第150話 それぞれの道へ

 まず、背の高い草の葉の陰から、竹で編んだような笠が見えた。そこから降りる薄布がひらひらと踊るように揺れながら、こちらへ近づいてくる。流れてくるのは、こちらの警戒とは真逆に、悠長で楽しげな耳慣れぬ調べだ。


「誰だ」


 ようやく、その全身が見えた時、ゴスが一歩前へ出た。


「おや、あんた達も旅人さんかい? それにしても、この辺では見慣れない……クレナかソラの人のようだね」


 それは、緑がかった長い髪を複雑に結い上げた、異国風の衣装の女だった。離す言葉は、心なしかクレナの訛りが強い。女は、シェンシャンを弾く手を止めた。シェンシャンは、紐を使って肩から下げているらしい。


「そちらもクレナから来たのかい? そのわりに、珍しいものを着ているな」


 ソラやクレナの衣のように、上衣と下衣に分かれていないものだ。やや透け感のある長い一枚布をくるくると身体に巻きつけたような姿で、袖は無い。肩と腰の辺りは肌の露出も多く、笠から垂れ下がる薄布がなければ、些か目のやり場に困るような格好だった。


「ここは、クレナよりも暑いからね。それに、郷に入れば郷に従えって言うじゃないか。ここじゃ、これが普通だよ」

「そうなのか」


 これでもゴスは、ソラの王宮に勤めている身なのだが、隣国との正式な国交は無いため、こちらの伝統衣装を見るのは初めてだったのだ。


「そうだよ。でも、この辺でシェンシャン弾けるのは私ぐらいだろうね」


 そう言って、またしゃらりと楽器をかき鳴らす。すると、ゴスの陰からミズキが顔を出してきた。


「あんた、どこかで……あ!」

「知ってるのか?」


 ゴスが尋ねると、ミズキは黙って頷く。


「イチカ、だったよな?」


 今度は、女が驚く番だった。


「なぜ、名前を?」

「流民だっただろう? 地方遠征中の楽師団に絡んできたじゃないか。あの時、俺は、うちの姫さんと一緒にいたから」

「あぁ、あの時の。でも、あんた男だろ? いや、ちょっと待って」


 イチカは、背負っていた籠の中から紙のようなものを取り出してきた。


「あ、やっぱり。あんた、紫のミズキ様じゃないかい? ほら、瓦版の姿絵とそっくり」


 ミズキは、疲れたように溜息をついた。以前、ソラの民に紫を宣伝するために、瓦版に顔を載せたいと言われた事は覚えている。よく考えもせず、簡単に許可はしたものの、よく知らぬ者にまで顔が割れていというのは、どことなく居心地が悪いものだ。


「俺は、女に化けて楽師をやっている。分かってると思うが、他言するんじゃないぞ」


 イチカは、どうやって女に化けるのか大変気にかかっている様子だったが、すぐに人懐こい笑顔になった。


「分かってるよ。これでもコトリ様の専属諜報員だからね」

「コトリの?」


 もちろん、食いついたのはカケルだ。


「そうさね。なんでも、帝国へ嫁にやられそうになっててさ。でも、ソラの新しい王様が好きだからって、父親に食い下がって踏ん張るっていう、なかなか見どころのある姫様だよ」


 どこか懐かしむように頷きながら離すイチカだが、カケルはわなわなと震えながら、それを聞いている。事情を察したゴスが、カケルの背を無駄に何度も叩きまくっていた。


「ま、元々手伝ってやろうっと思った理由は、他にあるんだけどね」


 イチカは、クレナで流民になった経緯や、紫の志に賛同していることなどを説明する。そして、帝国の動きを探るためにアダマンタイトへ潜入していたところ、仲間の女からコトリ拉致の知らせを受け、ちょうど情報を集めていたところだと言うのだ。


