第9話 合否

 三日間は飛ぶように過ぎた。世間慣れしていないコトリは、サヨと事前に相談していた通り宿から出ず、ただ部屋の窓から通りを眺めて過ごした。


 王宮近くのそこは、実に様々な物、者が往来する。それまで人伝の話でしか知らなかった民衆の暮らしを朝から晩まで観察し続けた。


 宿には少し多めの金を握らせているため、三度の飯は一階の食堂ではなく、部屋まで運んできてもらえる。王宮での食事よりもずっと品数は少ないが、温かで素朴な味にコトリは満足した。


 女将は、田舎者がわざわざ都へやって来た様子なのに、全く出歩こうとしないコトリを珍しがったが、常にシェンシャンを大事そうに抱えていることから試験のことを察して、そっとしておいてくれた。


 唯一不満があるとすれば、シェンシャンが弾けなかったことだ。宿の壁の薄さを考えたこともあるが、試験の際の二の舞になりたくなかったのである。


 ついに、合否の結果が出る頃合いとなった。

 コトリは、朝餉を済ませるとシェンシャンだけを抱えて宿の外へ出る。


「受からなくても、気を落とすんじゃないよ!」


 背後からかけられた威勢の良い女将の声に、コトリは思わず破顔する。試験を受ける前よりも緊張しているのは確かだ。けれど、見に行かないわけにもいくまい。


 通りは既に混み合っていた。楽師団の殿へ近づいていくにつれ、人の数はさらに増えていく。決して高いとは言えない背格好のコトリは、苦労して前へ前へと歩んでいった。


 目的の場所は、それこそ酷い騒ぎになっていた。喜びの声をあげている者は見当たらない。代わりに嘆き悲しむ者は多くいる。やけを起こしてシェンシャンを振り回した乱暴者は、どこからか出てきた衛士に引っ張られていった。


 コトリは、ようやく合否の結果が書かれた立て札の前へやってきた。シェンシャンを抱きしめて、祈るような気持ちでそれを見上げる。


 今年の合格者は三名だ。

 一行目、二行目と視線を移していく。そして三行目。


 コトリは、手元の木札を見やる。もう一度立て札を見る。それを何往復か繰り返した。


 一八三七。


 コトリの番号である。


 一瞬、全ての音がコトリから遠のいた。


 コトリの体がじんわりと熱を持ち始める。赤らんだ頬に朝の冷たい空気が心地良い。

 そう、これは現実のことなのだ。


 コトリは、合格した。


 立て札には、さらに注意書きが示されてあった。合格者は楽師団の宮の中へ手続きをしに来るようにとのことだ。


 コトリは押し寄せる人の波に逆らいながら、立て札から距離をとっていく。そして、できるだけ目立たぬよう身を小さくしながら、開いていた殿の入り口に飛び込んでいった。


 背後から、何か大声が聞こえてきたが、振り向かなかった。



 ◇



 木札を出さずとも、コトリの顔は覚えられていた。

 入り口近くに控えていた女官が、コトリを導いて殿の中を進んでいく。


 着いた部屋の扉が開くと、そこには一人の女が座していた。


「お待ちしておりました」

「サヨ?!」


 コトリは、何度も瞬きをする。見慣れた侍女の衣こそ纏っていないが、それは間違いなくサヨであった。


「え、どうして」

「どうしたもこうしたもありません。ただ、私が好きでついて参っただけです」


 コトリは、一応サヨにも別れを告げていたのだ。さらに、すぐに結婚しない場合は宮勤めを続けられるように、希望の職場へ異動できるよう、兄のサトリに推薦状までしたためていたのである。サヨ本人もそれは知っていたはずなのに、なぜか目の前にいるのだ。


「もしかして、サヨも受かったの?」

「お忘れですか? 先にシェンシャンを弾けるようになったのは私です」


 コトリは古い記憶を掘り起こした。


 姉妹のようにして育った二人。共に、礼儀作法の先生からシェンシャンを学んでいたのだ。貴人の嗜みとして覚えたのがきっかけだったが、それ以上に二人はシェンシャンにのめり込んでいった。


 単純に音が鳴るのが楽しいと感じるところから始まり、拍子を取って弾くことで音楽というものの奥行きを知るようになる。やがて、曲を奏でるのが生活の一部となっていった。


 そしていつしか、競い合うように腕を磨き、サヨも宮中で一目置かれる腕前になるまで、そう時間はかからなかったことを思い出した。


 確かに、サヨならば合格できるのも納得できる。けれど、どこか現実感が無く、不思議な浮遊感に襲われるコトリであった。


「まずは、合格おめでとうございます」

「ありがとう。またサヨと居られて嬉しいわ。でも、あなた、ご両親は」

「ご心配いりません」


 サヨは、ぴしゃりと音が鳴りそうな勢いで返事する。


「本当に?」

「本当です」


 サヨの笑顔からは、何も読み取ることができない。


「もし合格できなければ、ここの女官になってお側に侍る手筈になっておりましたが、無事にこうして再会できまして安堵しております」

「そんなことまで考えていたの?」


 コトリは嬉しいやら申し訳ないやらで、百面相をしていた。今からでも遅くない。実家に戻ることを勧めようとも考えたが、サヨは昔から頑固なところがある。おそらく言っても聞かないだろう。


「では、これからもよろしくお願いいたしますね。カナデ様!」

「えぇ、こちらこそ」


 カナデ。

 第二の人生を歩まんとする、コトリの新たな名前である。


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