第99話 それぞれの反省

 こうしてコトリは、クレナ国に古くから伝わる琴姫の再来として受け入れられ、すっかり流民達の心を掌握してしまったのだった。


 畑が作れる。水があるならば、水田も、住処も作ることができる。近くには森もあるので、これまで通り狩猟も行える。


 つまり、食っていける目処が立つ。


 となると、すっかり流民達は有頂天になり、自然とその場は祭りへとなだれ込んでいくことになる。


 都人からすると、かなり奇異な踊りをする者達が、わらわらと現れた。物と物をかち合わせて太鼓のように鳴らし、拍子をとる。決して美しいとは言えぬが、混沌とした魂に響く和音が響き始めた。


 そんな中、コトリと馬車を同じくしていた者達は、コトリの仲間と認識され、急誂えの櫓の前に敷物が広げられ、そこへ案内された。もちろん中央に座すのはコトリである。そして、流民らが持つ数少ない食糧と、コトリの演奏で突然現れた木から採れた果物がふるまわれたのであった。


「これぐらいしかねぇんだ。礼には足りないことは分かっているが、勘弁してくれ」


 まとめ役の男はそう言い残すと、いったんコトリ達から離れていった。


 ようやくコトリは、そっと肩の緊張を抜く。遠くには、暗くなってきた空の下、薄明かりの中で泉が水を吐き出し続けているのが見えた。


 綱渡りもいいところだった。


 何とか切り抜けねばならない。再びカケルと見えるために、生きるために、流民にこれ以上の横暴をさせないために、と力んでいた。結果こそ良かったが、もし奏でによる奇跡が起こせなかったら、今頃どうなっていたかと思うと、背筋が凍る思いなのである。


 コトリは、傍らに置くシェンシャンに目をやった。ソウが修理してくれたもの。アマネやククリ曰く、これにはルリ神が降りているらしい、特別な楽器だ。きっと、これがコトリを守ってくれたのだろう。あの時聞こえた不思議な声も、このシェンシャンが発したもののような気がしていた。


「危ないところでしたが、本当にご立派でした」


 ふと横を見ると、サヨが重々しく頷いていた。


「これだけのことがあれば、彼らもカナデ様のことを信頼されますでしょう。ですが」


 サヨはカナデの耳元に近づく。


「父の指示で、菖蒲殿から護衛がついてきていたはずでした。カナデ様も私も、その対象です。なのに、全く役には立ちませんでした」


 菖蒲殿は、夏に当主がコトリと会って以降、これまでよりも多くの支援をサヨを通じて行うようになっていた。それは、ミズキ達への食糧や都内の活動の手助け、人脈の紹介だけでなく、コトリの護衛も増強されていたのである。


 コトリは、やはりそうだったのかと思いつつ、小さく首を横に振る。


「サヨ、そんなに気を病まないで。いつも私を守ってくれてありがとう。でも、この事は他の方に知られるわけにはいかない。そうでしょう? そういった事情が護衛の方も分かっているからこそ、なかなか手出しができなかったのよ」


 確かにそれもあるのだが、実際は流民の数が多すぎて、護衛の人数だけでは簡単に捌ききることができなかったのである。

 サヨは俯きがちなまま、決意を語った。


「今後はこのような事が無きよう、対策しますね」

「ありがとう」

「必ずや、傷一つないお身体で、カケル様の元へお届けせねばと思ってます」


 一方、ミズキは、相変わらずの猫被り様で少女を演じきっていたが、心中穏やかではない。いざとなれば、馬車にサヨとコトリを無理やり押し込んで、自分は御者台に乗り、その場を強硬突破するつもりだった。つまり、それぐらいしか策が思いつかないぐらい、危機に瀕していたと言える。


 もし、あのままコトリが襲われて、サヨまで流民の手に渡っていたならば――――。考えるだけで、怒りのあまり気が狂いそうになる。


 こんな時、あのソラの王子、カケルならばどうするであろうか。カケルは神具師だ。話によると、この手の職人たちは身近な素材、木簡の端切れや、枯れ落ちた葉であっても、それを神具に変えてしまうと言う。それらは、槍や剣にも並ぶ武器にもなるらしい。


 きっと同じ場面に立ったとしても、鮮やかな立ち回りをして、華麗にコトリを救うことができるのだろう。


 ミズキは腹がチリチリと痛むのを感じた。これは嫉妬か。いや、焦りであり、自らへの怒りだ。このまま自分を変えられなければ、今回の失敗を失敗で終わらせてしまうことになる。さすれば、次は失敗ではなく、誰かの死を招く。


 人の命を預かる話と言えば、紫となる前の組織も、長年ハトに主導権を投げ渡していた。自らはシェンシャンの練習に打ち込むのみ。思えば、無責任な事をしていたものである。


 だが、無事に入団を果たし、神気を操るという技について学ぶことはできた。コトリやサヨを通じて、神気を見る道具を入手する目処も立っている。ここまでくれば、ミズキ以外の者がシェンシャンの奏でを学び、奉奏ができる人数を増やしていく段階に入る。


 つまり、ミズキの今の仕事は、既に終わっているのだ。


 では楽師団を離れるのか。いや、できない。


 サヨが、いる。


 あの、どこか抜けていて、常に一生懸命で、真面目で、いじらしく、清純な女の側にいたい。支えてやりたい。他の誰にもやりたくない。


 サヨとの取引も、実質的には終わっている。菖蒲殿当主がコトリに肩入れした時点で、ミズキがわざわざサヨを口説き落とす理由は無くなってしまった。その事に、サヨは気づいているのだろうか。いつまで、ミズキに囚われてくれるのだろうか。


 不安が不安を呼んで、張りぼての自信が崩れそうになる。


 あの日、サヨがミズキに初めて取引を持ちかけてきた日から、まるで洗脳をするかのように、自らの存在を刷り込み続けてきた。あくまで、自らの気持ちは伝えない。あくまで客観的事実を述べるのように、サヨは自分のものなのだと囁やき続けた日々。

 

 けれど、いつまでも騙されてくれるとは限らないのだ。


 できれば、サヨの前では強い人間でありたい。彼女を守れる男でありたい。


 となれば、今のままではいけない。後は行動あるのみ、である。


 ミズキは、篝火でぼんやり赤くなった星空を見上げて、決意した。


「ガラではないが、あいつに頭を下げてみるのも致し方無し……か」


 それからしばらく経った。コトリ達以外の楽師は、未だに流民達が恐ろしいのか、ほとんど馬車から出てきていない。今夜はこのまま寝ずに夜を明かすことになりそうだ。


 そこへ、流民達の中からシェンシャンを持った例の女が近寄ってきた。堂々とした足取りで辿り着いたのは、コトリの目の前である。


「琴姫さん、だったっけ? さっきはよくもやってくれたね」


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