第117話 神具完成

 薄曇りの日が続く。各部屋に火鉢が入れられて、早朝は、炭火を運ぶ女官の姿が見られるようになった。冬である。


 久方ぶりに王女として社へ足を伸ばしていたコトリは、鳴紡殿に戻ると、部屋に新たな木箱が運び込まれているのに気がついた。


「これ、どうしたの?」


 尋ねると、サヨが傍へやってきた。


「おかえりなさいませ」


 サヨは、頑丈な組紐を解いて、慎重に蓋を開ける。


「こちらは、神気を見る神具です。ようやく、注文していた数が仕上がったということで、先程ヨロズ屋から納品されました」


 中には、さらにたくさんの小箱が入っていた。全てにヨロズ屋の紋章らしきものが入っている。それらを次々に開封していった。


「まぁ、見事ね!」


 中を覗き込んだコトリは、思わず声を弾ませる。


「ソウ様のお弟子様達まで、寝る間を惜しんで仕上げてくれたそうです」


 どれも、コトリがソウから贈られたものと同じで、鏡のような薄い金属の板状のもの。花をかたどったような華やかな形状をしていて、大変雅である。


 添えられていた説明書きによると、以前のものから若干の改良もなされていた。この神具を衣の前合わせか、帯の辺りに固定できるよう、裏側に止め金がつけられているのだ。つまり、装飾品のようでありながら、神気の色も見ることができるという優れものなのである。


「これならば、常に身に着けておくこともできるから、失くしてしまうこともないでしょうし、便利だわ」

「えぇ。演奏中も色の確認がしやすそうですし、本当に良いと思います」


 いつもソウには厳しめな事を言うサヨだが、今日は素直に褒めている。それには、機能面だけでなく、大変手の混んだ緻密な細工など、丁寧な仕事ぶりが伝わってくるのもあるだろう。


「では、サヨ。正月に向けて里帰りが許される時期も近づいてきたし、早速皆に配りましょうか」


 しかし、サヨの反応は芳しくない。


「えぇ。ですが、一つお耳に入れておきたいことが」

「何かあったの?」

「はい。カヤ様なのですが」


 サヨは、以前ヨロズ屋で起きた小さな事件について語り始めた。楽師団では、皆の妹であるかのような可憐な振る舞いをしているカヤ。しかし店では、貴族であり楽師であることを鼻にかけ、大変横暴な言動でチヒロやユカリを困らせたというのだ。


「どうしても神具が欲しいならば、まずはカナデ様に直訴するのが筋というもの。それを、こそこそと行きつけの店を探し出して、脅すような手口で秘密裏に入手しようとするなんて、決して許される行為ではありません」


 日頃のカヤを思えば、到底想像できない暴挙だが、サヨの情報に嘘偽りは無いだろう。コトリは眉をひそめたまま、一時、思考の海に沈んだ。


 味方だと思っていたカヤが、コトリに敵対するような事をしていたのは、衝撃を受けると同時に悲しくなる。さらには、他にもカヤのように二心がある者が周りにいるのではないかと、不安になってしまうのだ。


 確かに、今のコトリは王女でもなければ、高位の貴族というわけでもない。ないがしろにされるような真似をされても、非難はできないのだ。何しろ、コトリに付くことで得られる事なんて、殆ど無いのだから。


 今、一緒に居るのは、元々アオイやハナの傘下にいた者ばかり。それぞれの派閥で何かしら思うことがあったりして、消去法的に何となくコトリの傍に居るにすぎない。


 確かに、コトリの奏では特別で、それは流民との一件の際にも見せつけることができた。けれど、彼女達に富をもたらしたわけではないのだ。


「サヨ、教えてくれてありがとう。でも、私、カヤ様にも神具を渡したいと思う」

「しかし……! 彼女はあぁ見えて強かなところがありそうです。神具を渡しからといって、完全なる味方になるとは限りません。日頃の人懐こい言動も、計算し尽くした上でのことかもしれませんし」

