第162話 ソラからの提案
クレナ側は、コトリを覗いて全員が凍りつく。まさか断られるとは思っていなかったのだ。
「あの、もう少し詳しいご説明を」
ハトが、おずおずと切り出した。
「確かに、領土は増えてもソラと同じように治めることは難しいだろうけど、コトリ姫をさんざん苦しめた王への意趣返しにもなるだろうし」
ミズキも言い募る。
けれど、カケルはそれを怒るでもなく、笑うでもなく、少しだけ眉を下げたまま、ゆるゆると首を横に振るのであった。
「確かに、クレナを吸収して、あの父親の悔しがる顔は見たくもある。土地の広さのことも、そうだな。けれど、問題はそこではないんです」
「では、なぜ?」
ユカリは、先を急かせるように、少し身を乗り出した。
「私は、こう考えています。ソラとクレナは元々一つの国でした。和という名の国です。そこに戻れば良いのではないかと」
「わ?」
「古語で書くと、平和の和、ですね」
ミズキやハトは、知らない話だった。二国に別れてからも長い年月が流れているので、庶民には出回っていない知識なのである。
「和も、クレナやソラと同じく、王家が存在し、絶対的な権力を持っていました。その下にいたのは、貴族や庶民。けれど、そのままそこに戻ってしまっては、十年もしないうちに今のクレナと同じ状況になりかねません」
「でも、ソラは、今のところ上手くいっている」
カケルは、少し手を伸ばすことでミズキを制した。
「確かに、クレナよりは上手くいっているかもしれません。ですが、政に介入できる庶民は一握り。腕の良い職人のみです」
ミズキとハトは、同時にはっと息を呑む。カケルは、今のような王政である以上、紫の多くを占める庶民階級が日の目を見る可能性が、かなり低いことを指摘しているのだ。
これは、本来ならば、紫であるミズキ達が言い出さねばならなかった話である。それを王族から打診されるとは、目から鱗が落ちるというよりも、恥ずかしさすら感じるものであった。
結局は、ミズキも、ハトも、今知っている体制が固定観念として頭にこびりつき、それ以上を望む想像力や欲に欠けていたのである。
カケルは言葉を続ける。
「私はコトリと夫婦になることになりました。そして、コトリの兄弟がこの場に揃わなかったことを鑑みても、このままではクレナからは、実質上王家というものが滅び、無法地帯となりかねません。けれど、紫があります。紫こそが、新生、和の国となるのではないでしょうか」
全く考えつかなかったわけではない。いつか、庶民の自分達が国を盗り、国を建てる。それぐらいの気持ちでここまで進んできた。けれど、やはり上に立つのは何らかの王家であり、できれば由緒正しい高貴な者が立つべきだと思いこんでいたのだ。
常識が覆されたと同時に、鳥肌が全身を駆け抜ける。ミズキも、ハトも、そしてサヨやユカリも、一言も発することができない。
「ユカリ様は暁を起こし、ミズキ様達の組織と一つになって、紫ができました。既に、二国をまたいだ基盤はできています。ソラでも、実のところ、最近は王家の威光よりも紫の名の方が強い地域さえあるのですよ」
「その通り。もっと自信を持っていただきたいですね。こんな短期間で組織を成長させた求心力は、並大抵ではありません」
クロガまで、紫のことを褒めちぎる。
「それに紫は、かつてない程、民に優しい国を作ろうとする姿勢がある。ソラ王家は、その中で役に立てる人材でありたいとは思っているが、決して上に立ちたいと考えているわけではない」
カツまで、こんなことを言い出した。
一方、サヨは内心穏やかではない。もしそれが実現するならば、いったい貴族はどうなるのだろうか。
確かに私服を肥やすだけ肥やして、民をいたぶる者達も多い。だが、少なくとも彼女の実家、菖蒲殿はそうではない。
