第118話 次はあなた
この日もサヨは、ミズキの所へ行ってしまって不在だった。最近、朝まで帰ってこない事もある。少し妬いてしまうコトリだが、王女時代のようにサヨを縛り続けるのも良くないだろう。となると、部屋をミズキと変わった方がいいかもしれないと本気で思い始めている。
それはさておき、アオイがやって来た。
彼女は貴族の養子に入っているが、正月は親戚一同が介する機会。他所者としては居心地が悪いらしく、帰省しない年もあるとカヤから聞かされていたが、今年も鳴紡殿で年越しするつもりなのだろうか。
「どうぞ」
廊下は冷える。火鉢がある部屋とは温度差が酷い。コトリは、ひとまずアオイを中へ招き入れた。
「急に悪いわね」
「いえ」
何かあれば、首席として楽師を呼び出す立場にあるアオイが、わざわざ自ら部屋を訪れてくるなんて。コトリは首を傾げつつ、いつもサヨの指定席となっている椅子に、アオイを誘った。
「何か飲まれますか?」
尋ねると、アオイは無言で頷く。機嫌が悪いわけではなさそうだ。コトリは、茶にしようと思って支度を始める。
今年は珍しく、まだ都内でも風邪が流行っていないらしい。けれど、こう毎日気温が低くては、この鳴紡殿に住まう楽師や女官から患者が出るのも時間の問題かもしれない。そうなると、薬になるとも言われている茶は、ぴったりのはずだ。
部屋の中は、パチパチと炎が弾けて炭が欠ける音と、湯がコトコトと沸く音だけ。アオイは、近くの柱に立てかけられているコトリのシェンシャンをじっと見つめていた。
先日、ソウが修理したことで、胴の表面にあるアジサイ柄には貝が嵌め込まれて、若干華やかになっている。光の加減で、様々な表情を見せるため、控えめな美しさを楽しめるのだ。
コトリは、アオイの向かい側に座ると、器にそっと茶を注ぐ。ふわりと白い湯気と温もりが、二人の間に立ち上った。
さて。なかなか声を発さないアオイに、コトリが痺れを切らしかけた頃。ようやくアオイが重い口を開いた。
「次の首席は、あなたがなりなさい」
きょとんとするコトリ。
てっきり、仲間内で配布した神具の催促か、園遊会に関する宣戦布告、もしくは帰省に関する挨拶かと思い込んでいたのだ。
「楽師をお辞めになるのですか?」
首席の座を捨てるなんて、それ以外には考えられなかった。けれど、シェンシャンの腕を買われて貴族の仲間入りを果たしている彼女に、そんな事ができるのだろうか。
「まさか。私と私の傘下の一部の者を、あなたの所で引き取ってほしいのよ。春の園遊会では、共に奏でましょう」
「え」
これは、アオイの派閥がコトリの仲間に入ることを意味する。つまり、楽師団内の勢力図が完全に変わってしまい、コトリ達が最大派閥となるのだ。願ってもない事だが、理由が分からず、戸惑ってしまう。
アオイは、コトリの胸元へ視線を寄越した。
「神気の色を見る神具を持っているそうね」
今日も、コトリの衣の前合わせには、ソウから贈られた神具で彩られている。
「私も、それが必要なの。でも、物だけを受け取っても、私はあなたに返せるものが無い。だから、琴姫とも呼ばれるあなたに、首席の座を譲りたいわ」
アオイからは、裏表の無い素直な願望が伝わってくる。大変ありがたい申し出だが、神具のためだけにそこまでしてもらうのは、どこか気が引ける。今のコトリは、庶民ということになっているのだ。実家の力をもって、圧力をかけてくることもできるだろうに、なぜをそれをしないのか不思議でならない。
「理由が分からなくて困っているようね」
コトリは控えめに頷いた。
「私は、知っての通り、貧困に喘ぐ辺境の街の出。収穫の時期になっても楽師団はやってこない辺鄙な場所よ。もしかしたら、クレナの都よりも、ソラの国境に近いかしら」
故郷を語るアオイの雰囲気は、いつもよりも柔らかい。コトリは茶を口元に運びながら、静かに話を聞いていた。
「そこへ帰って、奉奏をしたいの。孤児だった私が身を立てるきっかけになった場所だから、恩返しがしたくてね。でも、楽師団にある神気の色を見るための神具は、勝手に個人的な事で持ち出す事はできない。だから、あなたから一つ譲り受けたいというわけ」
