君だけが見えない、君だけに恋する

湊祥@「鬼の生贄花嫁」9万部突破

プロローグ

「――ごめん、ちょっと止めて!」


 車窓からぼんやりと外を眺めていたが、あるものが見えた俺は慌ててそう言った。


「え、何々、なんだ?」


 運転していた父さんは、焦った様子でそう言いながらも、車を幅寄せして路肩に停止してくれた。


「いきなりどうしたの?」


 助手席の母が、不審げに眉をひそめて俺に尋ねる。俺は窓の外を眺めながらこう言った。


「ちょっと……知り合いがいた気がして」

「え? こんなところに? だってあんた、ここには今日初めて来たはずでしょ」


 母の言う通り、俺は今日この街に初めて足を踏み入れた。父の転勤によって、海沿いの小さなこの街に、今日俺たち一家は引っ越してきたのだ。明日から近くの学校に通うことにもなっている。


 そんなところに、あんたの知り合いなんているわけないでしょ。母の訝し気な顔が、そう言っている。

 母は正しかった。俺の知り合いがいたわけではない。――だけど。


 どうしても確認したかった。車窓から見えた、防波堤の上に立つ彼女のことを。


 その見知らぬ少女は、俺にとって決してあり得ない特徴をしていたから。


「ちょっと、知り合いかどうか確認してくるわ」

「いいけど、そんなに時間ないわよ。引っ越し業者のトラック、もうすぐ到着する時間だから」

「分かった、すぐ戻る」


 そんな会話を母としてから、俺は車から降りる。そして防波堤の方へ駆け足で近寄り、勢いよくよじ登った。


 少し離れたところに、例の彼女はひとりで佇んでいた。艶やかなストレートの長い黒髪が、海風にはためいている。口を堅く引き結び、生気があまり感じられないお人形のような顔をしていた。


 眼前の海に今にも飲み込まれそうなくらい儚げに見えて。――きれいだ、と思った。


 そして、やはり先ほど俺が見えた彼女の特徴は、見間違いではなかった。


 生まれて初めて出会った、その特徴を持つ人物。俺の歴史の中では、あり得なかった。ひとりとして例外はいなかった。


 ――しかし、現在俺の目の前にいる彼女は。


 俺の存在に気づいていないらしい少女は、無表情を崩して悲痛そうな顔をした。内に込めていた悲しさを溢れさせたような面持ちに見えて、俺の胸がひどくざわついた。


 そして彼女は、すうっと息を吸い込むと。


 海に向かって、絶叫したのだった。

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