第119話 弟子志願

 サヨが、コトリと伴って香山の関へ旅立っていった。毎年恒例、クレナ、ソラ両国王家が集う新年の宴に出席するためである。


 取り残されたミズキは、人気がほとんど無くなった鳴紡殿の練習場で、一人寂しくシェンシャンを奏でていた。


「ミズキ様は帰らないのかい?」


 ナギがやってきた。いつもの楽師の衣ではなく、貴族らしい金糸の細かな刺繍の入った艶やかな装いだ。


「ナギ様はこれからお帰りなのですね」

「そうよ」


 ナギの実家の屋敷は、都の中にあるらしい。それも、鳴紡殿から遠くはないようだ。


「帰ったら、またたくさん見合いをさせられそうだわ」


 ほとほとと溜息をつくナギ。ミズキは、かつて姉、チヒロが同じように不貞腐れた顔をしていたのを思い出した。そんな彼女も、やっと結婚したのに夫には先立たれ、息子も死に、一人になったかと思えばヨロズ屋のソウに目をつけられて店番をしながら紫の仕事をこなしている。以前ならば想像もつかないぐらい、忙しくも充実した毎日だ。


 人生は、何がきっかけで好転するか分からないものである。ミズキとて、まさかサヨと夫婦になれるとは思っていなかった。


 ここは、良い人がいれば結婚してみてはどうか。と声をかけようかと思ったが、そうなればナギは楽師団を去ってしまう。それはコトリの貴重な信頼できる仲間を失うことにもなるので、今はまだ留まっていてほしいところ。


「それは大変。私、ナギ様がいなくなると寂しくなるので、結婚しないでほしいです」

「ありがとう。もし結婚するなら、あなたみたいに可愛い人がいいわね」

「私みたいな人、なかなかいませんよ」


 ナギは声を上げて笑うと、ミズキのことも尋ねてきた。


「それで、いつ帰るの?」

「今日中には発ちます。村には、元旦までに着けばいいので」

「あら、そんなギリギリでいいの? ご両親は寛容な方なのね」

「はい」

「じゃ、そろそろ私は行かなくちゃ。では、また来年」

「えぇ。ナギ様も、良いお年をお迎えくださいね」


 ナギは手を振ると、黒い御簾をくぐって去っていく。妙に疲れてしまった。ミズキは、辺りに誰もいなくなった部屋で、ゆっくりと首と肩を回し、体をほぐす。


「さて」


 ナギにはあぁ言ったものの、ニシミズホ村に帰る予定は無い。ミズキは、ここぞとばかりにしておきたい事があるのだ。


 誰もいない廊下を通って部屋へ戻り、出かける支度をする。次に戻るのは正月明けとなることを女官に告げると、鳴紡殿の門をくぐった。向かうは、ヨロズ屋である。



 ◇



 ミズキは、店の中を覗き見た。今日も今日とて、様々な種類の神具が売られている。店先に並んでいるのは、水瓶や焜炉など、生活必需品が中心になっているようだ。


「いらっしゃい!」


 威勢の良い声が飛ぶ。ゴスだ。クジャクも接客に忙しそうにしている。ソラ産の神具の価格が高騰し、物自体もあまり輸入されなくなってからというもの、ヨロズ屋は以前にも増して盛況なのだ。


 さて、誰に声をかけようか。一度、紫が管轄する屋敷に立ち寄ってきたので、今はどこか貴族の屋敷の下働きに近い格好だ。こんな所で立ち尽くしていても不相応ではないのだが、未だにこういった都の街には溶け込みきれないミズキである。


「あら、いらっしゃい」


 突然かけられた、取り繕わない声。やって来たのは、姉のチヒロだった。


「ソウ様なら、奥にいるよ」


 ミズキは軽く頷くと、チヒロを追うようにして中へ入っていった。



 ◇



 店主の部屋へ入ると、奥の大きな卓にいるカケルが顔を上げた。書物などの類は、いつもながら山積み。所用でここへ来るのは何度目かになるが、これらが片付いているのは、まだ見たことがない。


「読みましたよ」


 ミズキは、事前に先触れとして文を出していたのだ。今のカケルの立場や多忙さを鑑みて、予め本題にも触れた内容である。


 二人は向かい合って来客用の小ぶりの卓を挟み、向かい合って座った。


「まずは改めまして、即位、おめでとうございます」

「今は、ソウです」


 カケルは少し照れたように眉を下げる。だが、この男が短期間の内に一皮剝けて、人として数倍成長したことは、否応なしに伝わってきた。いかにも商人風の装いなのに、王の風格が溢れているのだ。


