第135話 結果

 正妃は、近くの者に合図を送る。すると、一斉に女官達が動き出して、園遊会に参加する庭中の貴族達の元へ向かった。春の園遊会で、楽師団の首席を決めるのは例年のこと。皆、慣れた様子で女官達に対応をする。


 これは、より良い奏でを響かせたものに投票をするものであった。初めに弾いた集団の方が優れていれば白、後に弾いた者達の方が良ければ赤の紙を、女官に手渡していく。集められた紙は、楽師団の入団試験でも使われたような特殊な神具をもって、その枚数が数えられ、どちらが優位だったのかが発表されるのだ。


 結果は、すぐに出たようだ。正妃が、四角い箱型の神具を掲げる。箱は赤く光っている。


「今年は、赤でした。最後に演奏した者達のまとめ役の娘、前へ出なさい」


 途端に、庭中から、男女関わらず多くの声が上がる。それらは、奏への称賛であったり、もっと弾いてくれという声であったり。間違っても、そこに非難めいたものは無く、直前に弾いていたハナ達と同曲であったことに対して責めるような声も無い。


 あくまで聴衆が、公平に審査したのだ。何の妨害もなく、正当に評価され、投票結果が明らかにされることになるなんて。本番直前まで怒涛の勢いで続いていた嫌がらせのことを思うと、もはや拍子抜けして、素直に喜ぶこともできずに現実味を感じられないコトリである。


「姫様。正妃様がお呼びですよ」

「えぇ」


 コトリは、サヨに背中を押されて舞台の中央へ進み出た。なぜか視界が明るく見える。咲き誇る桜が、先程までよりも麗しくさえ見えた。


 ここまで来るのに、どれだけの汗と涙と時間が流れたことか。どれだけの努力と忍耐と覚悟が必要だったことか。


 これで、ようやく欲しいものが手に入る。


 コトリは、舞台の上に座して、姿勢を正した。一気に辺りの神気がそれに呼応して、凛と張りつめたものになる。


 中央を見据えると、正妃もしっかりとコトリの方を見据えていた。


「楽師団団長として告げる。クレナ王家、二の姫、コトリよ。これより、そなたを王立楽師団の首席として任ずる」


 その重々しくも、はきはきとした声は、庭中へ広がっていく。同時に、貴族達や女官、侍女、侍従達のどよめきも拡散していった。


 ずっと社総本山で、国の安寧を祈祷するために引き籠っていると言われていた姫が、まさか楽師団にいたなんて。しかも、これ程に素晴らしい弾き手だとは。前年の夏祭りの噂を裏打ちするものでもあるが、実際に耳にすると、その美しさと身体がうち震えるような感動は言葉に尽くすことができない。雅な芸事に目が無い貴族達の心を、完全に虜にしてしまったのだ。


 一方のコトリもまた、感激で涙が零れそうになっている。正妃が、カナデではなく、きちんと名を呼んでくれた。王との約束では、「コトリ」が首席を取る事とあったので、この場面では「カナデ」と言われるわけにはいかなかったのだ。まさか、そういった意まで汲んでくれるとは存外の心配りだったのである。


