第129話 仕上げ

 春の園遊会。これは、桜を愛でる会である。その昔、クレナとソラが一国だった時代には梅が主役だったらしいが、いつの頃か、今の形に落ち着いたようである。


 国の南部では、もう咲き始めたとの知らせが都にも届いた頃。コトリ達は、最終の仕上げとばかりに、懸命な稽古を続けていた。


「どうですか?」


 コトリがアオイに尋ねる。客観的に演奏の出来栄えを確認するため、アオイは少し離れた場所から皆の奏でに耳を傾けていたのだ。


「そうですね。マツ様達お三方の音量がもう少し小さい方が、全体的な釣り合いが良くなる気がします」

「分かりました」


 マツ、タケ、ウメの三人組は、殊勝に頷いた。


 今、派閥の筆頭となっているのは、もちろんコトリなのだが、現在、首席の地位にあるのはアオイ。これまでも楽師団を上手く纏め上げてきた上、奏での腕もあるアオイが言う事は、この何かと姦しい三人も素直に従う傾向にある。


 これがコトリであれば、ひと悶着起こらなくとも、僅かなわだかまりが出来るとも限らない。コトリは、心底アオイが仲間になってくれて良かったと感謝するのである。


「神気は、上手く流れているようですね」


 サヨがコトリに話しかけた。年明け、ナギが社通いする中で神気が見えるようになったが、今はサヨも含め、全員が神気を目にすることができるようになっている。未だ、その色味がはっきりと視認できない者もいるが、演奏する上では問題が無い程度にまでなっていた。


 これも、コトリが全員を引き連れて、連日社総本山を訪れているからである。


 中には、元々信仰があつくない者もいたのだが、琴姫を祀る社への参拝は験(ゲン)担ぎになるからと、ミズキが皆を言いくるめたお陰で成せたことだ。ついには、揃いの神具無しでも、神官が祝詞を上げた際のような奉奏ができるようになったのである。


 共に、大きな力を得て、一つの目標に向かって進むということ。これは、女達に強力な連帯感を抱かせることになった。


 当初は、ハナ達に負けをとっても良いと考えていた者達も、今は完全にやる気になっている。むしろ、勝負がどうのこうのというよりも、自分達の卓越した奏での腕を、王族や貴族に見せつけて驚きの渦へ叩き落とすことを楽しみにしている節がある。


「えぇ。皆が繊細な神気の操作をしてくださっているお陰で、辺りがとても美しい景色になっていたわね」


 コトリは、にっこりした。

 シェンシャンで綺麗な和音を響かせると、辺りは、虹色の水に浸かったかのような幻想的な神気の流れが巻き起こるのだ。これは、神気を目にすることができる者だけに許される、格別の体験である。


「そうね。神気が織りなす恵みを呼び込む風。旋律の美しさ。どれをとっても及第点、いえ、それ以上よ。随分と仕上がってきたと言えるのではないかしら?」


 アオイから見ても、ほぼ満足のいく内容だったらしい。


「これだけ素晴らしければ、王族の皆様もきっと腰を抜かすと思います。きっとハナ様達にも勝てますよ!」


 カヤも、頬を上気させて言い募る。


「では、後は本番まで体調を崩さないようにしましょうね。当日は、全員お揃いの挿頭花をつけましょう」


 サヨは、菖蒲殿を通じてヨロズ屋の職人に髪飾りを発注していたのだ。やはり装飾品というのは女の心を舞い上がらせるものである。聞いた者達は、それぞれに喜びの声を上げて、はしゃいだ。


 そうして散会した後、ミズキはサヨとコトリを自室に招く。私的な場所故か、またも赤の簪を外していた。もはやコトリも「彼」の事は認識しているので、気にした様子はない。


「ちょっとした報告がある」


 大抵、こういう言い回しをする時は、ちょっとした事ではない事が多い。コトリとサヨの二人は姿勢を正した。


 ミズキは、ハトから届いた文を開く。


「まず、ソラでは瓦版を通して、クレナ併合は間近だという情報が出回っているらしい」


 コトリ達も紫を通して二国の統一を目標としているが、その際、どちらの国が主体となるかまでは話し合われていない。しかし、どう見てもソラの方が国として豊かであり、民も元気だ。確かにクレナは吸収される側になってしまうだろうし、統一後に立つのは現ソラ王となるのは自然な流れだろう。


 しかし、サヨは、クレナの貴族としての誇りを捨てきれないところもあるらしく、少々腑に落ちない顔をしている。


 コトリは、それに気づきながらも、カケルならばクレナを良きに導いてくれるだろうと、やがて来るだろう平穏な世を想像し、心躍らせるのである。


 ミズキは、それぞれの反応を咳払いしながら見遣ると、再び文に視線を落とす。


「それでだ。この事が、未だに香山に引きこもっているクレナ王の耳にも入ったらしい」


 香山は、ソラとの国境に接する場所だ。二国を行き来する商人や旅人などから、伝わってしまうこともあるだろう。


「やはり、お怒りなのかしら?」


 サヨが尋ねると、ミズキは肩をすくめてみせた。


「そんな優しいものじゃないらしい。王に侍っている者達に当たり散らして、大変なことになっているそうだ」


 これまで、クレナ王こそが、ソラを狙ってきた。なのに、いつの間にか逆の立場のように言われてしまっては、黙っていられないのだろう。


「だからだろうな。被害者の中には、『王宮は、まだ完全に流民達の手に墜ちたわけではない』と漏らした者もいるらしい」

「では、戻ってらっしゃるのね?」


 コトリは、そう呟いて顔を曇らせる。


 春の園遊会は間もなくだ。王不在のまま執り行われる見込みだったが、これでは首席争いにも影響が出るかもしれない。


「そこまで深刻に考える必要は無い。王が何かしてくるかもしれないが、少なくとも姫さんを傷物にする方法はとらないはずだ」

「何、それ。全然安心できないわ!」


 サヨが噛み付く。ミズキは、サヨの頭を軽く撫でた。その仕草と、サヨの反応。コトリは、改めてこの二人が本当にそういう関係にあることを実感しつつ、若干の疎外感を覚える。


「大丈夫だ。ある程度仕掛けてきそうな事は目星がついている。ちゃんと対策するから。な?」


 サヨはまだ拗ねたように頬を膨らませているが、ミズキは小さく笑うだけだった。


「それより、これ」


 コトリは、ミズキから差し出された物を両手で受け取った。見覚えのある紋が押された文。


「あら、ソウ様から?」


 とても久しぶりの事だった。年末年始に型通りの挨拶の文を取り交わしたが、それだけ。最近はシェンシャンの調子も悪くない上、今の都には物騒だからとサヨに出かけるのを止められているため、随分長い間会えていない。


「園遊会の話をした。応援してるって」


 文を見つめる。コトリの頭には、ソウの笑顔が浮かんでいた。


「嬉しい」

「花も届いてる」

「わぁ……!」


 ミズキが隣の部屋から運んできた。連翹レンギョウの花である。鮮やかな黄色は、大変春らしい。


「皆、姫さんが首席になって、自由になることを望んでいる。絶対に成功させよう」

「ミズキ様、ありがとう」


 花言葉は期待や希望、集中力。人生がかかった大舞台へ続く階を駆け上がる姫に、ぴったりの華やかさのある花だ。


 もう、負ける気がしない。

 コトリは、花束を胸元に抱いて、胸いっぱいその香りを吸い込んだ。


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