第97話 琴姫からの提案

 コトリは、群がる流民達へ向かって一歩踏み出した。


「私が貴方達にして教えて差し上げられるのは、二つ」


 コトリは、酷く痩せこけた老若男女の顔をゆっくりと見回す。


「まずは、社へ身を寄せてください。今、都の周辺の村々では、緊急時用の蔵が用意されています」


 これは、サトリが王に隠れて密かに進めていたことだった。米やヒエはもちろんのこと、日持ちするように加工された食べ物が、風通しの良い高床式の倉庫へ収められている。


 元々、日照りや干ばつの際の食糧危機に備えられていたものだが、王の悪政の余波による困窮も、ある意味災害である。被害を受けて各地を彷徨う流民に分けてやっても、罰は当たるまい。


 蔵のある社には、紫と縁のある者達が控えていて、社と蔵を守っている。ソラ由来の神具を持っている手練ばかりなので、命惜しくば強奪などしないことだと、コトリは強く念を押した。


「そして、住む場所と、今後の身の振り方についてですね。これも社で解決します」


 すぐに、神職になる気はないだとかの反発の声が届いたが、コトリは全く動じなかった。


「確かに、形式状は社預かりの身となっていただきます。ですが、祈祷の仕方を覚えたり、修行することを強いるつもりはありません」


 流民達は、戸籍や土地を持たない、もしくは捨てた者達だ。普通であれば、どこかの村に見を落ち着かせるとなれば、そこで新たに土地を得て、また税を納める義務を負うこととなる。それ以前に、土地から逃げた罰を与えられたり、新たな村に受け入れられなかったりするだろう。しこれでは、彼らの生活は変わらず苦しいままで、意味が無い。


 一方、社は直接的に王家からの支配を受けない、ある種、治外法権的な位置づけだ。それを上手く利用すれば、流民達は王家からの制裁や追手に悩まされることなく、堂々と生きることができる。


 この国では、慣例的に、軽い罪を犯した者が罰の一環で社に送られたり、一人で生きていけなくなった寡婦が社に身を寄せたりすることが多く、それが大規模になったものと思えば問題はない。という見解なのだ。


 この案もサトリから出されたもので、彼はコトリの元侍女ヤエの伝手を使って社と話をつけ、ユカリとの話合いの中で、紫もこれに一枚噛むことになっていた。


 今のコトリ達にとって流民という存在は、危険でありながら、自分達の強い味方に化ける可能性をもった貴重な人材でもある。コトリ達の導きによって、何とか食わせるようにしてやり、ついでに社への献身を強めてくれれば、本格的にクレナ王と対立した際の対抗札となるだろう。


「じゃぁ、何をやらせようって言うんだい? どうせタダじゃ置いてくれないんだろう?」


 まとめ役の男が吠えた。コトリは、それに薄く笑って応じる。


「えぇ。まずは貴方達が住む場所を自分達で作っていただきます」

「それは元からそのつもりだった」

「それはよろしゅうございました。後は、村や社を守るための砦作りや工事に参加してもらいます」


 今はまだ、こそこそと流民を社へ取り込むことができようが、王に嗅ぎつけられるのも時間の問題。となると、自衛する必要が出てくるのである。


 また、氾濫しやすい河川の堤防を増強したり、橋や道の整備、闇雲に活動している盗賊紛いの取締りなども急務だ。


 既に、近頃急増している紫の仲間や、志を同じくする村々の若い衆が、各地の社に張り付いているものの、まだ人数は十分だとは言えない。だからこそ流民には、王家のためではなく、流民自身のために働かせたいのである。


 労働の対価は、各地でのさばっていた小役人達から押収した米を始めとする食糧となる予定だ。彼ら地方の役人は、王家へ納めるための税の多くを横抜きしていたが、今は菖蒲殿を中心とする文官の活躍もあり、またマツリが気紛れに寄越した一部の武官の手により取り押さえられている。


「このように、王宮でも王の施政に疑問を抱き、改善すべく動いている者達がいるのです。貴方達には、その一端を担っていただきたいですし、これらがもっと大きな動きとなれば、確実に生活は良くなります」


 コトリの朗々と紡がれる耳心地の良い声は、辺りへ静かに響いていった。残念ながら、説明の内容自体は、流民を束ねる中心となっている男達にしか伝わっていないようである。しかしながら、コトリが醸し出すただならぬ気配には、皆が魅了されているように見えた。


 だが、それだけのことで「はい、そうですか」と言わないのが流民である。


「でもな、楽師の姉さん」


 まとめ役の男が、小馬鹿にしたように鼻で笑う。


「口が上手い奴の話には、必ずどこかに裏がある」


 これまで彼らは、人に、時流に裏切られ、限りなく死に近い底辺を知る者達だ。そう簡単には貴族風のコトリの言葉を信頼することはできないのである。


「だいたい、王宮がどうとか、文官長がどうとか、あんたみたいな若い女がどうやってそんなお偉いさんと話できたんだ?」


 それを言われると、コトリとてぐうの音も出ない。王女だから、という理由を正直に話すわけにもいかないのが、歯痒くて仕方がなかった。


「それに、社預かりの身ともなれば聞こえは良いが、要するにまた奴隷みたいになるんだろう? 王家に飼われるか、それが社になるかの違いだけだ」

「奴隷なんて、そんなこと!」


 コトリは、帝国にいるという奴隷という階級について思いを馳せた。彼らには、何の権利も与えられていない。生きることに疲れても、勝手に死ぬことすら許されぬという。人でありながら、限りなく道具に近い扱いを受けるのだ。これは、コトリが帝国を毛嫌いしている理由の一つにもなっている。


「そんな扱い、断じて私が許しません。そうだわ……社へ行ったら、こう伝えてください。『赤髪の琴姫に会った』と」


 琴姫は、夏の間、スバルとヤエからさんざんからかわれて呼ばれていた名。その後、紫の間でもコトリの通り名となっているらしい。元々、初代クレナ王を意味する呼称である。そんな恐れ多いものを自ら名乗るのは、かなり憚られることだが、今ばかりは仕方がないと割り切ったのであった。


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