第206話 王子の反抗

 王宮に戻ったダヤンは、案の定軟禁状態にあった。いかにも腕っぷしの強そうな紫の衛士達、そして得体のしれない神具と呼ばれるものに囲まれて、薄明かりしか入らない部屋で退屈を持て余している。


「母上、僕はいつになったら出れるの?」


 初めこそ、心労のあまり死にそうな形相の母を見て、小指の先程だけ反省していたダヤンだが、さすがにこのような生活が七日も続けば暴れたくなってくる。五歳なのだ。むしろ、ここまで大人しくしていられたのは、奇跡に近い。


「私が良いと言うまでです」


 様子を見に来ていたアイラは、ぴしゃりと言った。以前ならば、これでダヤンも少しは怖気づいたものだが、どうしたことか。今回の騒ぎで、妙に肝が座ってしまったらしい。不満げに歪んだ口元は変わらなかった。


「じゃぁ、ハクアを連れてきてよ!」

「なりません」

「なんで?」

「あれは、お前をそそのかして、連れ去った罪人です。しかるべき沙汰が下された後、処分されるでしょう」


 ダヤンの顔が蒼白になった。


「処分?」


 その意味するところが、十分に分かる年になってしまった。つまり、もうハクアとは会えないということだ。このままでは、ハクアは無実であるばかりか、命の恩人であるのに、殺されてしまう。


 ダヤンは、腹を決めた。


「では、母上」


 アイラは、息子の様子が変わったのに気がついて、ハッとした。自らが産んだ子。分身とも思える子なのに、時折、知らない男を目の前にしているような気持ちにさせられる。


「何ですか」


 努めて、毅然とした態度を心がけたつもりが、ダヤンから発せられる気に圧倒されていた。


「ハクアを開放し、僕の元へ連れてきてくださるまで、僕は何も食べません」


 こんな大人ぶった話し方をするなんて。


「ダヤン」


 アイラは、まいったとばかりに目を閉じる。


 幼い子供だ。どうせすぐ、空腹に耐えかねて、音を上げるにちがいない。アイラは、そう、たかをくくっていたが、意外にもダヤンの忍耐は三日も続いてしまった。


 水だけは、無理矢理にでも飲ませている。しかし、少しずつやつれて、憔悴していく息子を見守るのは辛いものだ。


 結局、先に折れたのはアイラだった。王宮に出入りしている、チヒロという女に諭されたからでもある。


 彼女はかつて息子を産んだが、亡くしていた。徴兵され、どこか知らぬ土地で潰えたらしい。親は、子には勝てないと話していた。子のためになることと、親の望みが必ずしも合致しないことも。


 チヒロは王ミズキの姉で、元庶民である。以前は、そんな下賤な身の上の者と言葉を交わすなどもってのほかだったが、今は広く耳を傾けようと思えるのだ。


 息子、ダヤンのことであれば、主義主張も曲げられる。固定概念も捨てられる。そうして、子と共に、世界の広さを知り、成長していくのである。



 ◇



 ダヤンがハクアと再会したのは、紫王、ミズキの御前だった。


「それは確かか?」

「はい。ハクアは、獣から僕を助けてくれました。間一髪でした」


 ハクアがダヤンに悪さをしたと言い募っていたのは、アイラだ。ミズキは、視線だけをアイラに向ける。


「息子がそう言うのならば、そうなのでしょう。その者を解いてやってください」

「母上」


 裁きの場と聞かされていたため、最悪の事態を想定していたダヤンは、驚愕で目を見開いた。


 連れてこられていたハクアは、神具でできた枷を外されていく。


「ハクア!」


 ダヤンがハクアに向かって駆けていった。アイラは、なせか涙が溢れそうになるのをこらえながら、その背中を見つめる。


「ハクア、大丈夫? 痛いことされなかった?」

「僕のことは、心配しなくていいよ。君に笛を継ぐ前に殺されなかっただけ、幸運だと思う。それより、痩せた?」


 ダヤンは気まずそうに、そっぽ向いた。代わりに答えたのは、アイラだ。


「この子は、飯も食わずにお前の開放を訴えていたのです」


 恨みがましい視線がびしびしとダヤンの頬に突き刺さる。ハクアに良い格好をしたいたけに、無言で肩をすくめることしかできない。


「どうもありがとう。君は、体を張って僕を守ってくれたんだね」

「でも、遅くなったよ。すぐに助けられなかった」

「そんなの気にしなくていい。誰かのために動くことができた。それ自体が尊いんだ。君はやっぱり、神苑の笛吹きに相応しい」


 ここで反応してみせたのは、ミズキだ。


「笛?」

「はい、ミズキ様。ハクアは、笛がすごいんです」


 ダヤンは無邪気な笑みを浮かべる。しかし、ミズキは考え込んだように、やや俯いた。


「では、聞かせてみろ」


 そこから始まったのは、どこか既視感のある超常現象だった。



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