第10話 サヨの決意

 サヨは、自分が用意した粗末な衣を纏う主を前に、決意を新たにしていた。


 ――――姫様を守るのは、私だ。


 コトリは実の母親が庶民の出であるからか、一般的な王女よりも手がかからぬ主である。着替えや化粧といった身支度も、一通り自分でこなす。高価な装飾品ばかりを買い漁るといった金遣いの荒さも無い。何より偉ぶったところが無いばかりか、王宮では周囲の侍女達への気配りも行き届いていた。


 それ故、コトリを慕う者は多い。コトリが王宮を去ると知れ渡った際は、皆で隠れて嘆いたものだ。


 美しいシェンシャンの演奏を聞かせてもらえる、美味い菓子を下げ渡してくれる、帰省のための金子を援助して土産を持たせてくれるといったことだけではない。母を失っても気丈に生きる愛らしい姫。何事にも真面目で一生懸命に向き合うコトリは、関わる者全てに元気と活力を与えてくれた。


 本人は、父親である王の機嫌を損ねないための立ち回りなのだと言うが、王女たる振る舞いを必死に身に着けて実践しようとするコトリは、間違いなく努力の人である。


 さらに、クレナ王家の血が濃く出た紅の艷やかな髪と、雪のように白い滑らかな肌を持つ。稀代の美女だったと伝わる初代王クレナの特徴と、ぴったり重なる容姿だ。若干年齢よりも幼く見られることもあるが、正統派の美少女である。


 そんなコトリに笑顔を向けられたのならば、コロッと心が傾いてしまう者が多いのも無理はない。庇護欲などといった言葉では到底表現しきれない温かな心持ちで、皆が慈しんでいた。


 そんなコトリが楽師になる。


 これに伴い、コトリの周囲の侍女達は他の王族付きになるか、里に下がることになってしまった。王女という身分を捨てるコトリには、ついていくことができないのだ。


 サヨも、当初は悩んでいた。実家に相談すれば、兼ねてから打診のあった縁談を受けることになってしまう。高位貴族のため、無理をすれば今後もコトリに会うことは叶うだろうが、これまでのようにいかないのは確かだ。

 そこで、強硬手段に出ることにした。


 時間を少し遡る。

 入団試験当日の早朝、サヨは王宮内の武道場にいた。


「珍しいな」


 そこで汗を流していたのは、マツリという王族の男だ。コトリから見て、上から二番目の兄にあたる。言葉とは裏腹に、マツリに驚いた様子はほとんど無い。


「ご挨拶とお願いがあって参りました」


 サヨは、筋骨隆々で長身の相手を静かに見上げた。上半身は何も纏わず、腹にはサラシを巻き、動きやすい足元をすぼめた下衣を身に着けている。手には鉾があった。陽も昇らぬうちから、このような無骨な格好をしているが、下級衛士などではない。紛うことなく彼こそが、全ての武官を統べる武官長だ。

 それと同時に、サヨの婚約者的立ち位置の人物でもあった。


 高位貴族のサヨの実家は、王家と縁戚関係になることを目論んで、随分前から密かに二人を引き合わせることを繰り返していたのである。未だ他家からの縁談も舞い込み続けている中、両親が最終決定を下していないため、婚約は正式なものではない。だが当人達は、ほとんどそういう関係であると認識している。


 一方で、二人の間柄が色濃い沙汰に発展にする気配は全く無かった。それでも言葉を交わす機会が増えれば、自ずと互いの性格や信条は知れてくるものである。


 例えば、マツリは季節の挨拶や機嫌伺いなどといった前置きを好まない。それを知るサヨは、早速用件を伝えることにした。


「この度私は、コトリ様について行くため、王宮を去ることになりました。あの件は、まだお待ちいただけますでしょうか」

「こちらもその方が都合が良い。正直、今はそれどころではない」


 もちろん、正式な婚約の件だ。互いに仕事人間である二人にとって、仮にでも婚約者を持つことは、他の見合いや社交から逃げる格好の傘にもなっている。


「いろいろときな臭くなってきたからな」

「ソラ国とのことですね」


 サヨも、独自ルートで王の動きをある程度把握していた。商人を装った帝国の使いとの会合を重ねているらしい。ソラ国へ密偵を放っているという噂もある。直近では、王が大陸の地図のソラ国部分を紅に塗りつぶし、自室に飾ったという話も上がっていた。

