第134話 本番
次の瞬間、舞台上のハナがふっとこちらを向く。コトリと目が合った。その顔は、薄らと笑みを湛えた勝ち誇った顔。
「まさか、こんなトドメが待っていたなんて」
傍にいたミズキも、完全に青ざめていた。
よく思い出せば、おかしかったのだ。舞台の右側に案内されるという格下扱いされたのに、トリは譲られたなんて、明らかに何かがあると踏んでもよかった。けれど、これは、コトリとアオイが中心となって作曲し、仲間とも相談しながら詳細を詰めて完成させたもの。それらは、全て墨色の御簾の内側でなされたことなので、この世でコトリの派閥以外の者が弾けるなんて、ありえないはずなのだ。
「いや、一人いる」
「え?」
俯いていたミズキが、顔を上げた。その顔は、いつもの少女染みた可憐さは色を失い、修羅である。
「カヤだ」
もはや、様などの敬称も無くなっている。それ程に、彼の怒りはすざまじかった。ミズキは、何としてもコトリを首席の座につけたいと思っているのだ。
コトリが王との約束を果たし、堂々と自由を手にするということ。これは、主の悲願を叶えたいというサヨの希望に沿ったものであり、紫にとっても重要な意味がある。
なぜなら、堂々とクレナ王と帝国の企みを潰すことになり、未だに国内に残っている王の庇護下にある貴族達の鼻っ柱を折ることができるからだ。つまり、いよいよ対帝国戦に向けて、国を一つに纏めやすくなる。もちろん、後日クレナ王が娘に負けた話を流布すれば、王の権威はより一層失墜し、失脚させやすくなるだろう。
「どうする?」
ミズキが、わなわなと震えるコトリに話しかける。
「策は、あります。ほら、よく聴いてください」
コトリの声は、殊の外しっかりとしていた。皆は、言われるがままに静かになり、舞台から流れてくる音楽に耳を傾ける。
「酷い……ですわね」
「難しいところは、簡略化して弾いているようです」
「盛り上がりに欠けるような」
血相を変えて騒いでいた楽師達だが、徐々にいつもの調子を取り戻してきた。それは、コトリ達が寝ても覚めても頭からついて離れない音楽と、ほぼ同じ旋律にも関わらず、あまりにも印象が異なるのだ。端的に言って、下手であり、魅力が無いのである。
「おそらく、この曲を覚えたのは最近のことなのでしょう。演奏も神気の操作も難しい曲なのに、練習が疎かなまま挑んでしまったようですね」
コトリは冷静に述べた。
この曲は複数の組に分かれて、それぞれが別の旋律を奏でることになっている。複雑な和音や拍子が絡み合い、単音弾きだけでは到底表現できない奥行きと荘厳さを演出できるようになっているのだ。参加する楽師達の息を合わせ、心を一つにして挑んで初めて完成するため、一人ひとりの責任も重い。そして、かなりの精神力と集中力、技量が要る。
さらには、作曲の段階から、細かなところにまで拘り抜いて組み立てた、繊細な楽曲でもある。帝国風の独特の節回しもあり、真似をしようとしても、そう簡単にはできないものなのだ。
「それで、策とは?」
アオイが尋ねると、もうコトリの顔には迷いがなかった。
「選曲は変えません。同じものを弾きましょう。ただし、三日前、全員で悩んで、結局止めることに決めていた、アレをやります」
「アレ……ね」
アオイは少し難しい顔をする。アレとは、クレナでは一般的ではない奏法をシェンシャンで再現するというものだった。
まず、弦を触れるか触れないかというぐらい軽く押さえ、その弦を弾いた瞬間、押さえていた指も離す。普通に弾くだけでは絶対に出ない、高音かつ柔らかな独特の響きが得られるのだ。ちなみに、帝国圏の別の弦楽器では、普通に取り入れられている方法で、コトリがイチカから教わったものである。
「私やあなたならともかく、他の子は絶対に失敗しないとは、言えないわよ」
「しかも、いつも使っているシェンシャンではないのだし」
サヨも不安そうに言った。しかし、コトリの決意は固い。
「そうですね。けれど、私達には神の御加護があります。今まで御簾の中で練習してきましたけれど、今日は外。この曲は奉奏以上の奉奏になると思いますから、必ず成功するはずです」
サヨは、以前コトリから聞かされた、新年の宴での話を思い出した。ルリ神は、コトリの事を真に応援しているらしい。大手を振ってカケルの元へ行くためには、きっと今日の演奏も何らかの助けを施してくれることだろう。
「分かりました。琴姫様がそう仰せならば、その通りなのでしょう」