代々、宮中で働く善良な文官を多く輩出してきた家系である。最近では、大切な役職を担うものを守る武人も育て始めている。貴族として、領地の産業を育成し、時に貴人に諫言を申し入れ、文化財を保護し、学問を極めたり、伝統を大切に引き継いだり。もちろん、民の暮らし向きをよくするための新たな規則を定めたり研究したりも。
実に多くの役目を担ってきた。
それらが無駄だったとは思えない。
今後も必要なもの。そして、それらは決して、ぼんやりと農作業するだけの素人にはできぬことだ。特別に教育され、専門家を育成せねばならない。それには金が要る。多少の特権も要る。やはり、それらは庶民と一線を画す存在であるのは間違いない。
言いたいことは多々あるが、そういったことはカケルをはじめとするソラ王家も分かっているはずなのだ。なのに、なぜ――――。
「でも、あらゆる特権はなくなりますし、生活も」
サヨは、これでも控えめに言ったつもりだだった。けれど、なぜか小馬鹿にしたような笑いが返ってきたではないか。それも、同じ女であるチグサからだ。
「サヨ様は、お困りになることがあるようですわね」
「いえ、別に私は、お高く止まっていたいわけでもなくて、ただ貴族などの特権階級も、決して不要な存在だというわけではないと思いますから」
慌てて答えると、どこか言い訳がましくなってしまった。悔しくて、サヨの顔は赤くなる。
「気を悪くなさらないで。単に私達王族は、王族である以前に神具師なのです。ですから、ほら。このように何らかの工具を常に持ち歩き、日々道具と向き合ってますの。元々、貴人らしい暮らしはしておりませんわ」
サヨは、チグサの袂から突如現れた刃物に度肝を抜かれてしまった。確かにそれは、護身用というよりも実用重視のものに見受けられる。
「もっと、はっきり申しますと、王家を辞められると嬉しいのですわ。でも、責任を放り投げられないことも承知の上。ですから、地位にこだわらず、紫の望むことができればと」
あまりに本音を包み隠さない話ぶりに、クレナ側はうっかり破顔してしまった。
「なるほど。特権階級である以上の義務と責任。新たな国でも、皆がそれをよく理解し、全うできるといいな」
ミズキが、半ばサヨに聞かせるように述べる。サヨの言い分を含んだ、彼の心遣いなのだ。
「そうですね。ソラでは、一部の腕の良い神具師は、出自に関わらず特権階級になることがあります。今後は、ミズキ様やハト様のような、やる気と志のある方が、どんどん登用されるような仕組みが必要でしょうね」
クロガは、既に具体的な何かを考えているように呟く。それは、カケルよりも、王らしい視点を持っているようにも見受けられた。
それに気づいてか、チグサがカケルの顔を覗いて目配せをする。カケルは、はっとしたように頷き、口を開いた。
「そういうわけで、お気づきかもしれないが、実質上のソラ王はクロガなのです。私はご存知の通り、ずっとクレナにおりましたから、肩書きだけですね。そんな者が、新国の王になれるわけがありません」
ようやく、クレナ側は合点が行く気がした。しかし、では誰が王になれば良いのかという疑問が首をもたげてくる。
その答えは、すぐにクロガからもたらされた。
「ですから、私達からの提案はこうです」
内情はさておき、ソラとクレナでは、今もカケルが絶対的な王だと信じられていて、そこそこの信頼がある。また、コトリも琴姫として崇拝されており、全土の社との繋がりも深い。
このため、二人を要職に就けねばならぬのは、既定の方針である。
まず、神具に入れ込んでいるカケルは、神具省を立ち上げて、その長に。兄弟たちは、その下へ入る。
そしてコトリは、楽士団の首席として君臨。楽士団は、新たな世でも必要不可欠な存在で、もはや民の生活基盤の一部でもある。国を上げて守るべきだし、民からも大切にされ続けるだろう。
「そういうわけですから、新国の王はミズキ様。国母となる妃は、サヨ様が妥当かと思います」
クロガは、とても良い笑顔で、言い切った。
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