第102話 奏では自由だ

 その演奏。とても同じ「奏で」という芸であり、同じ「シェンシャン」という楽器を扱っているとは思えなかった。聴く者の体が自然と揺れ動いてしまうような、独特の拍子。低音から高音に至るまで、様々に響かせる。時に胴を叩いて太鼓のような事もするではないか。


 呆気にとられた後、コトリは自らのシェンシャンを身に引き寄せて、すぐさま真似ようとした。イチカのそれは、一人なのに、豪華な舞台の上、多人数で演じている劇のような綺羅びやかさと賑やかさがある。


 そこに行きたい。

 それを知りたい。


 未知の奏でが、コトリに手招きをして、指を絡ませ、くるくると回って踊り始めるのだ。


 元々、シェンシャンに関しては器用なコトリだ。イチカの手元を少し見れば、自らも試して鳴らすことができる。それを見止めたイチカはニヤリとして、また新たな拍子の奏でを繰り出した。コトリも負けじとそれに追いすがる。


 それを何回繰り返しただろうか。


 気づくと、イチカもコトリも汗まみれになり、肩で息をしていた。


「こんなものでいいだろう?」


 イチカはそう言って、やっと弾片を弦から離す。


「えぇ、ありがとうございました」


 コトリは、鳴紡殿を出発して以来、一番の笑顔を見せた。なんとも言えない、心地よい達成感に包まれている。


「自分がいかに狭い世で生きてきたのか、分かったような気がします。大変勉強になりました」


 何せ、クレナでは、複数人の奏者がいる場合、全員が単一の音を弾くのが普通だ。しかし、今しがたイチカとコトリが奏でたのは、片方が旋律を、もう片方が伴奏をという別の役割を持つ形。音の深みや広がり、表現力が格段に増した。


 次に、相手がどんな音を紡ぎ出すか分からない中で、手探りで導き出す奏では刺激的。息を合わせて、共に新たな音を目指し、求め合って上り詰めた時の恍惚とした境地と言えば、例えようのない幸福感に溢れているのだ。


「あたしも楽しかったよ。それに、あんたも相当楽しそうだった。奏でっていうのはさ、自由でいいと思うんだ。きっちり譜面通りやらなくてもいいし、高い楽器を使わなくてもいい。要は、楽しむぞっていう心と、楽しませたいっていう気持ちだよ」


 イチカもかなり満足したようだ。手の甲で額から流れる汗を拭うと、歯を見せて笑った。


「そうですね、私は形式に囚われすぎて、固く凝り固まっていたのかもしれません」

「その通りさ。あんたの事だ。きっと生真面目に豊穣の祈りとか、そういう奏でしかやらないんだろう? 他にも恋愛だとか、いろいろ庶民的なものもやってみなよ。音楽ってのは、万能なんだからね」


 コトリは一瞬きょとんとする。このイチカという女と話していると、目から鱗が剥がれ落ちるようなことばかりだ。


 シェンシャンは神と人を繋ぐもの。儀式的なもの。これまでは、そういった印象が強すぎた。けれど、それだけに留まらないのが音楽だ。


「そうだわ」


 突然、コトリは息を呑む。春の園遊会の楽曲は、自由に選べることを思い出したのだ。イチカから得た、この新たな感覚が役立ちそうな気がしてならない。


「ずっと悩んでいた事さえ、解決しそうな気がしてきます」

「楽師様にそこまで褒められると、芸人としても鼻が高いよ」


 イチカもすっかり機嫌が良くなって、コトリとの間にはサヨが嫉妬する程の穏やかな空気がある。


「それにしても」


 コトリが言い淀んだ。


「何?」

「帝国では、貴方のような方がたくさんいらっしゃるのですか?」


 コトリは、イチカとの合奏が楽しかった反面、どこか不安にもなっていた。自らが唯一自信を持っていたシェンシャンが、他国では通用しないものだと突きつけられたようなものだったからだ。


「まぁね。残念ながら履いて捨てる程いるよ。だけど」


 イチカの雰囲気が変わる。その眼差しは真剣そのものだった。


「あんたみたいに奇跡を起こせる人は、全くいないね。だから、教えておくれよ。本物の奉奏とやらを」


 コトリと同じく、イチカも奏者として貪欲なのだ。コトリは頷くと、胸元に手を差し入れた。出してきたのは、例の神具である。


「それは、鏡かい? 社にありそうな物だね」

「いえ、特別な神具です。イチカ様は、神気というものをご存知ですか?」


 イチカは、ゆるゆると首を振った。コトリは、神気とは何かを語って聞かせることにした。神具の成り立ちに始まり、神の存在のこと、神気の色のことまで。


「なるほど。その神気をシェンシャンの奏でで操っているんだね。で、奇跡の正体も神気の仕業ってことかい。これは、たまげた」


 普通の目には見えないものが漂っていることだけでも奇妙な事なのに、それが人の生活の役に立ったり、恵みになったりするのは、さらに不思議だ。


 イチカは、改めてコトリの持つ神具をしげしげと見る。


「それで、これのお代はいくらなんだい? これさえあれば、あたしでも何とかなるかもしれないんだろう?」

「ちなみに、これは差し上げられません」

「は?」


 イチカは思いっきり眉間にシワを寄せたが、これはコトリも譲れない。せっかくソウから贈られたものなのだ。ほいほいと人にやるわけにはいかない。


「イチカ様には、これと同じ機能を持った量産版の神具を差し上げます。今、準備しているところですから、出来上がり次第お届けできるように手配しておきますね」

「それを聞いて安心したよ」

「その代わり、帝国の情報を集めること、さらに有事には私の下で働くことを約束してください」

「いいよ。その神具があれば、今度こそ奏者として食いっぱぐれない暮らしができそうだからね。それに、王家が気に入らないってところも一緒じゃないか。協力するよ」


 イチカが手を差し出してくる。どうやら手を握り合う流れのようだ。コトリは、帝国の習慣だろうかと思いつつ、自らの手を差し出す。と同時に、実は王女であることを明かすのが少し怖くなるのであった。


 そこへ、とびきり若い声が飛んでくる。


「それ、いいですね!」


 コトリやイチカから、少し距離をとって見守っていたカヤだ。視線は、コトリの手元にある神具に注がれている。


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