確かに、そういった理由ならば、実家を頼る事は難しいだろう。しかし、栄えある首席の座を手放す程の事ではあるまい。
「そういう理由でしたら、アオイ様には特別に一つご用意します。見返りは要りません」
王女として、そして楽師団の一員としては、差し伸べられるはずの手から溢れてしまった民達を、少しでも多く救いたいと思う気持ちが大きい。そこに対価を求めてはならない気がするのだ。
だが、アオイは首を横に振る。
「いえ、そんな事をしては、他の楽師達も何かと理由をつけて、あなたから特別な神具を奪おうとするでしょう。そうなっては、あなたの派閥が崩壊してしまう」
これには、ぐうの音も出なかった。今、仲間を繋ぎ止めているのは、神具の存在に他ならない。では、どうしたものか。コトリが考えあぐねていると、今度はアオイから質問を投げかけられる。
「それにしても、あなたはどうして首席を狙っているの?」
最もな疑問だ。庶民のカナデは、実家の期待を背負っているわけでもなければ、大成して優越感を味わいたいという気質でもない。
こうなっては、適当な嘘をつくこともできそうになかった。となると、ほぼ真実の内容を話すことになる。
「実は、楽師を目指す際に、実家の父から出されていた条件なのです。私が十八になるまでに首席になれなければ、無理矢理でも楽師を辞めさせて実家に戻し、嫁に出すと。しかもお相手はかなり高齢で、他にもたくさんの女の方がいるとか。私、それが我慢ができなくて」
「なんてこと」
これにはアオイも、驚いたと同時に、かなり同情してしまったようだ。やはり、世間一般的に、女の立場は男よりも低い。家長になにか言われると、それに従わねば生きていけないのが常だ。
「それは、何としても首席にならねばならないわね」
「ですが、それはアオイ様も」
「私の方はいいの。年に一度、実家の領地での奉奏さえできれば、首席でなくともいいと言われているわ。むしろ、あなた側につくことで神具を入手し、奉奏の精度を上げた方が絶対に喜ばれるわね」
アオイ曰く、親代わりをしている貴族は、楽師団という小さな組織内の女の小競合いなど、全く興味が無いらしい。コトリは、想定よりも迷惑をかけずに済みそうな事に安堵した。
「それでは、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
せっかく巡ってきた機会だ。次の園遊会で首席をとることは、王と正攻法で真正面から対決するコトリにとって、絶対に譲れないこと。この話に乗らないという選択肢は無い。
「えぇ、構わないわ」
アオイは、ついでとばかりに首席の仕事についても語り始めた。
首席という地位は、何も名誉的なものだけでは無い。実際は楽師団と王宮の橋渡し役や、楽師団内の揉め事の収集、簡単な事務仕事も含まれる。これらは意外と手間と気遣いがかかるものであり、シェンシャンの練習時間すら削られしまうのが事実だ。それ故、元々奏での腕がある者でないと務まらないというのもあるらしい。
「あなたは庶民だけれど、どこか人を引き寄せるような何かを持っているわ。奏でに対する思いも人一倍強いし、奏で自体の質も良い。そういった神具を用意できるということは、人の縁にも恵まれているのでしょう。きっと、良い首席になれるはずよ」
コトリは、褒めちぎられて居心地が悪いぐらいだった。だが、期待されるというのは嬉しい事。アオイは凛とした孤高の女で、入団当初から憧れの存在であった。そんな人物が味方になってくれるのは、この上なく心強い。
「ありがとうございます。アオイ様を後悔させぬよう、全力を尽くします」
コトリは、深々と頭を下げた。
その後、コトリはすぐにヨロズ屋へ連絡。ソウは、こんな事もあろうかと、多めに神具を用意していたらしい。アオイと共にコトリの傘下に下る者達の名を伝えて、れいの仕込みを施してもらい、二日後には完成した物が配布されることになった。
雪がちらつき始める、年の暮れのことである。
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