第130話 なるほど

 その後。夕飯を済ませて膳が下げられてしまうと、もう空は暗くなっている。コトリ達の部屋がある建物の二階の端には、帝国式の長椅子があり、そこにはひとときの逢瀬を楽しむ男女の姿があった。片方は、サヨ。どこか身を固くして座っている。


「今夜は来なくていい」


 ミズキがそう言うと、サヨは内心がっかりした事を顔に出すまいと、唇を強く噛み締めた。コトリから、ミズキと部屋を交代する案が取り下げられてほっとしていたのは事実だが、こうもゆっくりと夫婦の時間が取れないのは、地味に堪えるものがある。近頃は、顔を合わせても業務連絡だけで終わることも多いのだ。


「分かったわ」


 サヨは理由を尋ねたいのに結局それを口にできず仕舞いで、夫は自室へと去ってしまった。閉じた扉を穴が開くほど睨むものの、静かな長い廊下は何も応えてくれない。


 最近のミズキは、どこか変だ。サヨに、ずっと何かを隠している。


 これは確信めいた予感にも近いものだった。しかし、決して問いただすことができない。妻として、踏み入ってはいけない領域だと思い込んでいる。否、彼が秘密を持つことを許容することで、寛大な女を演じようとしているのだ。


 何やら、疲れてしまった。


 どうでも良い時にどうでも良い事を言い返すことができるのに、いざという時には、そんな威勢が鳴りを潜めてしまって、自らを苦しめる。そんな性格に、我が事ながら嫌気が差してしまうのだ。


 サヨは深い溜息をつくと、コトリの待つ練習場へと戻っていった。


 そんな彼女の気配が消えたのを見計らっていたミズキもまた、一人、やり切れなさを誤魔化そうと、拳を固く握りしめている。


「さて。ひと仕事するか」


 ミズキは、音も無く部屋を出ると、一階へ降りていく。向かった先は、アオイの部屋だった。


 軽く戸を叩くと、すぐに返事があり、侍女によって中へ通される。


「どうかしたの? 一人なんて珍しいわね」


 アオイは、シェンシャンの弦を張り直しているところだったらしい。張ったばかりの弦を馴染ませようと、強く弾いている。何度かそれを続けると、次第にブレて雑音めいていた鳴りが、凛としたものに変わっていった。


「まさか、今更男だから退団したいとか言うんじゃないでしょうね?」


 それは、朝餉に胡瓜の浅漬が出なくて文句を言う時と同じぐらい、ごく自然で軽い調子の問である。


 対するミズキは、取り繕うことも忘れて驚いてしまった。


「いつから、それを」


 今も赤い簪は髪に刺さっていて、その成りは垢抜けない無邪気な田舎少女そのもの。顔つきは、よく見ればかなり整っているものの、計算され尽くされた小動物的な仕草などはすっかり堂に入ったもので、まさか見抜かれているとは思っていなかったのだ。事実、入団以降、誰にも指摘されたことはなかったのに。


「初めからよ。新人のお披露目会があったでしょう? その時の演奏で、何となく怪しいと思ったの。その後、別室で話をしたでしょう。あの時には、確信に変わっていたわ」

「つまり、分かっていた上で入団を許可したと?」

「たまにいるのよ。あなたみたいな子は。楽師団も辺境の寂れた村から見れば、ただの奉公先でしかないもの」


 楽師団は衣食住が保証されている上、給料も良い。確かに出稼ぎ先としては、この上ないのだ。女ばかりなので比較的治安も良く、兵として働かされることも無いので、直接身が危険に晒されることも無い。女装して入団した者が過去にいてもおかしくない、とミズキは納得した。


「他にもいるのですか?」


 ミズキは、自分のことを棚上げして、サヨが住むここ鳴紡殿に他の男がいるのは嫌だと思ったのだ。


「今はあなただけよ。正体に気づいているのは、私とサヨ様。もしかして、カナデ様もかしら?」


 ほっと胸をなでおろす。それにしても、このアオイという女。どうしてこうも、人を見抜く力を持っているのだろうか。


「参考に教えてください。なぜ、分かったのですか?」


 アオイはミズキを小さく睨んだ。


「知ってるでしょう? 私は、元々娼館でシェンシャンを演奏していたの」


 確かに、サヨから聞いたことがある。コトリのシェンシャンがナギに壊された際、アオイが過去を語ったのだと。自らを卑下してはいないようだが、やはり誇れる過去ではないようだ。その証拠に、今も彼女の額には皺が寄っている。