「カケル様」


 思わず、想い人の名を告げる。天にも昇る気持ちとは、この事ではなかろうか。


 その時だ。


「いかさまだ!」


 拡声の神具が使われたらしい。突然、空気を切り裂いた憎々しい男の声。コトリは、びくりとして首を縮める。王と目が合ってしまったのだ。


「なぜ、あやつらに軍配が上がるのだ。だいたい、初めに弾いた者達の真似事ではないか。しかも、現在の首席をさしおいて、あれが纏め役だと? 偽りを申すな!」


 王は酷く慌てた様子である。既に周囲の侍従に当たり散らした後なのか、酒の盃も、料理の皿も全てひっくり返り、彼の周囲には誰もいない。これでは、危険な獣扱いだ。


「あら、私をいかさま扱いされますの? 投票は公平に行われましたわ」


 正妃は、王へわざとゆっくり話しかける。それが、さらに王の神経を逆撫でした。


「神具を使った集計など、あてになるものか。あやつは、神具師と繋がっているらしいではないか。どうせ小細工したに違いない」

「何をおっしゃりたいのかしら。これは毎年使っている私だけの神具。あの娘に触らせたことなんて、ありません」

「ああ言えばこう言う。前々から思っていたが、お前のような女は目障りだ」


 あからさまに否定されてもなお、正妃は湛えた笑みを崩さない。これしきのことで折れるような弱い女ではないのだ。


「それよりも、あなたにはお分かりになりませんでしたの?」


 正妃は、心底気の毒そうな目で王を見る。


「何がだ?」

「あの二組、どちらが素晴らしいかなんて、正直申しまして投票などせずとも誰にでも分かるものでしょう?」

「どちらも同じ曲ではないか。であれば、いかさまをした方が敗者に決まっている」


 これには、庭中が静まり返ってしまった。密かに騒ぎ立てていた舞台の反対側にいるハナ達までが呆れている様子である。

 正妃は、つける薬がないとばかりに、溜息をついた。


「そういえば、あなた、そもそもシェンシャンの良さがお分かりではありませんものね」


 これは、誰もが思っていた事らしい。王のシェンシャン嫌いは有名である。されとて、シェンシャンの音色失くして、国の繁栄はありえないことも歴史が証明している事実。王の嗜好は傾国とも言えるが、ここまであからさまに指摘できた者はこれまで存在しなかった。


 庭の貴族達も何やら囁き始める。


「ここまで芸事が理解できないばかりか、それを恥じる様子もないなんて」

「シェンシャンを軽く見すぎている」

「いくらシェンシャンの才が無いからといって、ここまでとは」


 初めは小さかった王の陰口は、だんだんと大きくなっていった。しまいには、シェンシャンと関係の無い政の話にまで発展し、庭は桜を愛でるどころか、雑然とした喧騒に包まれてしまった。


「うるさい! うるさい! 私は王だぞ。クレナの王だ。誰よりもクレナの事を考えているのだ。黙れ!」


 一人、王座から立ち上がり、拳を振り上げて吠え続ける王。コトリは、もはや憐れとしか言いようのない父親の姿に、小さく首を横に振り続けることしかできない。


 確かに、この国において王の座は絶対だ。しかし、王だからと言って、為すことが常に全て正しいわけではない。なぜならば、王も所詮人だからだ。人故に、その傍に別の人が侍り、集い、一人では成せない事をやり遂げるべく力を合わせる。それでも時に困難に直面するため、人は自分達よりも上の存在、神に縋るのだ。


「父上、この国で神を無視するなんて、自殺行為です」


 コトリは呟いた。クレナ王が神と近しい関係性を築けないのは不運であり、不遇でもある。もし、少しでもシェンシャンが弾けたら、弾くことができなくても、真摯にその音色へ耳を傾ける心のゆとりがあれば、神はもう少し王に優しかったかもしれない。けれど、実際は――――。


「うっ」


 突然、王が呻き声を上げて、うずくまった。コトリの元から流れる神気が、王の首元へ絡みつき、苦しめているように見える。


「ルリ様、そこまでにしてください」


 そうコトリが願った瞬間、王の顔色は若干回復する。それでも、まき散らす怒気に、誰も手を付けられない状態。誰がこの場を収集するのだ。貴族達は視線を交わし合い、そういった問が繰り返される。


 そこへ、耳慣れぬ、訛りの強い声が通り抜けた。


「これは、これはクレナ王。芸術を解する良き国かと思いきや、頂に立つ者にはそういった素養が欠けている様子で誠に遺憾ですな」


 それは、王族達の席の左側から発せられていた。宮の渡り廊下の向こう、御簾が上がって出てきたのは、異国情緒溢れる装束の男達。身なりからして、身分の高い帝国の者と見受けられる。


「使者殿か」


 怒鳴り散らしたあまり、王の声は疲れたように掠れてしまっている。今になって、他国の者の前で醜態を晒したことを実感したらしく、俯きがちだ。


「他の方に聞きましたが、これはシェンシャンの素晴らしい弾き手を育成するための行事だとか。素直に、姫を良き弾き手だとお認めなさればよいものを、何がご不満なのだ」

「それは、あやつが首席になると」

「首席。良いではないですか。そういった名誉ある役につける程の腕がある女性が、我が国にいらっしゃるとなれば、我が主もお喜びになるでしょう」

「……そうであれば良いな。そうだ、その通りだ。皇帝の妃としての箔付けになれば良いのだ」


 急に息を吹き返したように元気を取り戻すクレナ王。コトリは叫び出しそうになる。それをサヨが、後ろから抱きしめて、どうにか落ち着かせようとした。今は、出ていく時ではない。確かにその通りなのだが、もうコトリは直接王に物言いたい気持ちでいっぱいだった。


「サヨ、離して!」

「なりません! 今行けば、そのまま帝国の者に姫様の身柄が奪われてしまうかもしれませんから」

「そんな?!」

「姫様は約束を守ったのです。王は反故にするおつもりのようですが、そうはさせません」

「でも、どうやって」

「大丈夫です。こんな時の私であり、紫なのですから」


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