第98話 奏での奇跡

 しかし、コトリの決死の情けは、けんもほろろに返されてしまった。


「社、社ってうるせぇな。だいたい、そんなのどこにあるんだよ? 俺達は昼夜問わず彷徨い続けてここにいる。もう、これ以上移動して、探すのすら面倒だ」

「では、今後ずっとここに居座るつもりなのですか?」

「その通り。この辺りは、俺達の村にする。誰にも文句は言わせねぇ」


 コトリはちらりと周囲を見渡した。遠くの方にこんもりと高くなった山がいくつか見えて、その裾には人の手が全く入っていない鬱蒼とした雑木林が広がっている。足元は背丈がバラバラの草がまばらに生えているだけで、地面はひび割れ、乾燥していた。


 作物を育てるならば、水が要る。けれど、川らしきものも、池らしきものも見当たらない。あるのは、時折馬車や牛車、人の引く荷車が通る轍で踏み固められた細い小道だけだ。


 不毛の地。これまで人が住んでいなかったということは、それすなわち、人が住むのに適していなかった場所だということ。


 そこに、この男達は定住すると言うのだ。


「無謀だわ」


 気づいた時には、溜息混じりの本音が漏れていた。けれど、男は気にする風も無い。これだから貴族は、と少し悪態をついただけで、さらに夢を語るのだ。


「俺達は、いろんな村へ行った。でも、どこだって厳しいんだ。だったら、自分達で作るしかないと思ってな」


 男曰く、不法な事をしている自覚はあるらしい。土地の権利や税の取り立てがあることも考えて、今はそれらに対抗するための武器を揃えることから始めていると言う。それには、もちろん金子が必要だ。そこで、通りかかった者達から通行税と称して金子や、売れそうな物を奪っているのだ。


 彼らの言い分は分からなくもない。それでもコトリとて譲れないものがあった。


「それは、あまりに下賤な考え方だわ。奪われたから奪うのでは、何も解決しない」

「言われなくとも、俺達は生まれる前から下賤なんだよ。元々、落ちるところまで落ちちまってんだ」


 男の口はよく回る。簡単に言い負かすことはできなさそうだ。けれど、このままでは、今は事無きを得ようとも、帰り道も襲われることになりかねない。さらに、コトリの性格上、今後も彼らが盗賊紛いのことをするのを見過ごすのは、看過できないことだった。


 こうなってしまえば、切り札を使うしかない。


「ならば、さっきのお砂糖とお金は全て貴方達に与えましょう。そして、特別に、この土地に恵みがもたらされるよう、シェンシャンの奉奏をして差し上げます。ですから、お願い。もう、人を襲うようなことはしないでください」


 楽師団の奉奏は、大変貴重なものだ。何しろ、わざわざ地方や、ソラから請われるようなものなのだから。それ故、まさか男がこんな反応を示すとは、コトリも予想だにしていなかった。


「奉奏? それぐらいなら、できる奴が仲間にいる」


 すると、見計らったかのように、人垣の中から一人の女が現れた。みすぼらしい白基調の貫頭衣を着た者ばかりの中、その女だけは派手な色を纏っている。コトリは、妓女だろうかと訝しんだが、どことなくその道に長けた風はしない。しかし、その緑の長い髪は都でも目を引きそうな華やかさがあり、猫のような若干の釣り目は、本人の気の強さを表しているようである。


「こいつはイチカと言ってな、クレナだけじゃなく、大陸の東方を廻ってる旅芸人の一人だ。シェンシャンだけじゃなく、歌や踊りもいける」


 男は得意げに話したが、コトリはつまらなさそうに少し目を伏せただけだった。


「ただ、シェンシャンが弾けるだけならば、お話になりません。それは、奉奏ではありませんから」


 かつては、コトリも男と同じ認識だった。シェンシャンは、それなりに上手ければ、それすなわち奉奏となりうる、と。しかし楽師団に入り、神気が見えるようになった今、その歴然とした違いが理解できていた。それを説明したいコトリだが、果たして目の前の荒くれ者には通じるだろうか。


