第166話 国の終焉

 王宮は、数多の民に取り囲まれていた。一部は門から中へ侵入し、朝殿前の広場で口々に大声を上げている。しかし、それも仮設の舞台の上に一人の男が現れたことで、ピタリと静まり返ったのである。


「皆、ここまでよく我慢した」


 ミズキだ。拡声の神具をもって、語りかける。群衆は一字一句聞き漏らすまいと、全身を耳にしている。


 コトリ達よりもひと足早く都へ戻っていた彼は、全身を鮮やかな紫の衣に身を包んでいた。それは、遠目からもよく分かる高貴さを醸し出している。


「これから、王の処刑を執り行う」


 それを聞くや否や、同意と歓喜の叫びが地を揺らすように轟く。開け放たれた扉から見えるのは朝殿の最奥、少し高くなった壇上にある豪奢な椅子に括りつけられているのは、間もなく王ではなくなる男だ。


 遅れて駆けつけたコトリは、ミズキの傍から変わり果てた父親を眺める。込み上げてくるのは、不思議な感情である。


 ずっと恐れと嫌悪の対象であった。あれの血を引いていると思うと、自らが汚らわしく感じることすらあった。けれど、現存する一番近しい血の身内なのである。


「ミズキ様。コトリは、あの者に最後の別れを告げたいのかもしれない」


 カケルは、父親の最期を看取ることはできなかった。そうなることを見越してか、最後に会った際には遺言のような話をされたが、それがあったが故に、過剰な心残りを引きずらずに今を過ごすことができている。


 見ると、王もコトリの方を見て何やら、わめいている様子だ。


 あの者は、カケルにとっても宿敵であったが、コトリがこんな表情を浮かべるのであれば、温情をかけてやらぬこともない。


「コトリ?」


 カケルが尋ねると、コトリは小さく頷き、連れ立って朝殿の中へ入っていった。


 改めて見渡すと、ここ朝殿は、クレナの文化と芸術の結晶のような場所である。ルリ神をはじめとする神々の姿絵から、各地にある社を表す絵。金銀をこれでもかという程注ぎ込まれた緻密な細工。複雑な幾何学模様を成す欄間や天井。全て、ありし日の栄光。過去である。


 それらに囲まれて、王座に座らされて厳重に紐が巻かれて拘束されている男。頬は削がれたように痩けていて、衣から突き出る手は骨と皮だけに見える。皺だらけの目元の奥、瞳だけは怪しい光を放っていて、化け物のようだ。


「コトリ」


 声も、かねてよりも、さらに艶が無くなっている。コトリは、自ら進んで近づいたにも関わらず、怖くて震えた。


 ここに来ても尚、この父親は娘に酷い暴言を吐くのだろうと思うと、ついつい身構えて体を固くしてしまう。


 しかし、その予想は裏切られてしまった。


「シェンシャンを、弾いてくれないか」


 これは、父親の皮をかぶった別物なのではいか。そう思える程の天変地異が起こったかのようで、コトリは目を見張る。けれど、二言目はいつも通りである。


「お前が奏でれば、神が私の無実を理解し、それを証明してくれるかもしれぬ」


 やはり、保身しか見当たらなかった。ある意味、愚王本人だと確認できたようで安心してしまうのと、呆れてしまうのが半分ずつ。コトリは、やり場のない気持ちと、刻々と近づく処刑の時に向けての焦りのようなもので、少しずつ、自らの首が真綿で締められていくような心地がしていた。


