第164話 サヨの戸惑い

 さて、ソラの兄弟達が肩の力を抜いて語らっていた頃。クレナ側も別の部屋でひと休みしていた。


 けれど、随分と微妙な雰囲気なのである。


「私、姫様よりも偉くなるなんて、絶対に無理です!」


 そう叫んでいるのは、もちろんサヨだ。ミズキとハト、ユカリは、少し離れたところで政の話をしている。コトリは、努めて笑顔になった。


「大丈夫よ。これからの政は、皆で決めて進めていくんだもの。サヨが一人で背負い込むものではないわ」

「いえ、そういうわけではなくて」


 サヨは、ずっとコトリを主と仰いで楽士団にまでついてきた女だ。それを今更立場が逆になる、それも王妃になれと言われたら、すぐには受け入れられるわけがない。


 コトリはサヨが言わんとすることを理解しながらも、若干話をずらして嗜める。


「サヨは、これまでも菖蒲殿の娘として、紫の一員として、そして私の侍女として、常に最前線で活躍してきたわ。配下となる方々も、既にたくさんいるのでしょう? きっと皆、あなたのことを寿いでくれるはずよ」


 サヨは曖昧に頷く。コトリには、貴族の欲にまみれた世界や、陰謀渦巻く王宮の闇も、極力見せないようにしてきたつもりなのに。やはり、既にたくさんの事が見抜かれているのだろうと思うと、少々気不味くなるのである。


 けれど、既に上に立つものとしての自覚は芽生えつつある。コトリの言う通り、多少の経験はあるのだ。サヨは主でもあり、親友でもある者の声に励まされて、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「それに、サヨが貴族の娘であるということは、とても大切な意味があるのよ?」

「そうですね。先程は父も大喜びでした。面と向かって褒められたことなんて、今日が初めてかもしれません」


 サヨは、休憩に入る前に広間の外で控えていた父、菖蒲殿当主のザクロに粗方の報告を済ませていたのだ。


 新国の妃の父となれば、王となるミズキへの影響力も大きい。ミズキにとっては目の上のたんこぶともなりかねないが、これはこれで良い面もある。例えば、クレナの貴族方面に、新たな体制を受け入れるよう説得し、従えることなどだ。


 ザクロも大変な仕事となるだろうが、元より政のより中心に切り込みたいと企む彼には願ってもないことなのである。


 ちなみに、ソラの貴族方面は、チグサの女友達――――もちろん貴族――――や、テッコン繋がりで、既に根回しは進み、好感触を得ている。言うなれば、庶民が活躍できる機会、すなわち職人や神具師のより一層の地位向上へ繋がる話となるのだ。


 さらには、王族という世襲制の政治体制が撤廃されそうな動きまである。つまり、誰しもが、王族という階級にならなくとも、世の中の中枢へ躍り出ることができるかもしれないのだ。これは、貴族にとっても庶民にとっても画期的なことだ。


 コトリも、ワタリという悪例を知るが故に、世襲や長男というものに拘りすぎる事は国を傾けると考えている。


 カケルも、商人や職人としての目も持っているからこそ、次の世こそ、もっと民に関する物事は、民にもっと近いところで決めていくべきだと思っているらしい。


 二人とも、自らの立場に固執しないからこそ、出せた提案だと言えよう。


「それにしても、カケル様達からのお話はすごかったですね」


 実は他にもあった。

 その最たるものが、楽士団に男を加えてはどうかというものだ。


 クレナでは、初代王が女であった所以か、ずっと女だけでの構成となっていた。しかし、男でもシェンシャンを弾いて神気を操るこくことができるのは、ミズキが既に証明済みである。


 今もソラでは、ミロクが多くの民にシェンシャンの弾き方と、その技、魅力を広めてまわっている。男の弾き手も、少しずつ増えてきた。神の恵みを土地に授ける奉奏を、より多くの人間ができるようになれば、民の生活の質を向上させるにあたり、かなり効率的になるだろう。


 確かに、すぐに今の楽士団に男を組み入れるのは難しいかもしれないが、まずは男だけでの団を作り、いずれは男女混合の演奏集団をいくつか作っても面白いかもしれない。


「えぇ。さすがはカケル様です」


 コトリは、我が事のように胸を張っている。コトリは今日の話について、事前にカケルから相談や説明を受けていたのだ。


 やはり、カケルが王にならないと言い出した時は驚いたものだ。せっかく得たこれ以上ない地位を捨てるなんて、さすがのコトリでも勿体ないと感じてしまう。


 けれどカケルは、照れながら、こう話したのである。


「コトリを王族にしない方法を一生懸命に考えたんだ」


 かつてコトリが話していた事を、ずっと覚えていたカケル。どうしても王族という閉鎖的で制約が多く、責任が酷く重い身分から開放してやりたいという彼の執念が、捻り出した結論だったのだ。