「あそこは、本当にいろんな人が来るわ。お忍びであっても、逐一本来の身分を見抜いてそれ相応の礼儀を通さねばならないし」


 どうやら、商売上自然と磨かれてしまった技能のようだ。てっきり、性別を見抜く特殊な神具でもあるのかと思い込んでいたミズキだが、その心配はなさそうだ。


 ふと、体の力を抜いたミズキだったが、ここでアオイはニヤリと笑う。


「それとね、あなたみたいな人も、需要はあるのよ?」

「え」


 この国は、同性同士の恋愛に寛容ではない。しかし、存在はしている。そこで、片方が別の性の格好をして夫婦の体を成すことがあるのだが、それは娼館でも同じこと。


「あなただったら、女に飽きた殿方にも高く売れそうね」

「誰がそんな」


 コロコロ笑うアオイ。これから頼み事をしようというのに、すっかりアオイの調子に乗せられている。ミズキにとって、かなり不利な形勢と言えた。


「それで、どうしたの? わざわざ部屋まで来たという事は何かあるのでしょう?」


 ミズキは、姿勢を正して胡座をかく。もう女のフリをする必要がないのであれば、正々堂々と向き合うまでだ。


「そうだ。して、アオイ様は紫という組織をご存知か?」


 話し言葉も、男のものに戻す。アオイは、雰囲気が一転した目の前の人物に目を丸くするも、恐れている様子は無い。さすが首席。肝の座り方が違う。


「名前と、だいたいの活動内容ぐらいは。今の都で、全く知らない人の方が少ないんじゃないかい?」


 アオイも口調を崩し始めた。


「ならば、話は早い。ここからは、アオイ様のことを見込んでの内密の話。他言無用でお願いしたい」

「分かったわ」


 嫌がるかと思いきや、アオイはすんなりと肯いた。


「まず、私は紫において、実質上の頭である。そして、これもお聞き及びかもしれないが、形式的な長はクレナ王家の姫、コトリ様だ」

「え、待って。あなたが」


 アオイは口元を手で覆って、反応に窮している。こんな少女が、たくさんの貴族を味方につけ、都で急拡大中の大組織を牛耳っているなんて、とても信じられなかったのであろう。


 ミズキは、簪を抜いた。それが一番分かりやすい方法だと思ったからだ。たちまち、体が大きくなり、成人男性の姿になる。役者かどこかの王子だと言われてもおかしくない程に、品の良い中性的な顔がアオイをじっと見つめていた。


「まさか、こんな、いい男だったなんてね」


 アオイにそういう目で見られるのは、ミズキにも新鮮な事だった。村にいた頃から、見目が良いと言う事で、よく知らぬ女からも言い寄られていたが、やはり落ち着かないものである。


「先日、結婚したばかりだ」


 まさかとは思うが、念の為に牽制する。


「……もしかして、サヨ様と」

「その通り」


 アオイは、得心したとばかりに何度も頷いていた。


「では、妻を置いてここを離れたりはしないわよね? ここだけの話、カナデ様の派閥が纏まっていられるのは、あなたのお陰だと思うのよ」

「私が?」

「えぇ。中身や正体はこんなのだけど、日頃は違うでしょう? 皆、和むというか、癒やされるというか、あなたがいると雰囲気が良くなるのよね。きっと紫でも、その手腕が役に立っているのでしょう」


 確かに、場がギスギスしないように何かできないかと常々心がけているが、そんなところでアオイから高い評価を受けているとは思いもよらなかった。


「あなたも気づいているでしょうが、ハナ様はかなり手強い方。まだ新人のカナデ様は、普通であれば適う相手ではないわ。でも私は神具の件で恩もあるし、お父上との約束を勝ち抜いてほしい気持ちも強い。あなたも、偉い人としての事情があるでしょうけど、どうか協力してやってよ」


 これには、ミズキも一瞬言葉を失くしてしまう。


「それだ。まさに、それをアオイ様に頼みにきたのに」

「そうだったの?」

「あぁ。俺がカナデ様を応援する理由は、いくつかある。一つは、サヨの親友だから。一つは、あの類稀な奏ではもっと正当に評価され、日の目を見るべきだから。そして最後にもう一つ」


 ミズキは、アオイを見据える。おそらく、この女は信用して良いだろう。紫の長として、大勢の民を見てきた自身の目が、そう言っている。


「カナデ様は、コトリ様です。これは、お気づきだったか?」


 昼間、小春日和の日差しで溶け出していた雪が、ひとかたまり屋根から落ちる音がした。


 アオイは、何度も瞬きをする。


「なるほど。彼女は本物の琴姫だったのね」

 

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