第96話 暴徒化する流民
流民達の数は多い。楽士団を守る衛士達は、すぐに己の不利を悟って逃げ出してしまった。残るは、か弱い旅装の女達だけである。
コトリ達から離れた辺りで、数人の悲痛な叫び声が聞こえた。馬車から一部の楽師達が引きずり降ろされたようなのだ。直後、何やら言い争いが始まる。
「何か交渉しているのかしら?」
「たくましい方もいらっしゃるものね」
コトリ達は囁き声で語り合う。
どうにか、流民達に楽師を襲わないよう説得してもらえないだろうか。もしくは、誰か助けに来てもらえないだろうか。
しかし、そんな願いは打ち砕かれた。
「この馬車か?」
「そうよ、この中に良いのがいるわ。勝手に、連れていきなさい。その代わり、他は手出ししないこと。いいわね?」
乱暴に御簾が引きちぎられる。馬車が少し傾いた。馬も怯えているのか、たたらを踏んで不安定になっている。コトリ達は身を寄せ合って震えていた。
いかにも悪事に手を染める事を生業としていそうな凶相の男達が、舐めるように女達を眺めて値踏みする。その傍らにいたのは、ハナの傘下にいる楽師だ。常日頃からコトリ達を酷く敵対視している女である。今、まさに、仲間を売ろうとしているところだった。
「あの子がいいと思うわ。あの、赤髪の子。珍しい色だから高く売れるわよ」
指を差されたコトリは、一瞬意味が分からなかった。クレナにおいて、人の売り買いは禁止されている。その隣で、サヨは鬼の形相となっていた。
「この御方が誰だと思って……!」
放っておけば、正体は王女だと明かしかねない。そう思ったコトリは、サヨの手を掴んで目配せをした。
コトリもこういった手合いには不慣れだが、完全に初めてというわけではない。以前、都の端でシェンシャンの演奏を披露した際も、貧しい民から泥を投げられたことがあったのだ。こういう時は、怯んだ方が隙を見せてしまう。なるべく冷静になろうと気合を入れた。
それに何より、こんなところで身売りするわけにはいかないのだ。コトリは、カケルの姿、その声を頭の中で必死で呼び起こしては、息を深く吸う。彼に求められた通り、彼の元へ行くまでは絶対に誰かのものにはなりたくなかった。
「そこの者、私と話をしたいのね。特別に聞いて差し上げましょう」
コトリは、敢えて余裕の笑みを浮かべてみる。
「サヨ、赤の巾着と黒の巾着の中身を器に入れてお出しして」
ここは、王女時代に培った立ち振る舞いや風格を武器に、毅然とした態度で相手を圧倒すべきなのだ。こういう小物は、案外そういうものに弱い。
サヨは戸惑っていたが、すぐに言われた通りの物を用意した。朱塗りの器二つにそれらを入れて、コトリへ手渡す。コトリは馬車から外へ出た。
「まとめ役は貴方かしら? さ、欲しい方を選びなさい」
「ふざけるな!」
男の一人が、コトリの手にあった物を叩き落とす。ただの菓子だと勘違いしたのだ。中にあったもの――――銭と黒糖の塊は、無残にも土の上へ散らばった。
「お前はこれから輪姦されて売られるんだよ」
「お貴族様は命乞いもできねぇのか」
「そんな誤魔化しには乗らないぞ。せいぜい、ぴーぴー泣きやがれ」
コトリは眉をひそめて、盛大に溜息をつく。
「あら、せっかくどちらかを差し上げようかと思っていたのに」
何か物を買いたいのであれば銭を、すぐにも食べる物に困っているのであれば、菓子でもあり薬ともされている黒糖を分けてやろうと思っていたのだ。何も、王家の定めた律令に反して、人買いに落ちることはないだろうと、コトリなりに配慮したのである。
けれど、そんな心配りが通じる相手ではなかった。
ついに、一人がコトリへ覆いかぶさろうとする。コトリは、もはやこれまでかと諦めて強く目を閉じた。その時。
「何だこれは?!」
気づくと、目の前にいたはずの男は、熱い、痛いと喚きながら地面の上をのたうち回っているではないか。体には黒い紐が何重にも巻き付いていて、煤けた臭いが立ち昇っている。どこか既視感のある光景だ。
コトリは、自らの腕につけてあった神具を見下ろした。先日ラピスから受け取って、その場でつけさせられたもの。ほんのりと熱を帯びている。どうやら、これがコトリから危険を遠ざけてくれたらしい。
そういえば、ヨロズ屋はソラと関係の深い店である。ソラのカケル王子が使っていたのと同じ神具を取り扱っていてもおかしくはない。コトリは、なぜかカケルに守られたような気持ちになって、急に元気が湧いてきた。
そして、窮地を抜け出す策を思いつくのである。
コトリは、重々しく言い放った。
「私達に指一本でも触れてみなさい。皆、こうなってしまうわよ?」
この神具を持っているのはコトリ一人。つまり、完全なるハッタリなのだが、流民達には相当な衝撃を与えていたらしく、低いどよめきが広がっていった。
コトリは確かな手応えを感じていた。このまま、楽士団の一行から手を引いてもらうのを待つのも一手である。しかし、また別の旅人や商人が彼らに狙われてしまっては後味が悪い。そこで、まとめ役らしき男へ向き直った。
「それで、貴方達はどうして私達を襲ったの? とても困っているのでしょう?」
視界の端では、流民の子供達が必死に落ちていた銭と黒糖を拾い上げている。
「もういい。こっちの気が変わらないうちに早く行っちまえ」
男は、視線を反らして吐き捨てるように言った。本当は、不気味な武器を持っている楽師が恐ろしく、自らの命が惜しくて怯えているのは見え見えなのだが、流民にも挟持のようなものがあるのかもしれない。コトリは小さく笑うと、言い返す。
「そうなの? せっかく良い情報を教えてあげようと思ったのに」
男は既に背中を向けていたが、ぴたりと足が止まる。
「人の好意を無碍にするのは失礼になるよな」
コトリは、ふと、先日顔合わせしたミズキの仲間の一人、ハトと同じ匂いを感じてしまった。もしかすると、この男も元貴族なのかもしれない。
「その通りよ。では、よく聞きなさい」
そこからコトリが語り始めたのは、流民達にとって目から鱗な話であった。
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