 遠からずソラ国との国交も無くなるのではないかと杞憂していたところである。


 しかし、マツリの反応はサヨの予想外であった。


「いや、帝国だ」


 見ると、マツリの鉾の柄には、血なまぐさい武器には不似合いな布が巻かれていた。その視線に気づいたマツリは、解いてみせる。


「美しいだろう?」

「えぇ、とても」


 女が小物を包んで運ぶ時に重宝しそうな大きさで、様々な幾何学模様と花々の柄がぎっしりと描かれている。つまり、武人のマツリが持つと、滑稽に見える品だ。


「一種の神具だ。鉾に巻くことで耐久性が増し、少し重さが軽くなるわりに、敵に与える威力は大きくなる」


 サヨには、初耳だった。


「ソラ国から秘密裏に輸入した。王とワタリには黙っておいてくれ。サトリにも迷惑がかかる」


 サヨは黙って頷いた。マツリは、武に関する話になると饒舌になるのだ。


「帝国には珍しい金属があり、武器やその加工技術も我が国とは比べ物にならぬ程進化している。同じようなものを目指せば、クレナでも作れるかもしれんが、かなりの時間を要するだろう」

「今のクレナ国では、帝国と真っ向から対決することなど自殺行為でしょうね」

「されとて、何もせずに指を加えて滅ぶのを待つのも馬鹿らしい」


 武官長らしい発言だとサヨは思った。だが、それよりも確認せねばならないことがある。


「あの、なぜ帝国と、とお思いに?」


 マツリは、暫く押し黙った後、こう答えた。


「勘だ」

「勘……にございますか。では、ソラ国とはどうなさるおつもりで?」

「そもそも、売られてもいない喧嘩を買う程、今の我が国に軍事的余裕は無い。近頃は、地方の災害が相次いでいる。援助隊を派遣するだけでも手が足りぬというのに」


 何かを思い出したのか、マツリの機嫌が明らかに悪くなる。サヨは、それ以上尋ねることができなかった。


 ともかく、マツリが自分との婚約者的関係を崩すつもりが無いことが分かったので、両親への面目もある程度立つ算段がついた。


 その上、ソラ国を積極的に攻めるつもりも無さそうなので、今のところマツリがコトリの敵ではないことも確認できた。

 期待以上の成果だ。


 サヨとしては、コトリの障害となるものは、できるだけ把握して取り除きたいと考えている。これは、コトリと泣く泣く離れることとなった、かつての同僚侍女達からの願いでもある。


 サヨの前に佇むコトリは、合格の喜びと今後の楽師としての生活への期待を胸に、興奮を隠せないでいた。この笑顔を決して失いたくはない。


 きっと入団してからも、様々なことが起きるだろう。王からの密偵も潜んでいるかもしれない。過去を知らなければ、何もかも恵まれた様子のコトリに、嫉妬が集まるかもしれない。


 だが、サヨはずっとコトリの一番の侍女として、友として、ここまで歩んできたのだ。誰よりも多くの時間をコトリと過ごしてきた。本人よりもコトリのことを知っているかもしれない。

 そして、それはコトリにとってのサヨも、そうなのである。


 だからこそ、サヨはコトリを幸せにしたい。

 きっと、サヨだけに成せることにちがいない。


 王宮という鳥籠から放たれた小鳥が本当の自由を手にするまで、サヨの戦いは続くことになるだろう。


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