 その時、イチカという女がニヤリとすると、まとめ役の男の肩に手を置いた。


「ここまで言われちゃ、あたしも聞き捨てならないね。ねぇ、あんた。こうなったら、試しに一曲弾いてもらおうじゃないか。いいだろう? お高く止まってるだけのお姫様方には、現実ってものを見てもらったらいいよ」

「そうだな。どうせ、イチカより上手い弾き手はいないってことがはっきりするだけだろうが、聞くぐらい聞いてやらないことはない」


 イチカも自分の腕に相当の自信があるようだが、男も男とて、かなりイチカに入れ込んでいる。そして彼らは、はなからコトリの奏でにケチをつける気満々のようだ。


 これは、コトリの闘志に火をつけてしまった。


「受け入れてくださって、ありがとうございます。それでは一曲」


 コトリが馬車の方を振り向くと、ミズキがどこからか敷物を引っ張り出してきて地面に広げているところだった。サヨはコトリのシェンシャンを手に、こちらへ近づいてくる。二人とも、コトリ以上にやる気のようだ。


 コトリは、敷物の上に座ってシェンシャンを構えた。背後からは、楽師達の好奇と不安の入り混じった視線が注がれている。実質的に、彼女達の命運はコトリに握られている状態だ。誰もが固唾をのんで見守る中、コトリは精神統一して弾片を手にとった。


『無茶をやりおる』


 コトリは、はっとして目を見開いた。


 耳からではなく、頭の中に直接届いたのだ。母親のような慈しみと、そこはかとない色気を兼ね備えた不思議な声。


 周囲を見渡しても、誰もそれに気づいた様子は無い。空耳だろうかと思いつつ、コトリは集中して演奏を始めることにした。


 曲は「実りの調べ」。

 あの試験の日のような暴走が起きても構わない。コトリは丁寧に一音、一音を紡いでいく。


 神の声によって、何も無い枯れた大地へ、人が生きられるだけの恵みをもたらすべく、ひたすら祈りを捧げるのだ。


 音の広がりと共に、コトリを中心にふわりと芳しい花のような香りが広がったかと思うと、突然空が夕暮れになった。辺りは暗く、地面だけが淡く紫に光っている。地震とまでは行かぬが、微かな揺れと耳では捉えきれない低い轟が始まった。突然の天変地異の兆しに、人々は慌てるよりも先に唖然とする。


 信じられないことが、起こっているのだ。


 コトリは四方八方の彼方から、あらゆる色の神気を導き出して、雨のように周囲へ降らせた。理を超えて無から有へ繋がる奇跡のうねり。


 これだけの人が集まっているというのに、静まり返った空間の中、シェンシャンの音だけがやけに大きく響いている。


 次第に夜が明けるようにして、少しずつ昼の空気が戻ってきた。


 曲が終わる。

 コトリは、うやうやしく頭を下げた。


 それから、どれだけの時間が流れただろうか。人々は、驚きと怖れで硬直したまま。そこへ、子供の甲高い声がした。


「水だ!」


 皆一斉に、声のする方を向く。


「本当だ。水がある!」


 子供が一人、また一人と、足をもつれさせながら駆けていった。


 そこにあったのは、大きな泉。先程までは、なんの変哲もない茶褐色の地面だった。なのに今は、こぽこぽと湧き出て池を形作り、低い方に向かって流れる川ができかかっている。


 さらに、泉から北側には、見るからに畑に向いた焦げ茶の柔らかな土が広がっていた。その脇には、果実をつけた木まで並んでいる。


 一人が、口をあんぐり開けたまま、膝をついた。一人は、握っていた武器代わりの木の棒を手放した。一人は、両手で顔を覆って静かに泣いた。


 そこには、ずっと喉から手が出る程欲しかった、人里となり得る風景がある。


「これは……琴姫だ」

「琴姫様だ」

「琴姫様が授けてくださったんだ」


 流民達の間に、ささやき声が小波のように広がっていく。それは徐々に大きくなっていった。


「琴姫様!」

「琴姫様、万歳!」


 喜び弾けて、大騒ぎ。流民達の興奮は、夜になるまで続いたのだった。


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