「実は、俺達もコトリ姫を探している」


 ゴスが言った。


「そうかい。じゃ、皆、紫の人なんだね」


 ここには、ミズキがいる。イチカがそう思うのは自然なこと。だが、正確には違うのだ。


 カケルは、ここまでの話をまとめると、イチカは信頼のできる女だと断定した。正体を現しても、問題あるまい。


「いや、私はソラの王でカケル。そして、こちらは私の師匠であるゴス。最後に、弟子のラピスだ」

「えっと、ラピスってどの人?」


 王だと言うものを前にしているにも関わらず、落ち着き払って尋ねるイチカ。カケルとゴス、ミズキは、慌てて辺りを見渡した。


「あれ、ラピス?」


 神経を研ぎ澄ませて、人の気配を手繰り寄せようとする。しかし、風にあおられて、かさかさと揺れる森の草葉の音と、鳥や虫の声しかしない。


「ラピス?」


 ラピスは、元々諜報に長けた少年だった。その腕を買っていることもあって、弟子として育て上げ、手元に置いていたのもある。きっと、何か気になることがあって、少しこの場を離れてしまったのだろう。


 カケルは、ゴスとミズキへ、心配いらないという風な視線を送った。イチカは、未だ不思議そうにしていたが、すぐにどうでもよくなったらしい。


「えっと、とりあえず二人の名前は覚えたよ。まさか、そんな偉い人だったなんてね。こっちは下賤な身の上だ。いろいろと失礼もあるだろうけど、大目に見ておくれよ?」

「あぁ。全く畏まる必要はない」

「それは、助かる。で、あたし達は協力できそうだね。まずは、こっちの話を聞いておくれよ」


 イチカは、旅人を装って、ここいらの山々を彷徨っていたらしい。まずは、帝国軍が砦に集結して、一部はソラへ向かったこと。残りは、何者かに襲撃されて混乱に陥り、未だに部隊の立て直しができていないということだった。


「あ、それは俺だ」


 ミズキは、自らが犯人だと自白する。目論見通り、砦の機能を無効化できていることが確認できて、満足げだ。


「あとね、この近くには、何やら高貴なお姫様が匿われている屋敷があるんだよ」

「もしかして、コトリ?!」

「いや、残念ながらちがうね」


 イチカは、カケルの声に重ねるようにして否定した。


「窓からちらっと見えたのは、美しい黒髪の若い娘だったよ。顔立ちはクレナっぽい気もしたけれど、姫様の髪は赤だろう?」

「サヨ?!」


 今度は、ミズキが敷物から立ち上がった。確かに、サヨは黒髪である。


「もしかして、他にも攫われた人がいるのかい?」

「あぁ。俺の妻なんだ」

「それは気の毒に。あの屋敷、妙に警備が厳重なんだよ。かなりの装備で挑まないと突破できないんじゃ……って、あんた、待ちなよ!」


 イチカが叫ぶが、もうミズキは荷をまとめて背負い始めている。しかし、全てを持って走っていくのは難しそうだ。あまりにも量が多い。ミズキは、小さく舌打ちすると、カケルに向かって言い放った。


「これ、砦で拾ってきた帝国の武器だ。ソラ王と腕利きの神具師なら、バラいて分析ぐらいできるだろう?」

「そうだな」

「敵を討ちたくば敵のことを知ったほうがいい。うまく使ってくれ」


 そう言い残すと、イチカが慌てて書いた大雑把な地図をつかみ取り、猿のような身軽さで森の彼方へ消えていった。


「じゃ、ゴス。これらを持って、一度ソラへ戻ってくれ。チグサの事も心配だ」

「いいのか?」


 ゴスは、こんな時にも関わらず、帝国の武器を前に職人の心をくすぐられてウズウズしていたのだ。どんな機構になっているのか、どんな素材でできているのかなど、気になって仕方がない。


 どの道、大荷物でコトリを救助するなんて無謀だろう。ゴスに持ち帰ってもらった方が、後々の帝国との戦いを鑑みても、悪手ではないと思われた。


「それなら、あたしは王様と一緒に、姫様を追いかけようかね。あたしは、こちらの言葉が分かるし、話せるし、何より土地勘があるよ」

「それは心強い」


 こうして、それぞれが、それぞれの目的に向かって歩き始めた。道は別々であろうと、抱く志、願いは一つ。平和な未来だ。


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