第167話 終わりは始まり

 それから半刻後。一時は強かった雨が止み、雲の切れ間から何本もの細く白い光が、地上に向かって柔らかに注がれ始めた。


 どこぞの家の屋敷の軒先。コトリは、傘を持って傍らに付いていた紫の者にシェンシャンを預けると、ゆっくりと立ち上がって目を凝らす。視線の先は大通りの彼方。あれだけ立派な王宮も、火の力を借りればあっという間に姿を消してしまった。父王と共に。


 本当の本当に、全てが終わったのか知りたくて、すえた匂いの方へ一歩を踏み出す。それをカケルが隣で支えた。


「コトリ、よくがんばったね」


 コトリは上手く頷くことができない。これで、自由になったのだ。良いことのはずなのに、身体が緊張して固まってしまっている。


「焼跡をもっと近くで見てみたいわ」


 そう言うと、カケルが周りにいた手の者に合図を送った。すると、いかにも高貴な気を放つカケルと、噂通りの見目である琴姫コトリに、人々は平伏すようにして道を開ける。


「本当に何もかも無くなったのね」


 コトリは、かつて門があった場所までやってきた。あまりにも呆気ない国の終焉。あったはずのクレナ国の象徴、王宮が跡形も無くなくなり、広大な敷地がぽっかりと空いていて、未だにしっかりとした実感が湧かない。


 そこへ、ハトがやってきた。


「カケル様」


 何やら、用があるようだ。コトリが一歩身を引くと、ハトはやれやれとでも言うように溜息をつく。


「困ります。もっと笑っていただかないと」


 コトリは、ニ、三拍遅れて、それが自分のことだと気がついた。


「皆、あの男から開放されて、僅かばかりの敵討ちに加担し、気が高揚しています。クレナは終わりました。この後、新しい国が建ちます。なのに、琴姫ともあろうお方が」

「ごめんなさい。そうよね」


 そうだ。ハトの言う通りだと、コトリは気を引き締める。感慨に浸っている場合じゃない。そして、父親に別れを告げた際、カケルから貰った言葉を思い出すのだ。


 さらには、夏の日、菖蒲殿当主との面会の際に立てた決意。流民達の憤りを肌で感じた秋。カケルと会話することすら阻まれ、乱暴を働かれた正月。姑息な真似で様々な嫌がらせをされた春の園遊会。


 まだまだある。王の影に怯え、身を縮めて過ごした王宮暮らし。母を失った幼き日や、姉が受けた仕打ち。各地の社の御神体であるシェンシャンを奪われて、途方に暮れていたスバルの顔。


 何より、いつも傍で支えてくれたサヨや、暮らしの改善を掲げて立ち上がり、組織を率いてきたミズキの頑張りがあっての、今日の日だ。


 そして、常に心の拠り所となり、誰よりもコトリを大切にしようとしてくれるカケル。他国にまで乗り込んで、助け出してくれた時の彼の笑顔。


 思い返せば、今更ながらいろいろあったものだ。初めは、ただ帝国に嫁ぎたくない。それだけだったのに、コトリのふとした行動を発端に、将棋倒しのようにして切れ目なくここまで繋がり、クレナの滅亡まで辿り着いた。


「あなたがいたからこそ、此度の悲願を成し遂げられたのです。誇ってください。喜んでください。あなたも人だ。思うところはあるだろうが、今は前へ進む時」


 ハトと、こんなにも長い個人的な会話をするのは、初めてのことである。コトリは、それだけ彼が言いたいことを心の内に溜め込んでいたのだと思うと、申し訳なさが募った。


 そうだ。コトリは元王女であり、琴姫を名乗る者。そして、カケルの横に並び立つ者である。それに相応しい責任を果たさねばならない。


 それを改めて気づかせてくれた者には、礼を尽くすべきだ。


「ハト様。ありがとうございます」

「いえ」


 まさかこんな高貴な姫に説教し、礼を言われる日が来ようとは、ハトとて思いもよらなかった。言い終えた時には、やりすぎてしまったかと一瞬後悔が押し寄せたものの、直後に見た凛とした笑顔に息を呑む。やはり、この人こそが、正真正銘、紫の旗頭なのだと。


「そうだよ、コトリ。終わりは始まりなんだ」


 カケルも言う。


「これで邪魔者はいなくなった。すぐにでも婚儀を行いたいけれど、帝国を討つのが先かな?」

「そうですね」

「無事に、正式な夫婦となれるよう、一つずつ片付けていこう。後一歩だ」

「はい」


 コトリは、しっかりと返事するに留めた。本来ならば、こういったことを口にしてもらえるのは女として嬉しすぎる話であり、今すぐにでもカケルに抱きつきたい心境。けれど、クレナに入ってからというもの、カケルとは婚約者的立場として、程よい距離を保っている。


 アダマンタイトからの帰途、あれだけ手を取り合って近しかったことが、もう懐かしく、夢の切れ端のようだ。サヨさえ、もう少しカケルのことを認めてくれれば、もっと日頃から体を寄せ合うような関わりができるかもしれないのに。とコトリは、小さく呪詛を吐きそうになるのである。


「それにしても、サヨは?」

「ミズキ様が新国の勅を発する際、お側へ侍られるため、身支度なさっています」


 サヨは王妃となるのだ。王夫妻がクレナ出身となることから、ソラの反発を抑えるためにも、ソラの王宮から運んできた伝統ある装飾品で着飾ることになっていた。そして、女の支度は時間がかかる。


「しばらくは、サヨ様はご公務でお忙しくなるでしょうね」


 勅が終わると、サヨは、僅かな隙間時間を縫ってマツリの元へ出向き、母君のお悔やみをする。その後はザクロや紫との会合を持ちつつ、再び香山へ戻り、カケルの兄弟達と合流して、ソラでも建国の発布を行うための準備をするという手筈だ、とハトは話した。かなり忙しくなりそうだ。


 もちろん琴姫コトリも、それに従った日程となるのだが、やはり政とは一線を画す立場。多忙さの質が違う。


 その時、はたっと思い出すことがあった。


「ねぇ、鳴紡殿は、焼けてないわよね?」

「はい。琴姫様の本拠地でありますから、火が燃え移らぬよう、神具を使って万全を期しておりました」


 カケルは、ハトの働きに満足したようで、大きく頷いている。


「では、まだ楽士達もそこにいるのよね? 私、アオイ様達と会わなければ」


 勅の後、鳴紡殿行きを希望したコトリ。女同士の積もる話に水を差さないためにも、カケルは別行動することにした。ハトはそれを承知して、また段取りのために紫の者たちへ指示を飛ばすのである。


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