第151話 脅しとはったり

 サヨは、すっかり肩が凝ってしまっていた。くるりと首を回すと歪な音が鳴るほどに。少し離れたところにあるのは、全身が映る大鏡。その中に佇んでいるのは、やや青みがかった緑の衣を纏った女だ。


 腰から足元まで覆うたっぷりとした布地は傘のように大きく膨らんでいるのに対し、上半身はやけに身体にぴったりと沿っていて、若干窮屈。しかも胸元だけは妙に露出していて、文化の違いだと言われても理解しきれない服装だった。


 この石造りの帝国邸宅風の屋敷に監禁されて、もう十日以上になる。窓辺に垂れ下がる日除けの布も、床に敷かれた贅沢すぎる絨毯も、毎日体を清めて香油を他人から裸体に塗りたくられるというのも、一向に慣れる様子はない。


 だが、食べ物は悪くなかった。箸が無いのは不便だが、ここの食器は作法さえ守れば使いやすいものばかり。屋敷で働く者達も、言葉はほとんど通じないが気の良い者ばかりで、いつも先回りしてサヨの意に沿うことをしようと努力してくれる。


 つまり、快適だった。いつか、王宮の侍女時代に小耳に挟んだ、帝国の姫とはこういう生活をしているのではないかと思われる。王女の侍女でこの待遇ならば、コトリも大方贅沢させてもらっているのではなかろうか。


 それにしても、とサヨは思う。いつまでここに留め置かれるのだろうか。まさか、ずっとここに住まわされるとは考えられない。コトリの侍女として、帝都へ送られるか。もしくは、紫のミズキの妻として――――。


 その時、戸を叩く音もしないままに、部屋の大扉が開け放たれた。


「そろそろ心は決まったかな?」

「セラフィナイト」


 サヨも、敵方の男にわざわざ敬称をつけて呼んだりはしない。今も、不遜な視線でねめつけている。


「うん、そういうところが、いいんだよね」

「何を言われても、私はあなたの女にはなりません」


 セラフィナイトが、執拗にサヨを口説き始めたのは、数日前からだ。それまでも、サヨの何かが彼の琴線に触れてしまったらしく、面白い女だと連呼されては猫可愛がりされていたが、突然それが急加速し始めた。


 サヨがコトリの事を尋ねても、はぐらかすばかりで、珍しい菓子や、いくつもの衣装、輝石をふんだんに使った装飾品などを与えてくるばかり。きっと、クレナと帝国の間で何か新たな展開があった故のことだろうが、何も情報が入ってこないのは、サヨを酷く苛つかせていた。


「そうだね。ツンツンしているのに、本当は寂しがりやなところとか、すごく虐めがいがあって楽しいよ。だけど、俺もそろそろストレスが限界なんだよね」

「我が国が、何か良い仕事をしたようですね」


 セラフィナイトが微笑む。少し、部屋の気温が下がった気がした。彼は静かに怒っている。クレナ風の衣の上から羽織ったマントの端を千切れそうな程強く握りつぶしているのだ。


「それより、サヨ。夫がいるそうだな?」

「それが、何か?」

「その夫とやらが、我が軍に壊滅的な被害をもたらしてくれてね。もちろん、クレナにはしっかりとお礼をさせて貰うつもうつもりだけど、彼自身にも何らかの仕返しをしたいんだ。でもせっかくだし、普通に戦うのじゃ面白く無いから、君を貰うことにした」


 それは、さも決定事項のようで。

 これまでのセラフィナイトとの会話から、帝国軍の砦がこの屋敷から遠くないことは分かっている。サヨは、ミズキが近くまで来てくれたのかと思うと、自然と胸が熱くなった。


「あれ? そんなに夫を捨てるのが嬉しいの? もっと嫌がる君を見たかったのに」

「勘違いも甚だしい。私をものにするなど、千年早いですわ」

「どうせ何もできないのに強がっちゃって。でも、たまにはデレておかないと、今後辛い事が待ってるかもしれないよ」


 セラフィナイトは、一歩、一歩、ゆっくりとサヨに近づいてくる。サヨは、今日こそこの男に触れられるかもしれないと、冷や汗を流していた。サヨに触れていいのはミズキと、コトリだけだ。事態を打開したくて、必死に考えを巡らせる。


「本当にそうかしら? 私に何もできないなんて、決めつけるのは良くないわ」


 セラフィナイトは片眉を上げて、立ち止まった。サヨの様子が、突然落ち着いたものになったからだ。


「あなた、神具というものはご存知?」


 サヨは、目の前の澄ました男の顔が瞬時に凍りついたのを確認する。どうやら、以前神具絡みで痛い目にあったことがあるのだろう。完全にはったりだったが、勝算が見えてきた。


「私の体には、そういったものが仕込まれているの。発動させた時には、私も命は無いでしょうが、この屋敷ぐらい簡単にぶっ飛ばせるでしょうね。あなたは、その巻き添えで死ぬことをお望みなのかしら?」


 いつの間にか、すっかり立場は逆転していた。今度はサヨが一歩セラフィナイトに近づいてみせる。


「あなたのような侵略者に陵辱されるぐらいならば、死を選ばせてもらうわ。私にはその覚悟がある。さぁ、もっとこちらへ来なさいな。一緒に死んであげるから」


 サヨの堂々たる風体と、妖艶な笑み。座りきった眼差しからは本気度の高さが伺える。セラフィナイトは、つい先日ミズキから受けた手痛い襲撃を思い返していた。


「夫婦揃って小癪な」


 そこへ、廊下から誰かの走る足音が近づいてくる。伝令の兵だった。


「緊急事態につき、失礼します!」


 兵は、部屋の入り口でさっと膝を付き、高らかに述べる。


「ソラへ侵攻していた部隊の一部が砦へ帰還してきました。作戦は失敗し、村の占拠も叶わず、死傷者も多数の模様。精神的におかしくなった者も多く、もはや隊の体をなしていないそうです」

「何だ、その有り様は? ただの小さな村だったのだろう?」


 兵は、セラフィナイトの威圧に怯えて震えている。それでも絞り出した言葉はこうだった。


「しかし、あそこはソラです。神具にやられました」

「どいつもこいつも!」


 セラフィナイトが悪態をついて、近くにあった陶器の置物を蹴り飛ばす。クレナでも相当な値の付きそうな高級品。派手に割れて、砕け散った破片が、床の絨毯の上に散らばったのを、サヨと兵は目を丸くして眺めることしかできない。


「と、砦では、復興の確認と工事に関する承認を待っております。一度、お戻りください」


 兵は用件を言い終えたらしく、来た時よりも速い走りで去っていった。暫し無音になる室内。


 後退るようにして部屋を出ようとするセラフィナイトに、サヨは声をかけた。


「あら、逃げるの?」

「まさか。夜には戻る。覚えてろよ」


 いかにも小悪党が吐きそうな捨て台詞を残し、去っていくセラフィナイト。その足音が聞こえなくなって、ようやくサヨは人心地がついた。しかし、問題がある。


「夜まで、何とかしなくちゃ」


 サヨは神具など持っていない。いや、今の彼女にはクレナ由来の物など何一つ無い。元々着ていた衣すら、取り上げられてしまったのだ。もちろん、神具の知識も無い。はったりだったのが明らかになれば、どんな仕打ちを受けるだろうか。想像すると怖くなって、自分の肩をぎゅっと抱いた。すると――――。


「サヨ、もう大丈夫だ」


 愛しい人の、声がした。


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