第207話 親子再会

 ミズキは静かに息を飲んだ。一歩後ろで控えるサヨと目配せをする。


 これは、神気だ。神気の強烈な渦。


 シェンシャンで発生する神気は、虹色の絹が大河の如くゆったりとした流れをもってたゆたうことが多い。


 しかし、ハクアという少年が導く音に乗って動く神気は、濃密かつ鋭さをもって、辺りへ拡散していく。暗闇に差し込んた一筋の光のような、新しさと強さを備えていた。


 これは、使える。否、このような稀有な力は、必ずや手綱を握っておかねばならない。何せ、ミズキ自身もシェンシャンの力を土台として組織を大きくし、果ては琴姫を旗頭にして、国をとり、あの帝国軍まで撤退させたのだから。


 今は、純粋さのある透明感の強いこの神気も、使いようによっては紫国を食いちぎる毒蛇にもなりかねない。


 ミズキは即座に判断すると、ハクアを王座の近くまで呼び寄せた。


「良い音だった。我が国の客人を助けた褒美として、私に仕えることを許そう」


 もってまわった言い方である。案の定、学の無いハクアは、よく分からないままに頷きかけた。そこへダヤンが立ちはだかる。


「それは、命令なのですか? ミズキ王は他人の、それも幼い子供のものを取り上げるおつもりらしい」


 ダヤンは、半ば冷や汗を流しながらも、必死でそれらしい言葉を紡ぎ出す。対面するミズキからは、いかにも王らしい覇気が溢れていて、今にも飲まれてしまいそうだ。しかし、引き下がるわけにはいかない。


「どういう意味だ?」

「ハクアと私は、既に師弟の間柄になっています。それに、神苑の笛吹きは野を駆けて、獣と戯れ、人知れず民を助けてさすらう神代からの一族。例え王であっても、彼の自由を奪うことはできない」


 ダヤンは汗と唾を撒き散らしながら吠えた。だが、ミズキの涼し気な表情は崩れなかった。


「言いたいことは、それだけか?」


 これが、王の格なのか。これが、立場の違いなのか。これが、今の自分の実力なのか。


 ダヤンは悔しくて唇を噛んだ。


「お前なんかに、分かってたまるか! 何でも好きにできると思うなよ! 今に、自分に跳ね返ってくるぞ!」


 紫国に来て覚えた、ありったけの捨て台詞を詰め込んで挑む。まだ、いける。まだ戦える。そう思っていたのに、誰かに口元を塞がれてしまった。


「ダヤン、控えなさい!」

「でも、母上」


 アイラは、ミズキが勢いでダヤンに処罰を下さないかと生きた心地がしていなかった。一連のミズキの様子は、彼女に在りし日の皇帝を思い起こさせていた。それは、恐怖以外の何物でもない。


「王。息子の非礼をお詫びします。どうか、今回ばかりはお許しを」


 跪きかけたアイラ。ダヤンは、何か嫌なものを思い起こさせるこの一幕に、目の前が真っ赤になった。


「やめてよ! 悪いのは僕なのに!」


 また母親が「王」という生き物にぶたれるかもしれない。居ても立っても居られなくなって、アイラを守るようにしてミズキを殺す勢いで睨みつけた。


 しかし、ミズキはくすりと笑って受け流してしまう。この男の強かさは、こういうしなやかさに有るのだ。


「うむ。ダヤンは威勢が良く、将来が楽しみな男子だな。だが、王を侮辱した罪は消えないぞ」


 笑顔が怖い。ダヤンも、ハクアも、背中に冷たい汗が伝っていくのを感じていた。


「しかし、隣国の姫からの申し出もあったことだ。まだ幼いこともある。目をつむる代わりに、一つ約束してもらおうか」


 子供二人とアイラは、どんな無理難題を出されるのかと身構える。


「この紫国の成り立ちは知っているか? 元はクレナ国とソラ国の二国だった。これらが一つにまとまり、特に王の悪政で苦しめられていたクレナの民を救い、さらには帝国と渡り合うことができたのには、理由がある」

「神具の存在でしょうか」


 アイラが呟いた。


「惜しいな。答えは、シェンシャンという楽器だ。神具の中でも最高峰のものにあたる。一方、その笛。見たところ、代々受け継がれてきたものなのではないか?」


 ハクアは、腰に剣のように身に着けていた笛へ、視線を落とす。


「見たところ、神具というよりかは、道具を大切に使い続けることで、そこへ神が宿り、同じような作用が起きる道具となったものと見受けられる」

「知らなかった」


 ハクアは、驚いた様子で、自らの笛をまじまじと見つめていた。


「その笛も、笛の奏でも、価値あるものと認めよう。それだからこそ、忠告する」


 ミズキから放たれる威圧が一気に強まった。


「この国の一番はシェンシャンだ。これを覆すのは、絶対に許さない。さもないと、国がまた崩壊するぞ」


 ハクアは、ふと父親と仰ぐ師匠の顔を思い起こした。笛の凄さを知らしめる、笛の力を探求すると言って旅立っていった男。


「国が崩壊すると、また民が貧しくなる。たくさん死ぬ。分かるな? 笛の価値は俺が認めてやるから、それで我慢しろ」


 何か言い返したいが、ハクアもダヤンも声が出ない。それぐらいに、有無を言わせぬ何かがあったのだ。


 その時、ミズキの背後の扉が少し開いた。女官がやってきて、まずサヨに耳打ちする。サヨはやや目尻を下げると、今度はミズキに何事かを囁いた。


「それと、もう一つ。ハクア、お前には確認しておきたいことがある」


 次の瞬間、扉は大きく開いて、数人が王との謁見の広間へ入ってきた。


「父ちゃん!!」


 きらびやかな王宮には不似合いな、小汚い壮年の男へ、ハクアが走り寄っていく。


「だから、言ったろう? 俺はお前の親父じゃない」


 そう言いながらも、エンジュはハクアを軽々と持ち上げて、幼子にするような高い高いをする。その背後では、ゆったりとした衣に見を包んだコトリと、それを守るようにして立つカケルの姿があった。


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