第112話 やっとの告白

 サヨとミズキは見つめ合っていた。結局、元の席に戻って対峙しているのである。


 サヨは、明らかに緊張していた。


「そういえば、お前からも呼び出されていたんだったな。そっちこそ、用件はあるんだろう?」


 ミズキは、確かに、あのまま帰るのは非礼だったかもしれないと思い直し、口調を和らげて尋ねる。すると、サヨは突然こんな事を言い出した。


「ねぇ、教えて欲しいことがあるの」

「何?」

「あなたはどうして……そんなにがんばっているの?」


 馬鹿にされたのか。それとも、貴族の女はこういった素朴な疑問を抱くのが常なのか。ミズキは、そのどちらであれ、サヨが相手ならば答えてやりたいと思ってしまう。特に今日は、特別な格好をしているのだ。昔、村で燻っていた頃ならば、一生手が届かないと思っていた高級な衣を纏い、彼としては最高の女を目の前にしている。ここは真面目に向き合いたいところ。


「そうだな。一言で言えば……」


 ミズキは、サヨの真剣な眼差しを受け止める。


「人として生きるためだ」

「人として?」

「そうだ。獣でもない、人形でもない、人間としてだ。人間には感情があるし、欲望がある。そして、物を言う。知っての通り、俺は貧しい村の出だ。あのまま、死んだように生きて朽ち果てていくのだと思ってた。諦めてた。でも、ハトと出会って、俺は屍から人に戻ったんだ。さらには、お前に出会ってからは男になった」

「いつも女装しているのに?」


 ミズキは苦笑する。さすがに今それを言うのはあんまりだろうと思いつつ、サヨの言葉にも納得してしまう。だからこそ、話しておきたいことがある。


「村ではな、女は働いて、子を産んで、また働いて、死んでいく。男は、働いて、死んでいく。基本的に、それだけの違いしかない。でもな、お前に会ってからは、女は魔性の生き物だと知った。たぶん、女は、人ではない」

「何それ」

「中でもサヨは、特別だ」


 人を馬鹿にしたように目を細めていたサヨだったが、すっと我に返ったように真顔になった。


「特別」

「そう、特別。サヨに出会うまでは、もっと俺はまともだったんだ。暮らしが悪い理由を諦めてはいけない。他人のせいにしてはいけない。言いたい事は言わなければ、変えたいことは変えなければ、何も動かないんだ。未来は自分で切り拓くべきもの。神は、決して助けてくれないのだから、ってな」


 今では、シェンシャンを使って器用に神気を操る奏者が言う事とは思えない。だが、実際ミズキは、神なんていないも同じ世界に住んでいた。


「でも、神っているんだな。こうやって、サヨと会えた。こうやって二人きりになっても、ようやく無闇に警戒されなくなった」

「いえ、警戒はしています」

「でも、初めの頃とは違う」


 ミズキがピシャリと言い放つと、サヨも頷くしかない。最近では、二人でいると安らぎすら覚えることもあるのだから。


「だから、とても嬉しい。一生手が届かない女だと分かっていても、こうして話せるのが嬉しい。分かっているだろうが、初めお前に近づいたのは菖蒲殿の力を狙ってのことだった。でもいつしか、共に過ごせる時間が少しでも増えるようにと必死になっていった。ちょっとでもいいところを見せたくて、シェンシャンもかなり練習した」

「嘘」

「嘘じゃない。嘘なんかついても、誰の得にもなるものか」


 サヨは、かなり動揺した様子で縮こまっている。それがまた可愛らしく、ミズキには思えてならないのである。


「だからな、がんばっていられるのは、サヨのお陰だ」

「私の?」

「そう。だから、ありがとう。きっとこの国は遠からず新しくなる。お前は組織の中枢の女をとして、どこか偉い人にでも嫁いでいくのだろう。それを見送ることになるのだろうなと思うと悔しくて、悔しくて、一生俺の事を忘れさせたくなくて、姫さんに隠れてお前を独り占めしようとしてる。こんな日々も、すぐに終わるのかと思ったら、がんばる気が削がれていくけど、最後までサヨの力にはなるつもりだ。って、あれ?」

「酷いわ」

「え、どうした? なんで、お前、泣いて……」


 サヨが卓を迂回して、ミズキに飛びついてきた。サヨから寄って来るなんて、初めてのことだ。


「なんて酷い人なの。どうして、どうして」


 サヨは、ミズキの上衣を掴んで激しく揺さぶる。


「そんな不味いこと言った覚えはないんだが」

「言ったわ! こんな嘘つき、大嫌い。大嫌いなのに……大好きなのよ」

「サヨ?」

「私のこと好きって言ったのに、どうして簡単に手放そうとするのよ。これだけ私を口説いておきながら、離れるというの? 許さないんだから。絶対、死んでも傍にいてもらうんだから!」


 一度吐き出すと、堰を切ったように溢れ出す感情は、濁流となって渦を巻き、荒くれて止まる様子が無い。


 ずっと葛藤していたのだ。相手は庶民も庶民。しかも国家転覆を図る組織の人間。女装までしている癖に、二人きりになると男としての性をあからさまに表へ出してきて、初心な娘をたぶらかす、ふしだらな男。


