第113話 翌朝の二人

 空が白み始めた頃。僅かに開いた扉から外の冷たい空気と白い光が細長く伸びて、寝台の上の二人を横切っている。


 ミズキはサヨの髪を指で梳きながらまどろんでいたが、サヨが突然起き出した。何をするのかと思えば、腹に巻いていたサラシを解いている。


 これは一種の神具で、巻いていれば女の体は妊娠しない。自らの身体を擬似的に神具化するもので、わりと昔から貴族では用いられている。


 今は、二人にとって大切な時期だ。夫婦の契を交わしたとて、すぐに子を望んでいるわけではないので、当然の事と言える。


「わざわざ翌日が休みの日を狙ってたのか?」


 ミズキが尋ねた。サヨは首を横に振る。この時間帯は少々冷えるはずなのだが、肌を寄せ合っていたからか、寒さは全く感じない。


「たまたまよ。占いで昨日が良いって出たから」


 ミズキは、サヨの答えに片眉を上げただけだった。


 地方遠征明けの楽師団には、しばらくの間、休暇が与えられている。きっと鳴紡殿の皆も、まだゆっくりと休んでいるにちがいない。


「それにしても、姫さんには何と説明してあるんだ?」


 実は、ミズキの正体が紫の幹部であることは知らせてあるものの、男であることは明かしていないはずだった。


「まだ何も」

「そうだな。その方が賢明かもしれない」


 コトリならば、王女時代に培った表情筋をもってして、他の楽師に悟られないようにすることはできるだろう。けれどそれ以上に、これまで少女として振る舞ってきた気恥ずかしさや、これまた隠し事をしていた気まずさが勝っているのだった。


「でも、ハトには話して良いだろう?」

「えぇ、もちろん。でももしかしたら、既にユカリ様経由でご存知かもしれません」


 サヨは、ソウに媒酌人を頼むにあたり、ユカリを仲介していたのだ。ミズキは面白くなさそうに、サヨの顔を睨んでいる。


「でも、あの方はどうするんだ?」


 ミズキがサヨを欲していながら、ずっと本格的に手に入れようとしてこなかったのには理由があった。ずばり、サヨの許婚とも言える、マツリの存在である。


 サヨは、ちらとミズキから目を逸らすと、淡々と述べた。


「全て、ご存知だったわ」

「だった?」

「えぇ。少し前に、サトリ様から父上に文が届いていたの」


 サトリとて王子。武官長としての権力もある。都内で情報を集めるための配下から、既にサヨの動向や紫の事は知れていたらしい。


「さすがに相手があなただとは突き止められなかったようだけれど、誰かいるというのは確信がもたれていたようだわ。元々父上は、王子との縁談をまとめたがっていたけれど、これで御破算になったということよ」

「だから、昨夜も菖蒲殿からの見届人がいなかったのか」

「表向き、他の大切なご用事があって時間を確保できなかったということになっているけれど……やはり思うところがあるのでしょうね」


 大切な娘を王子にやるはずが、蓋を開ければ庶民に嫁がせる事になるなんて、菖蒲殿でなくとも素直に祝われることはないだろう。そう納得はできるものの、ミズキは心中穏やかではなかった。


「ご当主は義父上になる。一度お目通りしたいが、叶うだろうか」

「おそらくは」


 サヨの声は弱々しい。これには、ミズキも堪えるものがある。サヨの半ば強引な導きで夫婦になる事にしたものの、親に祝福されないのは彼女にとっても辛いことは明白。心なしか俯くサヨの横顔に陰りが見えて、ミズキは苦しくなってきた。


「なぁ、サヨ。やはり、後悔してるんじゃないか?」

「どうして?」

「でも」


 サヨは姿勢よく寝台の上に座り直すと、衣を引き寄せて上半身を覆った。


「あのね。私は後悔しないために、あなたを選んだのよ」

「え」

「ねぇ、姫様って、本当にカケル様のことをお慕いしてらっしゃるでしょう? 私、心の奥底では、そんな恋心如きで王女という尊い身分を捨てようとしたり、贅沢な正活を捨ててまでソラへ行きたいと願ったりすることに、どこか違和感を感じていたの。人を好きになるばかりに、そこまでの物を捨てる価値があるの?って」


 ミズキは、静かに聞くことにした。


「でも、今ならば姫様の気持ちが分かるわ。大切な人ができた時、上辺の豊かさなんて無価値に感じてしまう。はじめ、あなたの事も見下していたかもしれない。けれど、一緒に過ごした時間の中で、全てがそういったものを上回ってしまった。そして、必死にカケル様を求め続ける姫様の隣にいたら、私も普通ならば許されないあなたのような人と生きる事を、望むようになってしまって」


 サヨの声が掠れ始める。羞恥もある。不安もある。それ以上に、こんな自分がミズキに受け入れてもらえるのか、心配でたまらなくなる。


「分かった。分かったから、泣くな。な?」


 ミズキはサヨの頭を抱え込み、赤子にするようにして優しく語りかける。


「大丈夫だ。絶対に後悔させないから」

「えぇ、そうしてちょうだい」


 その後は、菖蒲殿当主にマツリから早々と祝の品まで届いていることが知らされた。内容は、護身用と思われる小刀で、おそらく神具。遠からず、紫本部に届けられるということだった。


 それを聞いたミズキは、唇を噛んで無言になる。


 小刀。通常は祝いの品などには選ばない物だ。これは、サヨを奪った自分に差向けられた刃なのか。もしくは、紫に武官長として武の力添えを約束することを暗示しているのか。


 どちらにせよ、相手の名すら分からないのに、わざわざ早くに祝いを贈ってくるなど、尋常ではない。サヨへの深い執着が感じられる。潔く自分から身を引いただけでなく、ミズキに対して格の違いを見せつけているようで。


 元より、サヨの事は大切にするつもりだった。だが、より気を引き締めねばならないと腹を括るミズキなのである。


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