第163話 後悔はない

 クレナとソラの歴史的な会合を終えて、すぐ。ソラ側は、一つの部屋に集まっていた。


 いつの間にか、季節は夏になっている。部屋に面した庭には、青々と草が茂り、日除けのための薄手の御簾が、パタパタと軽い音を立てて、生温いそよ風にあおられていた。


「これで良かったのですよね?」


 チグサは、兄達の顔色を窺う。皆、こう見えてまだ十代の若造だ。近頃ようやく経験値を積みつつあるが、まだまだ悩み苦しむことも多い。そして、今日は実質上、ソラという国の滅亡を王家自らが選択した日にもなった。


 幸い、男達の顔には後悔などない。それでも、一定の感慨はあるわけで、あの場で決定的な物言いをしてしまったチグサとしては、やり場のない不安と戸惑いに駆られていた。


「良かったんじゃないかな? 紫が新たな国をということならば、やはり一番上に立つのも紫であるべきだし。庶民が王になる、というのは夢がある」


 クロガは、身内向けに口調と姿勢を崩している。


「彼が王になるのであれば、きっと本当に使える人材が集まりそうだな。血筋とか肩書とか、親が何をやっているかとか、正直そんなものは何も役に立たないってことが、やっと皆分かるようになるよ」


 カツも言う。彼は、自らが率いる影の存在を思い起こしていた。決して表舞台には出てこないが、確実に歴史を動かし、大切な役目を果たす存在だ。中の人事は、影の長に任せきりではあるが、出自にこだわらぬからこその精鋭部隊であることは承知しているのだ。


「でも、クレナ側は、俺達が責任を押し付けたこと、怒ってるかな?」


 カケルは、今頃彼らが不満をぶちまけているのではないかと想像している。


 クロガからの提案は、当然の如くクレナ側からの反対で一時退けられたのだが、ソラ側の巧みな話術で丸め込み、押し通してしまったのだ。


「ですが、ミズキ様はもともと大きな組織の頂点にいるお方。お顔も瓦版で広く知られていますし、肩書が王になるぐらいで、それ程何かが変わるとも思えませんわ」


 チグサにかかれば、王族もそこいらの商人や職人と同じように聞こえてくる。カケル達は、くつくつと笑った。


「そうだな。そもそも王だって、代々引き継がなきゃいけないものじゃない。やる気と才覚と人望がある人がすればいい」

「うん。そういうの、面白いかもね」


 カケルとクロガは、短期間ではあるが国というものを背負った経験がある。だからこその言葉なのだ。


「となれば、ソラにある礎の石と、クレナの田舎にある礎の石。あれらを新たな国に引き継がなきゃな。王家で代々保管してきた古い書など、歴史的に価値の高いものも」


 カケルは、アダマンタイトからソラへの帰り道、コトリから聞いた話を思い出していた。神々が、二国の統一と、「あまのいわたて」が元通りになることを望んでいるのだ。でないと、ルリ神には何やら不都合があるらしい。


 ソラとクレナ。名前変わっても、これらの土地は、これからも神に守られし場所であり続けられるだろう。故に、神々の言葉はとても重く感じられる。

 神の話の詳細は不明なことばかりだが、その解明のためにも、古い資料は大切に保管すべきなのは明らかだ。


 それを少しだけ聞きかじっているクロガも、うんうんと頷いた。


「これからは、決めねばならぬこと、せねばならぬことはたくさんあるね。まずは、帝国の相手だけど」


 今はのうのうと白湯を口に運びながら駄弁っているのだが、帝国は明日にもやって来るかもしれない。クレナ側とは、この休憩を挟んで、より具体的な帝国との戦い方について協議することになっている。


「じゃ、そろそろ」


 カケルが、卓の上に湯呑を戻した。


「コトリ様のところへ?」


 クロガが尋ねると、カケルの顔は途端に無邪気な少年のようになる。


「すぐ戻る」


 照れ隠しなのか、転がるような勢いで部屋を出ていってしまった。部屋の中が、ますます生温かくなる。


「ところで、チグサは好いた男とかいないのか?」


 チグサの肩が、びくりと動いた。まさか、同い年のカツから、こんな話題を振られるなんて。


「突然、何ですの?」


 本人は取り繕っているつもりのようだが、傍目にはかなり動揺しているように見える。


 カツは、いつものように手元の木材に細かな装飾を彫り込みながら、チグサの反応を窺っている。こんな調子なので、てっきり神具のことしか頭に無い男かと思い込んでいたのに、恋の話なんて。


「あなたには関係ないでしょ」


 どうしてもカツが相手となると、他の兄達よりも強く当たってしまう。


「こういう時は、先に自分の話をするものよ?」


 カツが工具の手を止めた。暫し、チグサを見つめた後、溜息をつく。


「出会った瞬間に失恋した昔話、言わなきゃ駄目?」


 正確には、出会った直後だ。コトリは、すぐにカケルがかっさらってしまった。

 チグサは、さすがに気まずくなったらしい。


「それは……ご愁傷様」


 微妙な空気になる部屋の中。クロガは、二人の間に入ることにした。


「カツは、あれだろう? カケル兄上がついにコトリ様を娶れることになったけど、チグサも誰か思う人がいるのなら、力になりたい。そういう意味なんじゃないか?」


 カツは、そうだと言う風に頷く。最近は、神具の事以外にも、幅広く関心を持ち、目を向けるようになってきた。何より、影を率いて、カケルを支えるようになってからの成長は目覚ましい。その詳細の多くはクロガしか知り得ないことなので、チグサは兄弟の持つ新たな一面にどぎまぎしていた。


「そんなことを。でも、私、そんな御方はまだおりませんわ。それに、嫁ぐならば兄上達のお役に立てる形をと、ずっと思ってきましたから」

「そんなに、いい子ぶらなくてもいいんだぞ?」


 そうクロガは言うが、最近寝台に伏せがちになった母の顔を思い浮かべると、やはりチグサはこの選択が正しく思えるのである。


 チグサの母親も、腕の良い神具師であり、前王の第二妃として迎えられた人物。カケル達、第一妃の息子達を支える存在として幼少より厳しく育てられてきた。しかし、前王が身罷った後、それまでの気苦労なども積もりに積もっていたのか、糸が切れたように無気力になっている。


 彼女再び笑うのは、きっとチグサが国のためになる婚姻を結んだ時となるだろう。


「そうだ。ほら、カケル兄上とコトリ様を見てみろ。周りは大変だったけど、やっぱり恋愛成就させての夫婦は幸せそうだぞ。あれを見ても、同じこと言える?」


 カツまで譲らないぞと語気を強める。何なのだ、とチグサは理由がわからなくなってきた。


「当たり前です。だからこそです。あの二人の幸せを守りたいからこそ、私は自分の意思よりも、戦略的な婚姻を望むのです」


 兄二人は、自分達が未だに失恋の傷を引き摺っているからこそ、妹には自由でいてほしいと願っている。だが、その思いは、なかなかチグサには届かないようだ。


 後に、この言葉をチグサ自身が撤回せざるをえなくなるのは、もう少し先のことである。


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