サヨが賛同したとなれば、他の者も信じてみようかという気持ちになる。確かにこれまでも、コトリは楽師団を助けてくれた。きっと今回も。そういう期待が自然と膨らむのだ。
同時に、皆、楽師である。一度は検討して止めたものの、この新しい奏法はかなりの回数練習していた。その成果を出せるのは、嬉しいことなのだ。
「アレをやるとなれば、ますます同じ曲であって、異なる曲になりますね! 聴き映えは天と地程も差が開きましょう。私達の勝ちは、決まったも同じです!」
ミズキは自信満々だという風に、軽く袖をたくし上げて、肩をぐるぐる回した。まるで喧嘩する前の男のようなふざけ方に、他の楽師達は声を出して笑う。
もう、不穏な空気もわだかまりも消えた。そして、ハナ達の音も消えた。旋律の再現に忙しかったのか、神気は乱れっぱなしで、外は何も起こらなかったらしい。貴族達は、聴いていたのか、いなかったのか、それすら分からない。時折上がる歓声などから察するに、ハナ達の演奏は完全に聞き流されていたとみていいだろう。
「さぁ、やっと出番ね。皆様、よろしくお願いします」
コトリが、全員の顔を見て、目と目を合わせていく。皆、しっかりと頷き返して笑顔になった。
何せ、よく似た世代の女同士だ。練習でも作曲でも、揉め事はいろいろあったし、小さな喧嘩も度々あった。けれど、それら全てを乗り越えて、ここにいる。信頼の糸が紡がれて、女達を強く結びつけている。築き上げた力が、絆が、今、試される。
ハナ達が舞台を降りていったようだ。女官の手招きで、コトリ達は慎重に舞台へ上がっていった。
少し高い場所なので、見晴らしが良い。気温は低いが、陽の光が燦々と差し、そよぐ風は心地良い。楽師達の髪と小手毬の飾りが、小さく揺れている。
コトリは、すっと息を吸い込んで、シェンシャンを構えた。全員がそれに続く。途端に、辺りの神気の流れがすっと整って、庭の中は水を打ったように静かになった。それぐらい、空気が変わってしまったのだ。
女達から、さらさらと濃密な神気が流れ出している。それが、神気の見えぬ、ただ人にも感じ取れているのである。
コトリは、弾片でシェンシャンの胴をコツコツと叩いた。
始まりの合図である。
すぐ、一斉に始まった演奏。
はじめは、川の上流でこんこんと湧き出る泉のような、清涼で爽やかな旋律。雪解け水が山から流れ出してくるのだ。次第に、森の木々に緑が芽吹き始め、花の蕾が膨らみはじめる。温かな風と、恵みの雨が土地を潤すと、ついに青空広がる晴れやかな世界がやってきた。
梅が咲いて、次に桜が咲いて、野山も少しずつ彩りを取り戻し、人々が活動的になる。次の秋を目指した耕作も始まって、寒さから開放された喜びと、春爛漫の素晴らしい景色が踊りたくなるような拍子で聴く者の心を鼓舞していく。
次は、そんな喜びの中にある人々を見守る神の世界。人の営みを見守っているのは、物や道具に宿る神や、人々の先祖だ。生きよ。栄えよ。前へ進めよ。と、力強く、かつ慈愛を携えて、民を導いていく様子。
最後は、いつも傍にいるけれど、決して見ることのできない、それら神の微かな存在が、きらきらと煌めく音の海の波間に見え隠れして、消えていく様子が表現されている。人々が神の存在を忘れず、奏でという方法で交信を望む限り、その関係は絶えることは無い。その普遍的な教えを説いているのだ。
まさに、春という恵みと、人と、神を結ぶ、シェンシャンの存在そのもののような曲である。
それを、楽師達は一心不乱に奏で続けた。
自分達で生み出した新たな曲を奏でるということ。練習の成果。それらを発表し、評価を得るということ。これまでは墨色の御簾の内側に秘していた女達の想いと希望が今、ようやく外の世界へ音と共に解き放たれる。
コトリを首席にしてやろう。そういう想いも強いが、それ以上に、皆で積み上げてきたこの日のための全てが尊く、何しも勝る喜びになるのだ。
一方、聞き手側は、時が止まったかのように微動だにせず、奏でに魅入られていた。
先程まで、別のことに興じていた貴族達や、仕事をしていた侍女、侍従、官までもが、全て手を止めている。音の力が、彼らを支配してしまったのだ。
最後の音が消えても尚、庭中が不思議な余韻の中に取り残され、そこは非日常となっている。
そんな中、コトリ達楽師以外に、早くも動き出す者がいた。
「ご苦労であった」
その声は、王族の席からもたらされる。
立ち上がったのは、正妃であった。
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