第165話 白装束

 コトリは、カケルのためにシェンシャンを奏でていた。クレナとソラの会談が再開したのは、その後のことである。白熱した議論は夜更けまで続き、翌日にも行われた。


 さらに、その次の日。


「では、いってきます」


 離宮の外に並ぶ馬車近く。そこには、ヨロズ屋の紋の入った籠を背負うカケルの姿があった。工具などを入れてあるのだ。


「兄上、一介の商人のような形で琴姫様と同乗するなんて、ありえません」


 見送りに来ていたチグサが、すかさず指摘する。


「衣は王らしいものなのだから、手荷物ぐらい、どうってことないだろう?」

「くれぐれも、クレナの民に失望されぬよう、今しばらくは威厳を保つようにしてください」


 もはや、カケルの母親のようである。コトリは、口元を扇で隠しながら微笑んでいた。


「それではチグサ様、また近いうちにお会いしましょう」

「えぇ。また茶会をいたしましょう。あと、こんな兄ですけど、よろしくお願いしますね」


 カケルは、何か言いたげだったが、隣にコトリがいるので、すぐに機嫌が良くなった。馬車は二人が乗り込むとすぐに出発する。目的地はクレナの都。今となっては、すっかり寂れた王宮へ向かうのだ。


 その後の話し合いで、帝国が攻めてくる前に、クレナ王家を解体してしまうことが決まった。処刑の対象となるのは王のみ。他は、紫の傘下に入る。


「いろいろなものが変わっていくね」


 カケルは、車窓から流れる景色を見つめながら、コトリに語りかけた。


「私はずっと変わらず、カケル様の隣にいます」


 カケルは、ふっと頬を緩めた。殺伐とした動乱の世。コトリの笑顔は、数少ない癒やしである。


 ずっと遠くから想っていた人が、自らの特別な人として隣にいる。アダマンタイトからの旅を越えて、ソラへ戻り、ようやく自分のものにできると実感が湧いたのだが、今でも時々信じられなくなる。そこに、本当にいるのか。なぜか不安になって手を伸ばすと、コトリはそれを両手で受け止めた。


「この先は遷都もあるでしょうし、ヨロズ屋のあり方も変わるかもしれません。ですが、どれも焦らず進めればいいのですわ。立場が変わっても、カケル様はカケル様なのですから」


 コトリの目が気づかわしげにカケルを見つめている。包まれているカケルの手は、次第に熱を持ち始めた。


 やはり、この人を選んで良かった、と思うのだ。



 ◇



 クレナの都は、完全に色褪せていた。通りを行く人の数も減り、皆俯きがち。強くなり始めた日差しだけが、じりじりと地面を焼いている。


 そんな中、廃墟の趣すらある王宮のとある宮で、正妃は分厚い隠し扉を押し開けていた。埃っぽい匂いとかび臭さが鼻につく。


「そなたらの出番が来た」


 中で力無く座り込んでいる元楽士達が虚ろな瞳で正妃を見上げる。彼女は、所謂白装束であった。装飾的な部分は全て削ぎ落とされ、どこまでも簡素な佇まいであるのに、不思議と威厳と風格が滲み出ている。


「これに着替えるのだ」


 正妃の声を合図に、侍女達が人数分の衣を運んできた。全て、正妃と同じ真白なものである。


「神聖なる儀式を行うのですか」


 代表して、ハナが期待混じりに尋ねる。しかし、正妃は残念なものでも見るかのように薄く笑うだけで、何も答えない。


 確かに、社の巫女は白を基調とした特別な衣で、日々の勤めや儀式を行うことはあるが、ここまで飾り気の無いものなど着はしない。では、この衣は、どのような場合に纏うものであるのか。


 それは、喪の儀式の時。もしくは、自死の時の装束なのである。


 まだ若く、帝国の習慣ばかりにかぶれたハナは、そういったこの国の古い文化は知らぬらしい。正妃と、どこか華々しい表舞台に出向くのではないかと、勝手に胸を躍らせて、そそくさと支度をするのである。


 しかし、その影にいたカヤは、顔を引き釣らせていた。もはや、人であることを半ば捨てているハナは、気づいていないようだが、前日から王宮の外が煩くなっているのだ。


「王が処刑されるぞ」

「ミズキ様がお帰りになる」

「琴姫様の世になるかもしれない」


 民のざわめきは大きく、王宮の奥深くにまでも届いてしまう。どうやら、紫の者達が噂を広げているらしいのだ。


 この話が真ならば、正妃の意味するところは、ただ一つ。


 王と共に、殉死するのみである。


 カヤは、死装束であり、庶民を意味することもある白の衣の端を、ぎゅっと握りしめた。

 よく考えれば、ハナを裏切った王の伴侶である正妃が、本当に助けてくれるだなんて、おかしな話だったのだ。正妃の実家、姫空木殿は紫側だとも聞く。到底、コトリ王女を帝国に引き渡したハナを許して、一生匿ってくれるとは思えない。


 カヤは、うきうきとしているハナへ、思わず手を伸ばしそうになった。おやめください。これは罠です。ハナ様は逃げて生き延びてください。そう言いたいのに声が出ない。


「ごめんなさい」


 口の中で、呟いた。


 もう、自分がハナのためにしてやれることは何も無い。きっとここも、カヤやハナが気づいていないだけで、紫から監視されているのだろう。それをくぐり抜けて、どこか遠くへ逃げることなんて、できるわけがないのだから。


「ごめんなさい」


 涙が、溢れた。


 カヤは、自分が如何に中途半端な存在だったか、思い知らされたような気がしている。


 仲間であるはずの楽師を騙し、取り入り、蹴り落としたにも関わらず、結局主を守りきれず、実家を盛り建てることもできないまま、若くして死ぬことになる。


 あまりに無念で、悔しかった。


「ハナ様」

「何をみっともない顔しているの」


 ハナは、未だに治らぬ酷い火傷の顔をぐしゃぐしゃにし、般若のようになった。


「さっさと支度して、一緒に来なさい」

「はい。共に参ります」


 最期まで、参ります。


 どこで間違ってしまったのだろうか。どこで、どうすれば、今頃違ったのだろうか。


 もし、ここで反省すれば、命散りし後に、この世の神の一柱となり、誰かのシェンシャンの音に呼ばれて、そのまた誰かの助けとなる恵みの一滴になれるのであろうか。


 と、考えても埒が明かないことを思い巡らせながら、カヤは濡れた自分の頬を乱暴に手で拭った。


 シェンシャンは正妃に取り上げられてしまい、もう自分の持ち物と呼べる物も無い。身一つ。今度こそハナへ手を伸ばすと、その身体を支えるようにして一歩を踏み出す。


 後は、ハナがなるべく怖がらずにその時を迎えられるよう、隣に侍ることだけが、カヤの残された仕事である。


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