「それは分かっているわ。だからこそ、よ」


 そもそもカヤは、まだ若く、すぐに嫁入りを考える歳でもない。これまで実家の事を匂わせきた事も無い。そして、奉奏がとりわけ下手というわけでもない。つまり、そこまでして特別な神具を欲する理由が思い当たらないのだ。となると、別の疑惑が浮上してくる。


「私、カヤ様は敢えて泳がせておこうと思うの。本当に神具を必要としている人を炙り出さなくては、第二のカヤ様が現れてしまう」


 サヨは、はっと息を飲んだ。


「確か、これらの神具は、特別な細工がなされているのよね?」

「えぇ。ソウ様の説明書きによると、意図しない方の手に渡ってしまった場合、神具を通して害を与えることができるそうです」


 ソウには、誰に神具を配布するかを伝えているので、それ以外の者が神具を使おうとすると自動的に作動する仕組みになっているのだ。


「そういった危険があることは伏せて、他の人に絶対に触らせないようにとだけ伝えることにしましょう」

「そうですね。カヤ様のご実家、杏子殿については、菖蒲殿からも調べを進めています。父の一存で、既に何らかの圧力も加えられているかもしれません」

「そう」


 コトリは言葉少なに俯いた。自分を姉のように慕ってくれていたカヤの裏切りは、存外堪えている。できることならば、黒幕だとか、別の誰かの悪い思惑など出てきてほしくない。でないと、誰も信用できなくなってしまいそうで。


「元気を出してください」


 サヨは、しゃがむと、椅子に座るコトリを見上げた。冷えた手を握ると、コトリの虚ろな目に自分が映る。


「楽師団は王宮と比べたら、ずっと風通しの良い場所です。しかも、基本的に実力社会です。胸を張りましょう。カナデ様は、それだけの人格と、奏での腕をお持ちなのですから」

「ありがとう」


 近頃のサヨは、ますます気遣いができるようになり、性格も丸くなった気がする。コトリは、優しく微笑む友を眺めた。前よりも、心なしか女らしさのようなものが高まった。元々美しい顔に、大人の色気が加わったのだ。


 これは、サヨが楽師団という新たな場所で、成長した証なのだろうか。ミズキとも、とても仲が良さそうだ。おそらく、コトリとの間柄に匹敵するぐらいに。対する自分はどうだろうか。サヨ程、気の置けない友なんて、他にいない。そう思うと、知らず溜息を漏らしていた。


「それにしても」


 サヨは努めて明るい声を出す。


「社はどうでしたか?」


 コトリは、またサヨを困らせてしまったことに気づいて顔を繕った。


「皆、お元気よ」

「奉奏もできましたか?」

「えぇ、もちろん! カケル様へ届くように、精一杯奏でてきたわ」


 実は、しばらく前に、ようやくソラで新王が立ったことがコトリにも伝わってきたのだ。通常ならば、クレナからは王家が祝いの使節団を出したり、そうでなくとも祝の品を送ったりするのが慣習なのだが、あの王は今のところ何もしていない。


 ならば、せめて自分が何かできないか。そう考えたコトリは、社の本殿の炎を通じて、クレナとソラ中の社に向けて、祝の奏でを届けたのである。


「これだけ大々的に『琴姫の声』を発したならば、新王となったカケル様にもカナデ様のお心遣いが届くにちがいありません」

「ぜひ、そうなることを願っているわ」


 次、カケルに会うことができるのは新年の宴。今から待ち遠しくて仕方がないコトリである。


 その後、コトリの手から「仲間」と思しき者達に神具が配布された。神具というよりも、高級な装飾品のような物に大興奮し、改めてコトリへの忠誠を誓う女達の中には、もちろんカヤの姿もある。


 一方、ハナは、傘下の者達に、正月を祝うための餅や海産物の干物、新たな衣を作るための高級生地などを土産として持たせていた。例年以上の大ぶるまいだったらしく、取り巻き達は色めき立っている。しかし、コトリ達が常に身につけている神具には叶わないと、悔しがる者もいた。


 そして、シェンシャンを弾く手もかじかむようになり、一人、また一人と里へ帰る者達が鳴紡殿を去っていく中、ある日コトリ達の部屋を訪れる者がいた。


 アオイである。


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