第101話 専属諜報員

 とんでもない奏でをするコトリ。そんな楽師が只者であるはずがない。きっと有力者との繋がりや、何らかの後ろ盾も持っているはず。そうなると、仕事というのも、おそらく口から出任せではないだろう。


 そう踏んだイチカは、静かに口を開いた。


「いいよ。まずは条件とやらを聞こうじゃないか」


 コトリは内密な話になるからと言って、現在空になっている馬車へイチカを誘った。もちろんサヨとミズキはその後をついてくる。


 イチカは、貴族向けの内装にも気負うことなく席に座ると、長い脚を組んでコトリを見据えた。コトリはその向かい側に座して、傍らにあった扇を握る。それで顔の下半分を隠すと、いつもの調子が戻ってきそうだった。これでも緊張しているのである。


「まず、私の立場をお話しておきましょう。私は王立楽師団に在籍してはおりますが、王家、特に王と対立しております」


 イチカは目を丸くした。


「なんだ、あんたも王に親を殺されたのかい?」

「いいえ、また違う理由なのですが、王が原因で私は異国へ売れ飛ばされそうになってしたのは確かです」


 ここでサヨが激しく咳き込んだ。少々喋りすぎてしまったらしい。


「理由はそれぞれなのですが、私達のように王に物申したい者、王を倒したい者はこの国にもたくさんおりまして、その一部は『紫』という組織に集約され、最近は王宮にも勢力を伸ばしつつあります」

「で、あんたはその紫の一員ってことなのか。やるじゃないか! あたしもそれに入れておくれよ」


 なかなか好感触である。コトリは、予想以上に話が上手く運びそうだと思った。


「えぇ。そうしてくださると嬉しいのです。今、必要なのはシェンシャンで奉奏ができる人材。そして、帝国の情報を集められる人材なのです」


 クレナは、長年ほぼ鎖国状態が続いてきた。商人を通じてソラとの取引はあるが、神具や高性能な生活器具の買い入れぐらいのもの。クレナからは少ない農産物をソラへ持ち込むこともあるが、あちらでも同じような物は作られているので、それ程金にはならないのだ。


 つまり、クレナにはソラの向こう側にある帝国圏に詳しい者はいない。他所へ行ってみようという気概のある者も、そう現れないので、本当に他国については疎いのだ。


 その点、イチカは旅芸人として帝国圏で生活したことがある。再びあちらへ戻れば、ごく自然な形で情報を得ることができるだろう。これは今、紫に足りない要素であり、コトリ達にとっては大変価値が高い。


「シェンシャン弾きながら間諜をしろってことかね」

「えぇ。クレナ王は、討ちます。でもそれだけでは終わりません。数年前から王は、帝国と手を組もうとしていますが、おそらく対等には渡りあえていないでしょう。この国が、この土地が帝国軍に蹂躙される日も遠くないと思うのです。そうならないようにするためには、帝国の事を知り、帝国に抵抗する力をつけねばなりません」


 イチカは少し顔を曇らせた。ふと、死んだ座長のことを思い出したのだ。彼もこんな風にして仕事を請け負い、死んでいったのではないだろうか、と。


 同時に、思うのだ。帝国から殺されたということは、彼もまた、帝国と敵対する誰かと手を組んで戦っていたということ。


 そうだ。初めから、彼にはクレナやソラの言葉が通じたのだ。帝国の共通語にも、それらしき訛りがあった。なぜ今まで気づかなかったのだろうか。彼の故郷はきっと――――。


「分かった」


 伏せがちだった瞼をゆっくりと持ち上げる。瞳には、遠くにある篝火の炎が映り込んでいた。


「いいよ。その役目、あたしがやろう」


 座長の仕事を継ごう。座長が誰に仕えていたのかは分からない。下手をすれば、クレナ王の配下だったかもしれない。それでも、この話に乗ることは、きっと弔いになる気がするのだ。


 そして、王を倒して国を守るという大事の一端を担うことができるというのは、興奮するものがある。


 イチカは、狭い馬車の中で腰を浮かせた。


「あっちには、一緒に旅して回ってた仲間が、まだ生きてると思うんだ。必ず、帝国の動きを掴んで、あんたに渡すと約束しよう」


 その後は、香山の関を通る段取りや、ここに出来た新たな村にイチカの家を用意すること、一連の仕事に支払う金子のことなどが、サヨやミズキも交えて話し合われた。


 そして、もう櫓の元へ戻ろうかとなった時、コトリが言うのである。


「ところで、本物の奉奏をできるようにはなりたくありませんか?」


 イチカは、一瞬ムッとしたが、今となってはシェンシャンがただ上手いだけでは、あんな軌跡は起こせないことが理解できている。


「そりゃぁ、なれるに越したことはないだろうよ」

「実は、私もあなたのシェンシャンに興味があるのです。お互い、自分の奏でを教え合うというのはどうでしょう? あなたのシェンシャンにも、きっと長年旅の中で培われた光る業があると思うのです。私はそれを聴いてみたいの」


 これは、コトリがイチカを刺激しないために、低姿勢なことを言い出したのではない。コトリは本当に、王宮や楽師団以外の奏でというものを聴いてみたいと思ったのだ。


 こう言われてしまっては、イチカもまんざらではない様子である。


「いいよ。あたしの奏では帝国圏で揉まれてるから、クレナらしくない。一風変わってることは確かだからね。じゃ、ここは狭いから、外に出て弾こうか。いつもは駄賃も出ないのに弾いたりはしないんだけど、今夜は特別だよ」


 イチカは茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせると、ひらりと馬車から飛び降りた。コトリもそれに続く。サヨとミズキは、改めて地面に敷物を広げた。イチカは躊躇いなくその上に座すと、シェンシャンを構えるのである。


「今夜のお客さんは美女揃い。荒れ地に草生え、土超えて、水も流りゃ川になり、人住める場所は極楽さ。奇跡の祝いに一曲弾こう。祭りの奏で。さぁ、踊れ!」


 そうして始まったのは、コトリの予想を絶する、実に陽気な楽曲だったのである。


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