 親殺し。という言葉が掠める。


「カケル様。私は、やはり、罪を」

「コトリ、しっかりしろ。罪をおかしたのは、貴方じゃない。目の前のアレだ」

「でも、やはりあれは、父であり」


 カケルは、強くコトリの手を握りしめた。


「俺は王を辞める。コトリは、正式に琴姫になる。ミズキ様は王になり、サヨ様は王妃に。それぞれの立場で、それぞれに偉くなり、皆、大勢の民の光になる」

「はい」

「尊い身分は時に重い決断を迫られる。手にした自由と特権は、その分の責任と義務がつきものだ」

「はい」

「覚悟を決めよう」

「……はい」


 コトリは、少し俯いて歯を食いしばる。込み上げてくるのは、真の開放への喜びなのか、虚しさなのか。本人にすら理解できない。そんな不甲斐ない態度しかできない自分が、情けなくてたまらない、のかもしれない。とにかく、この感情の名が分からないのだ。

 カケルは勇気づけるように、コトリの顔を覗き込む。


「身内が処刑されるんだもんな。素直に悲しめばいいし、泣いてもいい。でも、新たな紫の時代が、あの者は不要と決めたんだ。だから、皆で葬ることになる」


 カケルは、コトリが自らの手で父王を葬るのではないと言いたいらしい。それでも、コトリの微かな震えは止まらない。


「大丈夫だ。これをコトリが罪だと思うなら、一緒にその罪を被るから。何らかの償いが必要であれば、それも共にする」


 コトリは、ゆっくりとカケルを見上げる。カケルは、微かに頷いた。


「もう、一人で苦しむことはないんだ」

「はい」


 カケルの瞳に、不安がすっと吸い込まれていくようだった。不思議と、心が凪いでいく。


 コトリは、もう一度父親の方へ向きなおった。上座と下座。今も昔も遠い隔たり。けれど、カケルの手の温もりがある今、初めて対等に対峙できた気がした。


「父上」


 こう呼びかけるのは、いつぶりだろうか。そしてこんな機会は、もう二度と来ないのだろう。


 コトリは、嬉しいのか悲しいのかも分からずに、目に涙を浮かべた。


「旅立たれた時には、シェンシャンを精一杯奏でてお見送りさせていただきます」


 その時だ。王座の裏にある扉が開いて、ぞろぞろと女達が入ってきた。全員白装束である。


「正妃様?!」


 いつの間にか二人のすぐ近くにいたミズキまでが、驚いている。カケルも、この展開は予想していなかったのか、近くにいた紫の手の者に目配せするも、これは台本に無かった筋書きらしい。


 正妃は、王よりも前に出てきて、コトリ達の方を見据えた。その背後をやって来たのは、どこか見覚えのある者達。顔が、手が、あまりにも酷たらしいが、おそらくハナ、そして、その取り巻きの楽師達なのである。


「どうして、そんな。なぜ、ここに」


 おぞましいとも言える姿に、コトリは上手く言葉が出ない。しかも紫の情報によると、ハナ達は、ずっと行方不明だったのだ。


 しかし正妃は、あくまで通りかかった者へ挨拶するかのように、カケルへ気さくに話しかける。


「ソラ王よ、久しいな」

「正月ぶりにございます」


 そうは言っても、実は互いに素顔を晒すのは初めてのこと。どことなく違和感が残るが、正妃は素知らぬフリで言葉を続ける。


「噂を聞いた。義理ではあるが、我が娘コトリを娶ることになったとか」

「えぇ」

「私はあの男と運命を共にする故、もはや何もすることができぬ。くれぐれも生涯大切にして、添い遂げてやってほしい」

「え、まさか?!」


 カケルは、咄嗟に正妃へ向かって一歩踏み出したが、正妃はなぜか鼻で笑って踵を返す。一方、元王は不機嫌そうに彼女を睨んでいて、まるで収集がつかない。


 そこへ、さらに事情を飲み込めていない者が出しゃばってきた。


「正妃様。では、帝国の使者様は、いつおいでに?」


 ハナだ。どうやら、白装束は帝国を迎えるためのものだと思いこんでいるらしい。帝国こそが、王を助け、ハナの暮らしを理想のものへと引き上げてくれると、未だに信じて疑わないのだ。そう盲信することで、この危機から目を逸らしているのかもしれない。いや、単に狂っているだけなのか。


