第116話 愛国心
コトリの文は、すぐさまヨロズ屋へ届けられた。それを受け取ったソウことカケルは、すぐさま自室にに引き込もり、一向に出てくる気配がない。どうせ、嬉しすぎて悶絶しているのだろう。
ゴスはじめ、クジャクなど店の者達は、呆れ半分、ほほえましさ半分で、そっとしておくことにするのである。もし声をかけようものなら、半日はコトリ賛美の話を聞かされ続けることになるのは請け合い。長く店を空けていた彼には、山積みになっている店主としての仕事を早く片付けてもらわねばならないので、余計な事はしないに限る。
そうして、陽が天辺に差しかかった頃。店番をしていたチヒロは、カケルに用事があってやってきたユカリを出迎えていた。
「すみません」
まずは、未だに引きこもって出てこない事情を説明する。チヒロは、カケルに代わって頭を下げた。
「気にしないで。でも、こうも長いとなると、部屋で神具を作ってるのかもしれないわね」
ユカリにそう言われて思い出すのは、村で赤い特別な石を掘り出し、カケルに渡したことだ。ずっとあんな田舎で守られてきた物が、国を支えるような礎になっていたとは、未だに信じられない。
弟、ミズキはあの石で作った簪を使っているが、カケルの手にかかればどんな神具になるのだろうか。楽しみな一方で、少し恐ろしい気もするチヒロなのである。
その時、店の表に不審な気配を感じた。激しい往来を背景に、中の様子を伺う少女の姿がある。その格好を見るに、おそらくは貴族の部類だった。
「ちょっと見てきます」
チヒロは元々村の顔役をしていただけあって、貴族とやり合うのも多少は経験がある。夫と息子を失くしてもなお、村の男共を取りまとめてきた度胸もある。何より、実はソラの王であるカケルや、クレナの元王女であるユカリと身近に接することで、様々な普通の感覚が消し飛んでしまったことも大きい。
前掛けの皺を伸ばしながら近づいていくと、こちらから声をかけるよりも先に、少女が口を開いた。
「そこの者、ここはヨロズ屋という神具屋であっているかしら?」
「えぇ、そうです」
「こちらでは、神気の色を確認するための神具を扱っていますよね。出しなさい」
チヒロは、その不遜な物言いもさることながら、求められた神具の内容に驚いてしまった。
今、その神具は、サヨとコトリからの依頼を受けて、ラピスやクジャクが日夜、工房で生産を続けている。これは、他の客には漏らしたことのない商品。なぜ、この少女はその存在を知っているのだろうか。
「もしや、楽師団の方ですか?」
「そうよ。よく分かったわね」
少女は若干胸を張る。チヒロは内心溜息をついた。
「おそれながら、お求めの神具は製造方法はもちろん、商品の卸先を含めて、全て、とある御方の管轄に入っておりますので、当店では勝手に他のお客様へお売りすることができないのです」
これまで、組織の中枢人物として様々な人間を関わってきたチヒロだ。この少女からは、「こちら側」の雰囲気が全く伝わってこない。どちらかと言えば、敵対する何かのように感じられる。そんな者に、カケル渾身の発明品を渡せるわけがない。
チヒロの言葉を聞くやいなや、少女は顔を真っ赤にして怒り出した。
「私は、杏子殿の娘、カヤ。貴族であり、楽師でもある私の言うことが聞けないとでも言うの?」
もしかしてサヨや紫のと懇意な者かもしれないと気構えていたが、やはりそんな名前は聞いたこともない。チヒロは、ある意味ほっとして、カヤにはっきりと言い放った。
「どうやら、私共がお仕えしている方は、そちら様よりも格上かと存じます。菖蒲殿と言えば、お分かりになられますでしょうか」
時折、貴族というだけで、横暴な者が見受けられるが、まともに相手しないことが大切だ。そして、身分の高い者程、序列に敏感であり、僻みも抱えていたりする。
チヒロの目論見通り、カヤは一瞬怯んだそぶりを見せたが、その場を離れようとする様子は無かった。
