君だけ見えない(1)

「七瀬さんがいいと思います」


 二学期初日の、学期ごとのクラス委員を決めるホームルームの時間。クラスメイトのひとりのその発言に、私は心臓が止まるほど驚愕した。


 ――なんで。どうして。私はもう、対象外なはずじゃない。


 私は一学期にクラス委員をすでにやっている。今までの学校生活での経験上、一度任期を終えた仕事をすぐにもう一度務めるということは、あまり考えられない。

 みんなだって、そういう認識だと思っていた。だから私は、なかなか立候補者の現れないこのホームルームの時間を、窓の外を眺めて他人事のような思いで過ごしていた。

 そろそろ先生が、「じゃあ、誰かやってくれそうな人を挙げてくれないか?」なんて言ってくる頃だろう、なんて思いながら。


 しかし、先生がみんなにそう促す前に、他人に押し付けようとする人が現れるなんて。しかも、よりにもよって私に。


「七瀬さん、すごく真面目だし優しいし、リーダーシップもあるし。七瀬さん以外の適任者を考えても、全然思いつきませんでした」


 私のことをを推した、用事以外ほとんど話したことのない女子は、私の方を見ながら自信満々に言った。「いいこと言ったぞ、私」――そんな顔をしている。


 一学期、クラス委員の仕事をとても真面目に頑張ったのは、二学期は誰にも文句を言われずに自由になりたかったからだ。

 そのせいで期末テストの順位も大幅に下がってしまったから、二学期こそは勉強に専念したかった。

 ――それなのに。


「七瀬さん、どうかな?」


 先生が私に尋ねる。長引いていたホームルームに少し苛立っているのか、面倒そうな顔をして。男性で、まだ二十代の末永先生の感性は私たちに近い。面倒ごとにはできるだけ蓋をしてやり過ごしたい、ことなかれ主義の持ち主。

 断ろう。断らなきゃ。大丈夫、だって私は一学期もうやっているのから。断ったとしても、誰からも責められる立場じゃない。だから、大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて、私は拒否の意思を示すために立ち上がろうとした。――すると、その時。


 動いた拍子に、机の上に置いていたシャープペンシルが落ちてしまった。あっ、と思っていると、前の席の田中さんが拾ってくれた。


「はい、落ちたよ」


 彼女に手渡しされて、私はそれを「ありがとう」と言いながら受け取る。

 するとその時、聞こえてきた。聞こえてきてしまったのだ。


『七瀬さんがやれば全部丸く収まるんだから、二学期もやればいいのに。あーあ、早く帰りたいなあ』


 田中さんの心の声が、私の頭に入ってくる。笑顔で私にシャープペンシルを渡した彼女の心中の思いは、つっけんどんな声で聞こえてきた。表情と心の中は、まるで正反対だった。

 別に、よくあることだ。


 聞いた瞬間、先ほどまでの決意がガラガラと崩れていった。田中さん以外も、きっと同じように思っているに違いないとしか思えなくなった。

 私――七瀬心葉が二学期もクラス委員をやればいい。そうすればこの長引いたホームルームから解放される。さっさと引き受けてよって。

 ここで断ってしまったら、私はクラスのみんなにどう思われるのだろう。


「七瀬さん?」


 末永先生に再度名前を呼ばれて、私ははっとする。だから急いで立ち上がって、無理やり笑みを作ってこう言った。


「やります。私、クラス委員、やります」


 先生が安堵の笑みを浮かべた。教室のあちらこちらからため息が漏れたのも聞こえる。


「そっか。あ、でも七瀬さん一学期もやったよねクラス委員。いいの? 連チャンだけど」


 二連続で同じ生徒に委員をやらせることは、やっぱり珍しいのだろう。押し付けたことにしたくないらしい先生は、私の意志を問う。


 ここで私が断れば、どんな空気になるかを知っているくせに。卑怯だなあと思う。先生なんて、大っ嫌い。クラスのみんなも。

 ――だけど私は、そんな人たちでも、嫌われれるのが怖かった。


「いいんです。クラス委員、楽しかったから。あーいうの好きで、私。でも二学期は誰かに譲ろうと思っていて、立候補しなかったんです」


 満面の笑みで、心にもないことを言う。表情と気持ちが一致しないのは、私も一緒だな。


「それならよかったよ。それじゃ、二学期も二年三組のクラス委員は七瀬さんで! はい、じゃあ今日は解散」


 先生がそう言うと、日直が「起立、礼」の号令をかける。クラスメイト達は心のこもってない礼を形だけした後、すぐに席から離れた。

 一目散に教室から出ていく人。仲のいい友達同士と、今日の遊ぶ予定を立てる人。みんながみんな、晴れやかな顔をしているように見えた。

 クラスで浮いている……とまではいかないけれど、特定の仲良しがいない私は、ひとりポツンと席に残る。


 いつも一緒に帰ることが習慣になっている由梨と圭太は、今日は偶然にもふたりとも用事があると言っていたから、私を迎えに来る人もいない。

 しばらくの間自席でぼうっとした後、重い腰を上げた。そしてのろのろとした足取りで教室、昇降口を出る。


 ――どうして、こうなるんだろう。どうしていつも、こうなっちゃんだろう。


 私は触れただけで人の心が読めてしまう。生まれつきある、そんな無意味なこの能力は、私から意志や楽しみを容赦なく奪った。

 触れるたびに、自分のヘイトが聞こえてくる気がして、それが怖くて怖くてたまらなかった。そんなの気にしない様にしようと決意する度に、うっかり人に触れて嫌な声を聞いてしまい、あっさりと私は他人の本心に屈してしまうのだ。


 だから私は今までずっと、周囲の思う通りに、期待する通りに行動してきた。

 ――いや、今までだけではないだろう。

 今日も、明日も、この先もずっと。私の命が尽きるまで。

 私は人から嫌われない様に、自分を押し殺して生きていく道しかないんだ。

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