「お前は何もせず、そこに居れば良い。迎えは勝手にやって来る」


 正妃がピシャリと言い放った冷たい声に、なぜかハナは恍惚とした表情を浮かべていた。コトリ達一同は、それに薄ら恐ろしさを感じ、たじろぐことしかできない。


 迎えとは、きっと死を迎えるという意味に相違ないのだ。他の楽師は、これから起こる出来事が分からずにおろおろしている。


 コトリは、反射的に助けなければと思った。けれど、それをカケルが引き止める。


「どうして」


 その答えは、正妃からもたらされた。


「都を今のように荒廃させたのは、この者達の奏でが原因だ。そして、こうした悪しき芽を早くに見つけられず、伴侶の暴走を食い止めることもできなかった私にも罪はある」


 これには、カケルも顔色を変えた。


「それを言うならば、皆に同じ責任があります。それを全て背負って先に逝くなんて」

「あまりに、カッコつけすぎだろ」


 ミズキまで怒りを滲ませた。しかし、正妃はたおやかに笑むだけ。


 背後では、さらに集まってきた民の、怒号にも似た声の嵐が渦巻いていた。このままでは、処刑の前に、民が暴走してしまう。もう猶予は無い。


「カッコつけで結構。アヤネとの約束も違えてしまい、クレナ王家を守ることができなかった。これ以上の罪が、他にあろうか」


 すると、正妃は懐から何かを取りだした。あっ、と思った時にはもう遅い。彼女の足元から一気に炎が上がり、みるみるうちに王座周辺の床へと広がっていく。楽士達の悲鳴。王座に固定されて動けぬ王のくぐもった怒声。ハナの狂気を孕んだ叫び。


「早く、ここから出なさい。出ていきなさい。コトリ、今こそ、ここから飛び立つのです!」


 カケルは、正妃の声で弾かれたように我に返ると、コトリを抱えて朝殿の外へ駆け出した。それにミズキも続く。それを火がひらひらと揺れながら追いかけてくる。


「くそっ。予定通りだが、予定外だ!」


 悪態をつきつつ、ミズキは先程の仮設舞台の上へ上り詰めた。


「これより、王の処刑を執り行う。皆、篝火を持て。王宮に火をつけろ。恨みも苦しみも辛さも、全て全て火に移して、王宮ごと、重罪人を焼き払うんだ!!」


 民に処刑の一端を担わせろとミズキに言ってきたのは、またもや義父、菖蒲殿のザクロだ。民は、面白いぐらいに上手く先導されて、紫の者が準備していた火をそれぞれの手に取り、自ら王宮の建物へと移していく。


 小さな炎は、すぐに大きな炎へ成長していく。それらが集まって、まるで蠢く亡者のような恐ろしさをもって巨大化していった。赤い化物は天に向かって聳え、国の中心だった場所を踏みつけ、灰に変えていく。


 クレナという国が、炎の向こうに、消えていく。


 コトリは、それをカケルに抱きしめられながら、遠目に見つめていた。少しずつ、骨組みだけになっていく宮。ついに朝殿の大屋根が爆音を立てて崩れ落ち、黒い煙が辺りに充満し始めた。


「カケル様。それでも私は、奏でることしかできないのです」


 コトリは、用意されていた紫陽花柄のシェンシャンを手にとった。弾片も握って、奏での構えを取る。


「全ての民へ、神の恵みを」


 コトリは、雨乞いの調べを奏で始めた。


 王だった男も含めて、この地に住まう、ありとあらゆる者へ捧ぐ奏で。天から、全てに等しく降り注ぐ雨が、優しく皆を包み込み、悲しみも、怒りも、流れ落としてくれますようにと願うのだ。


 カケルの目には、青い神気が強く立ち込めているのが見えた。あっという間に雲が集まり、空が暗くなる。


 雨は、すぐに降り出した。


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