第202話 とある神具師
昔々、ソラのとある村に美しい娘がおった。名はオトメと言う。
それは、娘が十五になってすぐのこと。村の近くの森で盗賊騒ぎが起こるようになった。年頃の娘だ。親にも、もっと幼いの子供にも、重々用心するように言われ、日々を過ごしていた。
とは言え、いくら盗賊が恐ろしかろうとも、村から一歩も出ずに生計を立てることはできない。貧しいのだ。神具を作るにしても、材料は森に入らねばならぬ。綺麗な水が湧き出る沢も、同じく森の中であった。
身を守ると言っても、武器などない。満足に飯も食えぬ暮らしだ。痩せて骨と皮だけの華奢な体では、小さな農機具を担ぎ上げるのでやっとだった。
その日、オトメは、いつものように森へ入っていった。母親が長く臥せっていた。もう長くはないと村の神官に言われていたので、せめて最期に少しでも美味いものを食わせてやろうと、ほとんど人の子が分け入らぬ、森の深くへ足を進めていった。
目当てのものは、すぐに見つかった。甘い、甘い、桃だ。桃は、少し力を加えるだけで潰れて、醜くなる。大切に、守るようにして、そっと布に包むと、小走りで駆け出した。
しかし、不運は訪れる。
たちまち、巷を騒がせている盗賊共に囲まれてしまった。しかも、その頭は、村で一番の色男と呼ばれる青年で、ひそかにオトメが想いを寄せている相手でもあった。
「正体を知った限りは、生かせてはおけねぇなぁ」
「お願いです。命だけは、とらないでおくれ」
桃を母親に食わせるまでは、殺されてなるものか。その意地で逃げ惑ったが、逞しい男達の前では、オトメなど小鼠に等しい。すぐに捕まり、殺されはしなかったものの、案の定慰み者にされたのだった。
夕暮れになっていた。遠くで、不気味な鳥の声がしている。
オトメは、途方に暮れていた。
桃は、潰れて、全く原型を留めていない。
内側を吐出し、ぐずぐずになっている。おどろおどろしい姿は、血を流して心身を見知らぬ男達に食われてしまった、自分の様であった。
しかし、落ち込んでもいられない。まだ、桃は近くに自生している。陽も、完全には落ちていない。慌てて、新たなものを取りに行くと、今度こそ誰にも会わず、家に帰ることができた。
母親が死んだのは、直後のことだった。
「大切になさい」
震える手で突き返された桃。それが、重い音を立てて転がったのを見遣った瞬間、母親は事切れた。
この時にはまだ、オトメも、母親が何を言いたかったのかが分かっていなかった。何かを考えること自体が難しい。それ程にも荒んで、麻痺してしまっていた。強烈な体験が、頭を焼き切っている。
不幸は、それだけで終わらなかった。
父親は、母親が死んだのを、なぜだかオトメのせいだと考えるようになった。暴力は日常になった。幼い弟や妹達も、それを家の隅で見ていることしかできない。
盗賊の頭である青年とも、村の中で何度も出くわした。顔を合わせぬよう避けていても、向こうから近寄ってくるのだ。親から見放された娘を憐れむ、気の優しい青年のフリをして。
しかし、二人きりになると、たちまち豹変してしまう。嫁入り前にも関わらず、男とまぐわったのは醜聞だ。それを皆に話すぞと脅されて、また村外れの物置で体を汚されるのだ。
いつの間にか、涙すら出なくなっていた。
オトメは、自分が生きているのか、死んでいるのかしか分からない。できれば、まだ生の世界でありますように、と祈る。であれば、まだ死後の世界、神のおわすところが、今よりは楽園であることを望める気がして。
オトメは、父親に言いつけられて、夜な夜な神具を作っていた。せめて稼いで、家に貢献しろということらしい。
あぁ。神は、どうしてオトメを助けてはくれないのだろうか。神は、身の回りの、そこかしこにいるというが、誰一人、オトメに手を差し出してはくれない。
ある、満月の夜だった。
疲労と眠気でまぶたが重たくなったオトメは、夢を見ていた。
だだっ広い野原に立っていて、見たこともないほど雅な衣を纏っていた。オトメ自身は、いよいよお迎えが来たのかと身構え、心を震わせている。
そこへ、空からすっと白い人が降りてきた。
「苦しくは無いのか?」
男神だった。神など、実際に見るのは初めてであるのに、すぐにそれだと理解できてしまう程、圧倒的な存在。
「苦しく……?」
「そうだ。ここのところ、辛そうに見えていたが、それは芝居だったのか?」
この男神は、オトメが傷つきもがき苦しんでいるのを知りながら、ただ見ているだけだったのだ。オトメは、それが許せなくて、腹立たしくて眉を逆立てる。
しかし、睨みつけようと神を正面から見上げた瞬間、堰を切ったように涙を流して叫び始めた。
「そんな……わけありません! 私、私は……」
本当は、あんな荒くれ者の好きにはさせたくなかった。人の弱みに付け入り、深い傷を抉るような仕打ちも許せない。一時は好いた男だったかもしれない。けれど、実態は酷いものだった。裏切られたも等しい。
本当は、もっと真っ当な相手が良かった。ちゃんとオトメを大切にしてくれる人。父親のように暴言を吐いたり、責任転嫁したり、手を上げたりしない男。
けれど、何度も何度もオトメは、好青年の皮をかぶった狂人と体を繋げて、良いようにされている。
「どうしよう。あんな男の、子を授かってしまったら、どうしよう」
嫁に行ってもいないのに子を宿すなんて、娼婦になる以上の醜聞だ。そもそも、そんなオトメをあの父親がただでおくはずがない。子もろとも、なぶり殺される未来しか見えないのだ。
「神様、どうか助けてください」
オトメは、地面に平伏した。神は、微かに震える背中に手を乗せる。
「では、我妻にしてやろう。なれば、子ができぬ神具を作る才が目覚めるはずだ」
そうして、神と結ばれたオトメは、子ができぬ神具を作れるようになり、父親と離れても生計を立てられるようになった。さらに、神の加護を強く受けることで、悪しき者を近寄らせぬようになり、幸せに暮らせるようになったと言う。
こうしてソラでは、心に傷を負った女は、生涯神に仕えるという風習ができた。実際、社で神の妻として生きるという誓いを立て、それが神に認められると、オトメと同じ才がその場で授けられるらしい。
この才は、どれだけ卓越した技を持つ玄人の神具師でも、決して真似できぬ業である。覚悟を持った、選ばれし女だけに脈々と受け継がれる、稀有な力なのだ。
◇
「このような理由で、作り手があまりいないことから、ほとんど流通していない珍しい神具なのです」
ユカリは、そう締めくくった。ハトはずっと黙って聞いていたが、話が始まる前以上に険しい顔をしている。
「実のところ、これは、お前の話なのか? 正直に言ってくれ」
ユカリは吹き出さんばかり笑いを堪えている。
「まさか。そもそも私は、クレナの生まれ。神具の才は全くありませんし、一般的にこの国の男は、私のような形の女に食指は動かないようですから」
「見る目が無い奴ばかりだな」
ハトは、ほっと安心したように溜息をつくと、ユカリの丸い体に顔を埋めた。
そして、ユカリがこの話をハトに聞かせてみせた理由について、思いを馳せるのである。ハトは、王ミズキの右腕だ。貴族の生まれながら、庶民の視点をもち、国で二番目に大きな権力を持っている。
目指すべき道が、薄っすらと見えてきた気がした。
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