 ミズキは若干気圧されてしまったが、ここで尻込みしていては、わざわざ店まで足を運んだ意味がない。腹に強く力を入れると、静かに頭を下げた。


「早速だが……弟子にしていただきたく!」


 床を見つめ続ける。部屋の散らかり具合のわりに、よく磨かれた美しい床。


 どれ程時間が経っただろうか。急に大きな物音がする。息を殺して返事を待っていたミズキは、驚いて顔を上げた。


 見ると、卓の上に木箱が置かれている。カケルは、無言でその蓋を取ってみせた。


「これは、工具箱です」


 ミズキは、高まる期待を胸に、前のめりになる。しかし、カケルはそれを視線だけでいなした。


「まずは、理由を聞きましょうか」


 確かに、これまで楽師として腕を磨いてきたミズキが、突然神具師を志すなど、不自然なこと。やはり、説明せねばなるまい。


 ミズキは、この人物ならば自分の思いを理解してくれると信じつつ、口を開いた。


「サヨを守るためだ」

「守る、ですか。神具師は、兵士ではありませんよ」

「それは知ってる。でも、神具師ならば、兵士以上の可能性を持っている」


 神具師は、身近な素材に祝詞を書き付けて神を降ろし、ただの道具を奇跡を起こす神具に変える聖なる職。工具さえ持っていれば、どこでも、どこにいても、それらを成し遂げる。神具も発想次第で、どんなものでも作れそうなぐらい奥の深い物だ。


「事実、護身の神具もあるようだ」


 姉のチヒロからも、ニシミズホ村でカケル達が使った神具について、話を聞いていた。一見丸腰だった商人が、瞬く間に屈強な村の男共を一蹴したのは、痛快かつ不思議に満ちた奇跡だったと。さらには、コトリが流民に対して発動させたもの。あれも神具だ。


 ミズキは、カケルの反応を確かめながら続ける。


「それに、もう、俺はかつてのように一人じゃない」


 先頃、ついにミズキは、サヨを娶ることとなった。その後、菖蒲殿の当主からは、サヨを自分の命に替えても守り抜くよう言い含められたこともあり、これから帝国とも事を構える可能性がある中、無策というわけにもいかないのだ。


「俺は楽師だ。楽師は剣を持ち歩いたりしない。だから、いざという時、咄嗟に神の力を借りられる神具師の技を学びたい。もちろん、簡単じゃないことは分かってる。きっと厳しい修行と膨大な知識習得が必要なんだろう? それでもいい。俺は、サヨを守れるんだったら、何だってやる」


 ここまで話すと、カケルはふっと小さな溜息をついた。


「あなたの事です。きっと、断っても諦めないのでしょうね。何しろ、今の紫はあなたから興ったようなものだ」

「では、早速基礎だけでも」

「しかし、問題があります」

「何だ? 庶民は駄目なのか?」

「いえ。ミズキ様がクレナの人間だからです」


 ミズキは、はっとして息を飲んだ。


「ソラの人間は、生来なぜか職人に向いた素質を持っています。クレナでは、それがない代わりに奏での素質を持っている。これは、ソラ王宮の古い書物によると、二国に分かれた際、神が意図的にそういった状態にしてしまったらしいのですが」


 神は、必然的にニ国が助け合わざるを得ないようにしたかったのではないか。ミズキはそんな事を考えながら、カケルの次の言葉を待つ。


「しかし、例外というものがあります。私の弟子に、帝国の血筋を引く者がいるのです。やはり、ソラ出身の者とは違い、かなりの努力にも関わらず上達が遅く、なかなか神との相性がしっくりこない。けれど、本人の根性と時間をかけることで、今は一人前になりました」

「じゃぁ、俺も」

「そうですね。神具師になれるか、なれないかで言いますと、なれるかもしれません」

「かも、じゃない。なる。なるんだ」


 ミズキとて、かなり強い決意を持ってここへやって来ている。難しいのは元々承知だ。今更、諦めたりなどしない。


 カケルも、ミズキの確固たる気持ちを理解してしまったらしく、半ば呆れながらも小さく笑った。


「分かりました。では、ミズキ様の師は、先程話した私の弟子、ラピスとしましょう。彼ならば、様々な苦労を理解し、修行も工夫もしてくれるはず」

「それはありがたい」

「いえ。これも考えようによっては、紫が目指す所への大きな一歩かもしれませんから」


 今はソラの人間も、ミロク達からシェンシャンの奏でを学んでいる。クレナの人間も、神具師の技を学んだっていいはずだ。こうやって、それぞれが歩み寄って交流し、融合していくこと。きっとこれは、いずれニ国が一つになる布石にもなるだろう。


 カケルは、早速ミズキにラピスを紹介することにした。カケル本人はこの後、ゴスと共に香山の関を目指さねばならないが、ラピスは店に残って正月を過ごす予定のため、丁度良いらしい。


「さて。これで私は、ミズキ様にとって私は頭が上がらない存在になってしまいましたね」


 店の中を歩きつつ、カケルは囁く。そもそもカケルは王だ。元から雲の上の存在なので、何を今更とミズキは不思議に思う。


「私は、あなたの師匠の師匠になるという意味です。師弟関係というのは、ソラでも大切にされているのですよ」


 そう言うと、カケルは突然立ち止まって、ミズキの方を返り見た。


「そういうわけですから、サヨ様はもちろんのこと、コトリの事をよろしくお願いしますね」


 暗に、神具師の技を教えるのは、コトリを守るためだと言わんばかりだ。このコトリ中心の思考回路だけは、以前と変わらないらしい。

 ミズキはくつくつと笑った。


「分かってるよ。姫さんは、サヨにとっても大切な人だ」


 王らしくなったはずのカケル。そんな彼に、ミズキは、すこぶる親近感を覚えるのであった。


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