「それに、コトリのシェンシャンが好きだから、これからも楽師として、のびのび弾いて欲しいなって」


 これを聞いた時のコトリのときめきと言えば、虹色をした神気の中心に佇むが如く、心を鷲掴みにされたようで。改めて、カケルから注がれる強い想いと深い愛情を実感したのである。


 一方、心配事もあった。今のカケルは、一心不乱に新たな国のための策を考え、推し進めている。そして、一切あの事件のことには触れようとしないのだ。


 ラピスの裏切りのことである。


 カケルが一番大切にしてきた弟子であり、ゴスに次ぐ相棒でもあった。いずれは、ヨロズ屋の後継者にもしようとも考えていたはず。しかし、いつの間にか帝国に寝返っていた。


 コトリ自身、ラピスには流民と遭遇した際に役立った神具の件で世話になったこともあり、未だに信じられずにいる。あの人懐こい笑顔の裏に、そんな正体があったなんて思いもよらなかった。


 これがカケルの身となれば、どれだけの悲しみか。コトリには図るべくもないが、神具を作ることもせず、敢えて別のことに打ち込んでいる姿はあまりにも痛々しいのである。


 名の交換を行った者として、なるべく寄り添い、元気づけたいところ。だが、力不足ばかりを自覚してしまうのだ。


「姫様?」


 サヨは、コトリがふと、浮かない顔をしたのに気づいたらしい。


「え、何?」

「もしかして、クレナの王宮のことが、やはり気がかりなのでしょうか」

「えぇ、そうね」


 サヨの懸念もあたっている。此度の席は、クレナという国の今後を決めるもの。そこに、王家から出席しているのはコトリだけだったのだ。兄達の話はミズキから聞いたが、他の者達はどうしているのだろうか。


「実は、正妃様もお誘いしたのですが……」

「断られてしまったのね」

「はい。それだけではありません。徳妃様が」


 サヨが、顔を強張らせる。


「お隠れになってしまいました」

「そんな、まさか」


 徳妃というのは第三妃のこと。つまり、マツリの母親にあたる。


「侍女達が発見した時には、既に自死なさった後だったようで。遺言と思しきものには、マツリ様が王側とも、紫側とも煮えきらぬ態度であることへの不満があることや、昨今の不穏な都の様子に、この世の終わりがやって来ると儚んでいらしたことも書かれてあったとか」


 コトリの記憶では、彼女は武人のマツリを産んだとは到底思えぬ華奢な女人だ。文化的なことを好み、歌会などと称しては見目の良い若い男を集めて侍らせているなどと言う噂もあったが、王宮をほとんど出歩くことのできなかったコトリに真相の程は分からない。しかし、少なくとも王に頼らずとも気丈に生きていけるだけの活力があったはずなのだ。


「どうして、そんなことに」

「これはまだ憶測に過ぎませんが……」

「何か思い当たることがあるのね?」

「えぇ。このところ、王宮の一画からおどろおどろしいシェンシャンの音が聞こえるという噂があるのです。一日中流れているわけではないようなのですが、耳にすると心が荒んで鬼になると言われているらしく」


 コトリは、眉をひそめた。市井の民が聞けば、怪談紛いの作り話のように聞こえるだろうが、きっとそれは大方真実に違いない。シェンシャンは、良きに使えば人を救うが、悪しきに使えば人を殺すことができる。神の力を宿した音色は、如何様にも働くものだ。


「神聖なる楽器シェンシャンで、そのような奏でをする人がいるなんて!」

「姫様、お怒りは当然ですが、紫でも調査は続けております。分かることが出てまいりましたら、またお知らせしますから」


 サヨは慌てて嗜めるが、彼女自身も戸惑うと同時に強い怒りを感じている。昨今の都が荒廃している原因は、これなのかもしれないのだから。


「ありがとう、サヨ。ひとまず、マツリ兄上にお見舞いの文を出さないと」

「えぇ。そうしましょう」


 その後は、正妃が自らの宮に閉じこもって出てこない話などがなされる。サヨが連れてきた菖蒲殿の侍女から出された果物などを食べていると、そこへカケルがやってきて、コトリは連れ立って部屋を出ていった。


 サヨは、ふっと疲れたように溜息をつく。


「姫様。私もそろそろ、自立のし時なのでしょうか」


 隣にある空いた椅子も、どこか寂しそうである。


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