目をつけてもらえれば、今後の学校生活がスムーズに進むのだから。
――気遣ってくれたのかな、私のこと。
「ホームルームの時も言ったけどさ。昨日私が海に向かって叫んでいたことを、みんなには言わないでほしいです……」
私はしおらしい態度で、改めて言う。
からかうようなことを言ってきたり、どこか人をおちょくるような態度を取ってきたりと、彩斗くんのことはさっきまでなんとなくあまり好意的に見れていなかった。
だけど先生に注意された時もかばってくれたし、今だって私の心情を察して連れ出してきてくれた。
まだよくわからないけれど、悪い人じゃないかもと思えてきた。
彼はおかしそうに「くくっ」と喉の奥で笑ったあと、こう言った。
「別にそんなに念を押さなくても大丈夫だよ。初めから誰にも言うつもりなんてないから、あんな面白いこと」
「面白いこと……?」
「なんとなく教室の様子見て分かったんだけど、心葉ちゃんってクラスの優等生的な立ち位置っぽいじゃん?」
「まあ……あながち間違ってはいないかな」
ほんの少し教室にいただけで、私の学校でのポジションをなんとなく理解しているなんて。彼はとても観察眼に優れていそうだ。
「そんな人が海に向かって絶叫なんて、面白過ぎるし。そんな秘密、他の奴に言うなんてなんかもったいないじゃん。俺だけが知ってる心葉ちゃんの秘密にしておきたい」
「……?」
何がもったいないのかはよくわからないけれど、人に言う気が無いのならよかった。何故か面白がられているっぽいのは、ちょっと癪だけど。
「そっか、それならよかったよ。じゃあそういうわけで、よろしくね」
話はもう終わったので、私は立ち去ろうとする。なんで彩斗くんの心だけ読めないのかについてはもちろん気になっている。だけど彼に私の能力について話す気なんてないから、今直接尋ねることはできない。
その件については、じっくり時間をかけて探っていかなければならないかもしれない。
「あー、ちょっと待ってよ。もちろん言わないけどさ。その代わりに」
踵を返して教室に戻ろうとしていた私は、彩斗くんにそう言われて振り返る。
「その代わり?」
「心葉ちゃん、ちょっとこっち来て」
「え?」
言われるがまま、私は彩斗くんに近づく。すると彼はにこりと、眩しく破顔した。恋に恋する年代の女子中学生なら、九割がた落とされてしまうんじゃないかなと思う。
もちろん私は恋なんて無縁の人生だから、ときめいてなんていない……はず。
「俺と友達になってくれる?」
意外な言葉だった。私は眉をひそめる。
「え、でも。彩斗くんだったらすぐに友達なんてたくさんできそうじゃない。さっきの様子見た感じだと」
彩斗くんが私のことを「心葉ちゃん」と呼んでくるので、自然と私も下の名前で呼んでしまった。
なんで私にそんなことを言うのだろうと、純粋に思った。クラスで人気の人たちと仲良くなった方が、今後生きやすいではないか。
「だって心葉ちゃんかわいいから」
「はっ……?」
だって何だって? 彩斗くんから発せられた言葉が、あまりにも意味が分からなくて、聞き間違いなんじゃないかと思ってしまった。
――すると。
「っ……⁉」
一瞬何が起こったのか分からなかった。そんな私が感じたのは、背中と胸に感じる温かい感触。
なんと彩斗くんは、いきなり私の背中に腕を回して抱きしめてきたのだ。
突然の意味不明な状況に、私は呆然として身動きすることを忘れてしまう。なんでこんなことになっているの? 今そんな流れだったっけ?
「……やっぱりか」
混乱する私の耳元で、彩斗くんはぼそりと呟いた。私に言っている風ではなかった。思っていることがそのまま口に出てしまった、ひとりごとのような――そんな口ぶりだった。
しかし彼のその一言で、私は我に返る。
「ちょっとぉ! なんなのっ⁉」
彩斗くんを押しのけて、気色ばんで私は言う。すると彼は一瞬びっくりしたような顔をした後、ケラケラとおかしそうに笑った。
「すげー、顔真っ赤だよ。タコみたいになってる」
「なっ……⁉ だ、誰のせいだと思ってんの! あんなこといきなりされたら誰だってそうなるから!」
「そうかな。今時珍しい純情女子中学生だと思うけど。天然記念物物じゃない?」
「はあ⁉ もう教室戻る!」
一体全体、この人は何がしたいのか全く分からない。だけど話せば話すほど彼のペースにはまる気がして、私は一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
勢いよく彼に背を向けて、つかつかと早足で歩きだす。
「あ、ねえー。友達にはなってくれるんだよねー?」
そんな私の背中に向かって、彩斗くんが間延びした声で言う。
いきなりあんなことをされたことで断固拒否したい気持ちになったけれど、友達になっておかないと秘密をバラされるという話だったなと私は直前の会話を思い出した。
「か、考えとくっ!」
振り返らずに、つっけんどんな口調で私は言う。否定はもちろんできなかったけれど、これが精一杯の抵抗だった。
――変な人にかかわってしまった。
だけど抱きしめた時「やっぱり」と彩斗くんが言ったのは、どういう意味だったのだろう。
それと、やっぱり抱きしめられた時も。彼の心の声は、全く聞こえてこなかった。
私は教室に戻りながら、彩斗くんとの今後の付き合い方や、彼の正体について、いろいろ思考を巡らせるのだった。
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