第152話 夫婦再会
振り向くと、やつれてはいるものの、見慣れた美男子が立っていた。その背後では、帝国独特の細かな柄の入った日除け布がバサバサと風で揺れている。
「来てくれたのね」
サヨは安心して気が抜けたのか、その場に崩れ落ちてしまった。駆け寄ったミズキは、その身体をしっかりと支え、抱きしめる。敵地に一人。よくこんな華奢な体で耐えたものだ。
「この格好も綺麗だな」
ミズキは、吸い込まれるようにして、魅入られてしまう。見たこともない程贅を尽くしてあつらえられた帝国風の衣を纏うサヨは、人形のように力が抜け落ちていて、どこか痛々しい。だが、その儚げな表情がまた、そそられるのだ。
「だが、いくら似合うとは言え、他の男から与えられたものを纏っているのは許せないな」
そう言ってサヨの服を引っ張るのだが、簡単に脱がせられそうにはなかった。クレナのように、腰の帯を解けば良いというような造りではない。
そこへ、一人の年配の侍女が近づいてきた。屋敷では色白の金髪が多い中、この者は黒髪で顔立ちもクレナやソラに近い。
「サヨ様、お召変えをお持ちしました」
侍女の手にあったのは、サヨがここへ来るまで来ていた衣だった。窓から侵入してきた狼藉者がいるにも関わらず、落ち着き払っていて、かなり肝が座った女である。サヨは驚いて顔をあげる。
「あなた、そんなことをしては、あの男に……」
「良いのです。坊ちゃまは、あれでもサヨ様のことを大切にしておいででした。たくさんの贈り物をし、あなたの許可なくば、決して触れようとはしなかった。いつも強がっておいでですが、たぶん、嫌われたくなかったのでしょう」
その侍女の口ぶりからするに、きっと古くからセラフィナイトに仕えているのだろう。
「どうして私なんかが……」
「おそらく、これまでサヨ様のように真っ向から反抗的な態度を取る美人とは巡り合ったことがおありでないのでしょうね。これは女性に限りません。常にかしずかれるのが当たり前だったのです」
「もしかして、セラフィナイトはかなり身分が高いのかしら?」
侍女は、それを肯定も否定もせずに、ただ切なそうに微笑んだ。
「あのお方にも、いろいろとあるのです。名誉よりも実利を取るために身を汚したり、それでも父親に認められることを諦めきれなくて、こんな極東にまで来てしまったり。女癖が悪く、薬の知識だけが豊富な偏った人ですけど、本当は愛情に飢えた子供がそのまま身体だけ大きくなってしまったような方なのですよ」
「そんな人物でも垂らし込めるサヨは、さすがだな」
ミズキは、侍女から衣を素早く奪い取ると、サヨに持たせた。正直、この後逃亡するのに、装飾過多の今の格好は不都合なのだ。
それを見た侍女は、苦笑する。
「ご心配なされなくとも、あのお方は砦に向かわれました。おそらく、こちらにはもう戻って来られないでしょう」
「え?」
サヨとミズキは、驚いて動きを止める。
「砦に帝都からの使者が来ているようなのです。もう隊も悲惨な状況ですし、一度アダマンタイトの城に戻って仕切り直すより他ないでしょう。その際、皇帝陛下の妃でもないサヨ様に、わざわざ時間や心を割くことはできないはずです」
意外にも、こんなところで帝国の事情を知ることができるとは。ミズキは、後もう一歩踏み込むことにした。
「では、また改めてソラを攻めてくるということだな」
「絶対とは言えませんが、今回の話は皇帝の肝いりですし、すぐには引けないはずです」
それが分かるだけでも、クレナやソラにとっては有益な話だ。心づもりできるばかりか、帝国軍を迎え撃つ準備ができる。
しかし、この侍女は、どうしてここまでの話をしてしまうのであろうか。もしくは、間違った話を掴まされているのか。二人が訝しげな目をすると、侍女は少し眉を下げて話し始めた。
「私は、セラフィナイト様が幼少の頃からお仕えしている者ですが、生まれはこちらで、あなたがたの言葉も分かります。それで此度は、久々の帰郷となりましたが、思いの外帝国はこの地に恨まれています。私は、職を求めて帝都へ向かい、たまたま侍女になったため酷い目には遭っておりませんが、この国の民は帝国に搾取される暮らしを良きとはしておりません」
「つまり、対クレナ、対ソラの戦にも、あまり協力的ではないと?」
ミズキが尋ねると、侍女は頷いた。
「はい。皇帝の命は絶対なので、おそらく何らかの動きはあるでしょうが、帝国軍の本体が出張ってこない限り、アダマンタイトも本気を出すことはないでしょう。そして、いつまでも帝都から来た若造に大きな顔をさせておくこともないかと」
「そう。そして、アダマンタイトの民であるあなたも、彼の侵略行為をよく思っていないのね?」
「はい、サヨ様。私個人としましては、セラフィナイト様に忠義がございますが、帝国自体には恩などございません。できれば、ソラやクレナには帝国の鼻をへし折っていただきたい」
とても帝国方の人間の言葉とは思えないが、あくまで侍女は本気の様子だった。きっと、決死の覚悟での密告なのだろうとミズキは思う。ならば、望み通り、ソラとクレナは帝国の思いのままにならぬよう、死力を尽くすしかないだろう。
「心配せずとも、ソラは底力がある国だ。帝国にとっては未知な武器、神具があるのだからな。神具は、神の奇跡を引き起こす。くれぐれも楽に勝てると、みくびらないことだ」
侍女は、心底嬉しそうにぱっと明るくなる。
「そうですか。これで坊ちゃまも、皇帝の手駒でいることを諦めて、どこかへ逃げてくださればいいのに。そして、素敵な方と一緒になってもらいたいものです」
侍女の視線はサヨに注がれていたが、ミズキは間に立つことでそれを防いだ。
「サヨはやらん。口説き落として手に入れるのは、本当に大変だったんだからな」
「大恋愛の末だったのですね」
微笑ましいものを見るかのように瞳を細める侍女。サヨは、ミズキと離れ離れでいた間、空っぽになって乾ききっていた心が、すっと潤って満たされるのを感じていた。
その後は、侍女の采配で部屋で一時の休息をとることになる。視界の端にある、天蓋付きの豪華な寝台は、二人が来るのを待っていた。
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