第2話 王女の言い分
王と兄との会合から自室に戻ったコトリは、実に上機嫌だった。
「それで、どうやって言いくるめたのですか?」
コトリの侍女、サヨは飴色の卓の上に色とりどりの菓子を並べていく。
「言いくるめただなんて、人聞きの悪い」
「姫様のお人柄はよく存じておりますから、つい」
「以前から父上の周辺が怪しい動きをしているのは知っていたから、事前に計画して準備していただけよ」
サヨは、コトリが幼少の頃に彼女の遊び相手として連れてこられた高位貴族の三女で、十歳を過ぎてからは正式な侍女としてコトリに侍っている。二歳年上のサヨはコトリの忠実な下僕であると同時に、友とも呼べる仲であった。このような軽口は日常茶飯事である。
コトリは、手に持つ扇をくるくると回転させながら、掻い摘んで事の次第を説明した。
「ワタリ様がそんなことを」
「前から薄々気づいていたもの。今更驚かないわ」
「何にせよ、上手く行って良かったですね。おめでとうございます」
「ありがとう。もちろん、さすがに無条件でとはいかなかったけどね。でも、これで晴れて、私は王族ではなく、普通の女の子の生活を満喫できるようになるのよ。もういろいろなことを諦めずに済むようになるの!」
サヨは、コトリの物言いに苦笑しながらも、大きく頷いてみせた。王族は国で最も高貴な身分であり、衣食住を含むあらゆる分野において一流の待遇を受けられる存在である。一方で義務や責任も多く、常に周囲から一挙手一投足が注目される気の遣う職業でもあった。嫉妬を集めたり、危険に晒されることもある。そのため、コトリと共に酢いも甘いも噛み分けてきたサヨは、ひとまず主の野望が叶いそうなことに心底安堵していた。
「私、亡くなった母上のように、もっともっと外の世界を見てみたいわ。王宮から出ることは、母上の悲願でもあったしね」
実のところ、コトリの母親は元庶民である。王宮近くの商店で働いていた彼女、アヤネは、偶然に偶然が重なって、たまたま王の目にとまるところとなり、側妃として入宮したという経緯があった。本人は妃という身分よりも、貧しくても自由な庶民に戻りたいと希望していたものの、それは叶わず、コトリが産まれたことで王宮に留まることとなってしまったのだ。
しかし、愛らしい娘を産んだアヤネは、正妃から執拗な嫌がらせを受けた後、事故死してしまう。コトリを含め、多くの者がこの事故を正妃の差し金だと考えているが、それを表立って口に出すような命知らずはいない。
さらには、事故は何かの罰が当たった証拠だとか、呪われているだとか噂されて、未だにアヤネには墓すら用意されていなかった。そんな娘のコトリも、肩身の狭い思いをすることが少なくなく、サヨも心を痛めているのである。
「そうですね。きっとアヤネ様もお喜びになることでしょう」
「そうでしょう? 無事に外へ出て落ち着いたら、まずは母上のお墓を作りたいの。これは、とても大事なことよ。だからこそ、絶対に父上から出された条件を守らないとね。サヨも協力してちょうだい」
コトリが楽師となる条件は、このようなものだった。
一、楽師団の者に王女であることを明かさないこと。また、見抜かれないこと。
一、楽師団に入団している間、王女としてのコトリは王家の社で修行と祈祷をしているということにするため、季節に一度は社へ赴くこと。
一、十八の誕生日までに王立楽師団の首席になることができれば、王女は身罷ったことにし、コトリは真に自由の身となる。期限までに首席になることができなければ、王女に復帰する。
他にも細々した言いつけがあるのだが、概ねこの三つだけである。
「どれか一つでも破った場合は、問答無用で王女に戻されるそうよ」
「では、何としてもシェンシャンの腕を磨かなくてはなりませんね。とは言え、姫様は既に素晴らしい腕前をお持ちですが」
コトリはニヤリとした。
「えぇ、私の唯一の取り柄はシェンシャンの演奏なんだから。これで何としても身を立ててみせるわ!」
「良きことと存じます。前王の時代までは、王族の娘の一人が必ず楽師団に入ってらっしゃいましたし、ある意味伝統を踏襲した身の振り方かと」
「そうでしょう? 本来ならば数年前に亡くなった姉上が入団するはずだったと思うの。それが私になったところで、父上も都合が悪くならないはずよ」
コトリが力説するのには理由がある。王立楽師団は大変由緒正しい組織でもあるのだ。創立されたのは、建国間もない頃だったと言う。初代王、クレナもまた見事なシェンシャンの弾き手であった。彼女の奏でる音色は民衆の怒りや悲しみを沈め、田畑を潤して豊穣をもたらし、時には敵を退けるような武器にまでなったという言い伝えが残っている。