 こんな者を好きになってたまるものか。そう言い聞かせて随分と月日が流れた。


 そして、少しずつ国の終焉が見えてきたこの頃。二人の関係の結末を想像するようになる。


 サヨは菖蒲殿の娘だ。貴族の娘は、恋愛は許されても婚姻となれば親の言いなりが普通。今は、父親の利を確保するという建前で好き勝手やっているが、いつ本家の屋敷に引き戻されて身動きがとれなくなるか、分かったものではない。


 そんな折、コトリが流民達に施した奇跡を見た。奇跡なんて、言葉面だけのもので、本当にありえるなんて思いもよらなかった。これが、天啓となった。


 私も、私なりの奇跡を起こしたい。


 サヨもシェンシャンを深く愛し、嗜んできたが、コトリのような域に達することができなかったのは悔しくもある。しかし、ユカリを見ても、イチカを見ても、それぞれが自分の立場なりの奇跡を信じて、一生懸命に生きている。


 そして、ハトからの文が引き金となった。もう、自分の心に嘘はつけない。それならば、これ以上男共の好きにならないようにと、父親、菖蒲殿の当主に決死の覚悟を持った文を書いたのである。


「父上も、あなたのことは認めているわ。紫の中での評判はもちろん、シェンシャンの腕も」

「ご当主が? まさか」

「本当よ。あなた、楽師団の稽古の合間を縫って、紫の屋敷に出入りしているでしょう? 人望の厚さはハト様以上なのよ。それが伝わっているみたいなの」

「それは、ハトが俺を買いかぶってるから」

「理由はどうあれ、これは事実。だって、人が動くのは、金が全てではないもの。やっぱり志や誇り、そういった形の無いものが物を言うの。そういったものを活性化して、紫をここまで大きくさせられたのは、誰にでもできることではない。だからね」


 サヨは、衣の袖で目元を拭った。もっと違う形で様々な事を告白しようと思っていたのに、格好悪くなってしまったのは後悔もある。けれど、いざ言い終えるとすっきりした気分にもなっていた。故に、後は要の一言を伝えるだけである。


「私をあなたの妻になさい」


 ミズキは、目が点になっている。


「媒酌人は、ヨロズ屋の主人にお願いしたわ。力を持った第三者としては最適でしょう? すぐに応じてくださって、父はそれを受け入れた」

「え、でも俺は金なんてないから、結納すらできないし」


 慌てて言い返すも、今となってはサヨの方が落ち着き払っている。


「敢えて言うならば、紫が結納代わりかしら。この組織の存在が、今の父の立場を確固たるものにしているもの。たくさんの貴族が、王に隠れて父に跪いているのよ。国が終われば家の特権も消える。でも、新国への貢献が認められれば、力を失うことはない。たぶん考えている以上に、あなたは菖蒲殿へ多くのものをもたらしているわ」


 もちろん、紫の頂にいるのはコトリだ。しかし、それは象徴的なものにすぎず、組織内で務めを果たす者達の心中としては、やはりミズキが紫の顔なのである。


「これは、夢じゃないよな」


 ミズキは、何度となく瞬きを繰り返しながら呟く。


「夢じゃないわ。目覚めても消えない現実よ」


 サヨは、放心しているミズキをよそに、手を数度大きく叩いた。すると、下女達がやってきて、卓の上に物を並べていく。

 

「これは?」

「儀式の準備よ。あなたは、私の屋敷に三度訪れ、私は三度とも迎え入れた。父の了解も得た。後は、餅を食べさせ合うだけ」


 本来ならば、もっと豪華な器などを使い、見届ける人間も同席する。故に、これは簡易的な儀式となるわけだが、する限りは夫婦を名乗れるようになるのだ。


「こんないきなり、おかしくないか?」

「私はもう、あなたに振り回されっぱなしなのは、たくさんなの。今日の合言葉で全く気づきもしなかったあなたが悪いのよ?」

「合言葉?」

「エゾギクは名前の通り遠く北方由来の花。花言葉は、『恋の勝利』と『私の愛はあなたの愛より深い』」


 サヨは、急に恥ずかしくなったのか、俯いてしまった。

 再び、下女達が退いてしまって二人きりになる。


「ほら、早く」


 ミズキは、片手で餅を少し千切ると、もう片方の手はサヨの細い顎に添えた。親指で、ゆっくりと愛らしい唇をなぞる。


「開けて」


 小さな口に押し込む。指で引っ張ると、餅は白く長く伸びた。それをミズキは自分の口に運ぶ。二つの口が繋がった。


「んん?」


 咀嚼しながら、サヨは苛立ったような声をあげる。行儀が悪いと言いたいのだろう。そんなことは分かっている。ミズキは、二人の間にぶら下がる餅を吸い込みつつ、サヨへ近づいていく。全て、分かった上でやっているのだ。


「美味いなぁ。サヨは、美味い」


 唇をついばまれたサヨは、火照った顔を衣の裾で隠そうとする。ミズキはそれをさりげない仕草で阻むと、サヨを横抱きにした。立ち上がって向かった先は、御簾の向こう。初夜用の大きな寝台佇む別室である。



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