第144話 悪い報せ

 帝国は、クレナやソラと全く異なる技術革新が進んでいる。


「偽者だと?」


 皇帝は、受話器から聞こえる信号音に耳に傾けたまま、不機嫌そうに呟いた。

 前年、満を持して実用化された無線という技術は、主に軍事面において運用が始まっている。紐で結んだわけでもないのに、遠方の人物と暗号信号を持って情報交換することができるのだ。発案した研究者の論文から引用して、単純に「通信」と呼ばれている。


 もちろん、まだまだ開発段階のものであるため、途中で信号が途切れたり、不具合が起こることはあるが、これまで数日かけて伝達されていた内容が瞬時に関係者間で共有できるということで、大変注目を浴びている。同時に、その方法と研究者は厳重に皇族によって囲われているのであった。


 皇帝は、電鍵の板を指で忙しなく叩く。覚えたての符号を使って、返事を送っているのだ。


『本物にしか用は無い』


 クレナのコトリ姫がようやく引き渡されたと通信が入ったのは二日前のこと。直後、姫の侍女も念のため攫ったとの報も入る。しかし、楽師団にいたのは影武者であった可能性が高いというのだ。


 というのも、クレナにおける神聖な場所、社に「琴姫」と呼ばれる赤髪の高貴な女が住んでいて、楽器を奏でるのも上手いという。コトリ姫の通り名と同じものであることから、こちらが本物である可能性も高い。そこで、真相を確認するため、手の者が潜り込んで生け捕りにしようとしたが失敗。その際、数多の貴族の私兵や、社の衛士が現れて、コトリの帝国行きを反対する騒ぎになったと言う。


 その姫らしき女は手の者の不手際で負傷し、事件以後は屋敷から一歩も出てこない。一方、大勢の武装した者がかいがいしく見舞いと称して社を訪れ、他所者が近寄れないように厳重な警戒が敷かれているとあった。


 正直なところ、クレナ王が娘だと言って差し出してきた女が、実はどこぞの馬の骨であっても、皇帝は構わない。見目が美しく奏楽の腕が良ければ、それなりに楽しめるかもしれないし、そうでなくとも侵略の布石にすることはできる。つまりは、孕ませて、生まれた子を属国となったクレナの王座に据え、操ることができる。現地の民も、元々王家だった血筋の者が立てば、概ね安心して騙されてくれるものだ。


 だが、荒れた土地を蘇らせる程の奇跡を起こしたという話も入ってきている以上、やはり本物である方が望ましい。しかも帝国ともあろう大国が、みすみす偽者を掴まされて気づかぬままというのも、あまりに軽んじられていて腹が立つ。ここは白黒つけておかねばならぬだろう。


 まず、社の琴姫については、引き続き拉致できる機会を伺う。同時に、侍女の身柄を引き合いに出して、帝都へ移動中の姫が本物かどうか自白させる。事前調査通りの性格の姫ならば、親友でもある侍女の命がかかった場で嘘などつかぬだろう。


 皇帝は考えをまとめると、簡潔に指示を下していった。いちいち符号に置き換えねばならぬのは、酷く面倒だ。しかし、通常通りに文書にして関連部署を通し、幾人もの部下の手に渡り、何頭もの馬を走らせ、指示内容が伝わるのが早くて数日後になることを思えば、我慢はできる。


「がっかりさせるなよ、セラフィナイト」


 溜息と共に吐き出された呟き。それは、息子というよりかは、出来の悪い部下に対するものだった。



 ◇



 ミズキは馬に飛び乗った。


「待たれよ!」


 背後からマツリの声が追いかけてくる。


 香山。ここでミズキは、紫の面々への指示をとばしていた。ソラにも近いここは、ソラ国内にいる仲間とも連携を深めやすい。クレナ王がコトリの帝国行きを強行しようとしているという事は、いよいよ帝国軍本体がソラへ向かってくるということかもしれない。


 もし、ソラが突破されたら、その奥地にあるのはクレナだけ。生活苦に喘ぐ民がひしめく貧しい国に、戦がやってくるとどうなるか。さらに西には海しかなく、侵略されても逃げ場が残されていないというのに、後手で抗える程の国力は無いと思われる。


 しかもソラには、志を共にする仲間がいて、あのカケルが王として立っているのだ。カケルは、一応神具師の師匠でもある。見捨てるなんて、到底できない。ミズキは、紫の実質的な頭として、今こそ先頭に立って指揮せねばならないと決意していた。


 ところが、そんな事情が全て消し飛ぶような報せが入ってきた。


 サヨの失踪。


 初報は、社建設と見せかけて、兵を育成しているマツリからもたらされた。軍で使っている狼煙を使った伝達方法があるらしい。


「やみくもに追いかけても、見つかりやしない」


 マツリの言うことは最もだ。しかし、サヨが消えた村に居合わせた御者は何も知らなかったし、残された馬車にも手がかりは無かった。それでも、見慣れぬ毛色の男の目撃情報だけは得られているのだから、おおよそ帝国側に攫われたとみてまちがいない。


 帝国は、未知の国だ。未知なものは、怖い。いずれ妃になるコトリならいざしらず、一介の貴族の娘であるサヨがどんな扱いを受けることになるか。想像するだけで恐ろしさのあまり鳥肌が立つ。何もせずに、情報収集だけして待つなんて芸当、ミズキにはできそうもなかった。


「いや、なんとかなる」


 マツリの方を振り向きもせず、久方ぶりに馬へ鞭を打つ。ニシミズホ村では時々牛の世話をしたりしていたが、軍馬ともなれば、乗った時の景色も違った。自然と身が引き締まる。


「サヨのところへ行ってくれ」


 縋るような気持ちでそう囁くと、馬は一声嘶いて、勢いよくマツリの陣営の柵を超えていった。まるで、ミズキの心を読んだかのように。



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