「おかしな事を言うわね。あなたには愛国心と言うものが無いの? あの神具は、楽師であれば誰しも必要な物なの。あれがあれば、奉奏が簡単になる。そうすれば、絶対に国のためになるのよ。それを売り渋るなんて、叛逆の罪で衛士に突き出してあげましょうか?」
案外、肝が座っているばかりか、頭も回る少女のようだ。これでは、チヒロの手に負えないかもしれない。そんな心配を汲み取ったのか、ユカリも奥から現れた。
「あら、物騒なことですこと」
カヤは、新たな女の登場にも怖じけなかった。どうせ身分の低い者だろうと思って、無視を決め込む。しかし、ユカリは困った子を見るような目をして囁くのだ。
「衛士に突き出すのならば、私も一緒にお願いね」
そして、ちらりと衣の袖の下を見せつけるのである。それは、腕輪。紅、白、金、紫の配色と、牡丹をかたどったような豪華な装飾。紛れもなく、クレナ王家に連なる者であることを表す装飾品。
カヤは一気に顔色を悪くして、店の外へ出ていった。
「助けてくださって、ありがとうございます」
チヒロはユカリに頭を下げる。そして顔を上げながら、腕輪に目を遣るのである。
「あの、それは?」
「先日、母が死んだのよ。これは、形見分けということで、元侍女から受け取ったの。早速役に立って良かったわ」
ユカリの母ということは、王の妃の一人ということ。しかし、未だ巷にはそんな噂は欠片も流れてきてはいない。妻が死んだにも関わらず、喪に服すことすらしない王とは、いったい何なのだろうか。先程のカヤの言葉と一緒に、考え込んでしまうのである。
「あの子も卑怯ね」
ユカリは、腕輪が外から見えぬよう、衣の袖の中へ戻しながら話す。
「愛国心だなんて」
心がチクリと傷んだ。チヒロとて、愛国心が無いわけではない。むしろ、ある方かもしれない。このクレナという国は、神に愛された特別な場所。きっと大陸中を見渡しても、こんなに珍しくも尊い国は、他に見受けられないだろう。
しかし、良い王に恵まれていないことは確かだ。それが残念でならないし、腹が立つ。このままでは、国は民を失って滅びてしまうだろう。
「王宮や王家を貶すのは簡単だよ。誰でもできる。でも、それじゃ駄目なんだ」
チヒロは、都に来てからというもの、言葉遣いがややまろやかになっていた。だが、志を語り始めると、やはり元の口調に戻ってしまう。
「他人のせいにしてる限り、絶対に生活は良くならない。だったら、皆で動くしかないんだよ。この国をどうにかしたい。この気持ちこそが、愛国心だと思うんだ。偉い人にへこへこするんじゃなく、ね」
言い終わってから気づく。今隣にいるのは、一応王女なのだ。さすがに言い過ぎたかもしれない。
「大丈夫、怒ってなんかないわ」
ユカリは、言葉通り、気にしていない様子だ。
「私も、その通りだと思ってるの。だからこそ、暁を作り、紫の一員としてここにいる」
「私は、あの子、弟が立ち上げた組織がここまで大きくなって、こんな大きな店とも縁ができて、本当に嬉しい。後は、この頑張りがどうにか報われてほしいな」
「弟って、ミズキ様のことよね?」
チヒロは、驚いてユカリを見つめた。
「あれ、まだ話してなかったんですね。私はミズキの姉なんです。あまり似てませんけど」
「そうだったのね。では、お祝いも言っておかないと」
「祝い?」
「えぇ。さっきサヨ様の配下の方から急ぎの連絡がありましたもの。無事に夫婦となられたようね。って、え?」
チヒロは、今度こそ驚きすぎて、声も出なくなっていた。弟、ミズキは、いつも肝心な事を知らせてこない。婚姻など、人生の一大事だ。何がどうなって、菖蒲殿の娘などという高嶺の花を釣り上げることができたのか、きっちり問いただす必要がある。
けれど実際には、ミズキ自身、不意打ちのような形であった。チヒロがそれを聞いて、さらに目を白黒させるのは、この日の夜のことである。
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