実際、シェンシャンは弾き手の技量次第で様々な効果をもたらすことは広く知られていることだった。例えばコトリの場合、聞く者に癒やしをもたらし、少しばかり体調を良くすることができる。道楽を超えた、確実に人や世のためになる楽器。単なる音色の美しさだけではないのが、シェンシャンの魅力だ。
そして、コトリにはもう一つの狙いがあった。
「それにね、楽師団に入れば、ソラ国へ遠征して演奏会をすることもあるでしょう?」
コトリは、未だ初恋の君のことを想い続けているのである。
「ですが、簡単にカケル様とお会いできるとは思えませんし、さらに言葉を交わせるよう機会となると、かなり難しいかと」
カケルとは、コトリの想い人の名だ。
「サヨ、分かってないわね。好きな人とは、話せなくてもいいの。少しでも近づけるならば、それだけでいいのよ」
「左様でございますか」
サヨは、これ以上恋する主の夢を壊すのも憚られ、さらなる追求は止めることにした。
だが、内心ではコトリがソラ国へ行った場合のことについて考えを巡らせるのである。コトリは見た目も可愛らしく、品もあり、貴族のサヨが知る中でもクレナ国一の美少女である。運が良ければ、ソラ国の王子の目に留まる可能性もゼロではない。遠征をきっかけに、楽師がソラ国貴族に嫁ぐことが決定した前例もあることはあるのだから。
けれど、コトリは一庶民として楽師になるのだ。万が一ソラ国王家に嫁ぐことになっても、せいぜい側妃の末席となるだろう。正妃はきっと、王子の現在の想い人とやらが据えられるにちがいない。
サヨは、ふとアヤネのことが頭を過ぎってしまい、複雑な心境になってしまった。
「それにしても、姫様。もしカケル様と結ばれるとなると、また王族になってしまいますよ」
「……良いのよ、それはそれで。好きな人と一緒になれるなら、些細なことを気にしてはいけないわ」
コトリの物言いに矛盾があるのはいつもの事である。根拠無き前向きさは、この年頃の少女によく見られるものだ。
その時、ふとサヨの中で別の疑問が浮かび上がる。
「それにしても姫様は、どうして王子のことをそれ程までにお慕いしているのですか? 顔も分からぬお相手なのですよ?」
何せ王族というものは、その顔を身内や身の回りの世話をする侍女侍従以外に見せないものなのである。王族でなくとも、身分の低い者は高貴な人の顔を許されるまで直視してはならない。クレナ国とソラ国では、そういう不文律があるのだ。
つまり、コトリは王子の顔を見たことはない。男性王族の場合、布を被った上から帽子を被っている。女性の場合は、布を被った上から冠を頂いている。ちなみに、布は特別の模様を施していることから、被った内側からは外の様子が見えるようになっていた。
尋ねられたコトリは、即答する。
「その存在、言葉、全てが限りなく尊いのよ。それに、好きに理由なんて必要かしら? もう、何をなさっても輝いて見えるの。顔なんて関係ないわ」
サヨの身分であれば、下々の者から高位の貴族まで付き合いがあるため、実に様々な顔の人間が存在することを理解している。しかしコトリのような王族の場合、なぜか自然と見目の良い者ばかりが周囲に集まってしまって、極端に醜悪な外見の者は目に映ることがないのだ。それ故、問題視しないのだろう。と、サヨは分析する。
「恋は盲目、とはこの事ですね」
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も」
コトリの頭の中は、既に新たな生活のことでいっぱいだった。
まず、年に一度の楽師団の入団試験が、ちょうど十日後に迫っている。既に試験内容は調査済み。後は対策を念入りに行うと同時に、王女の部屋から引っ越しする準備を行うだけである。
「ねえ、サヨ。早速一つお願いがあるのだけど」
コトリが手にしていたのは、彼女のシェンシャンであった。王女という身分に似つかわしく、輝石などがふんだんに埋め込まれた豪華な品である。
「さすがに、これを入団試験には持っていけないでしょう? だから、庶民が使うような平凡なシェンシャンを用意してくれないかしら」
王女を辞めた初日から身バレするわけにはいかないので、当然の配慮である。サヨは、すぐに心当たりを思い出した。
「かしこまりましてございます」
「いつもありがとう、サヨ。後十日、悪いけれど私に尽くしてちょうだい。それが過ぎれば、あなたも晴れて自由よ。そろそろ縁談もたくさん舞い込んでいる頃でしょう? いつまでも私が縛りつけておくことができないのは、一応分かっているつもりなの」
「ありがとうございます」
そう言ってサヨは腰を折ったが、その瞳は悪戯っぽい光を宿していた。
そうとは知らず、コトリは王女の特権である高級菓子を口いっぱいに含んで鼻歌を歌うのである。本人は、残り少ない王女生活を目一杯楽しむ腹積もりだ。
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